第2話 『表と裏』
ラクトリア王国、王都ルーニアの王城内にて———
朝日の光が山を掠めてきた頃、王城の裏門が静かに開いた。
全身を黒いローブで隠した物々しい集団がその門を潜り、王城に入る。
そして、王城内でその集団たちを見た者たちは慌てて進路を譲り、黙り込む。
彼らに明確な爵位があるわけではない。それどころか地位的に上に立っているのは廊下の端で下を向き、黙り込んでいる者たちの方である。
だが、誰も話しかけない。目を合わせようともしない。それは一体なぜなのか。
答えは至って簡単だ「怖い」のだ。もちろん、頭の中ではわかっている。
彼らが味方であり、こちらに牙を向けてくることはないのだと。
だが体が、本能が、「こいつらに近づくな」と言っている。怯えているのだ。
彼らの名前は国家特殊武装暗部隊。通称——『暗影』と呼ばれる者たちである。
◇◇◇
王城の地下、薄暗い石造りの空間の大きな一部屋に彼らの本部がある。
彼らはそこに着くなり、羽織っていた黒いローブを脱ぎ、集団の先に立っている一人の女に向かって一斉に敬礼した。
その女は敬礼する隊員らを一瞥し、話し始める。
「諸君、今回の任務もご苦労だった。隊長として私も誇りに思っている。ではいつも通り、着替えを済ませたら「表」の立場に順次戻るように」
「「はっ!」」
隊員たちが返事をしたあと、各々が個人の部屋に向かっていった。
その中にいたレインも自分の部屋に戻ろうとしていたその時だった。
「ちょっとレイン!今日は私の部屋に来てって言ったでしょう!」
後ろから先ほどの女の声が自分を呼ぶのが聞こえた。
だが、先ほどまでの高圧的な話し方はどこへ行ったのか、耳に入ってきた声はとても親しみを込めた声である。
レインは深いため息をつきながら振り返る。
「あのねセレナ様、着替えがまだ終わっていないのですよ」
「何よ、着替えなら私の部屋にもあるじゃない?」
「あるじゃない?じゃないですよ。俺もう今年で20ですよ?」
「心配しなくても私はレインに欲情しないし何も困らないわ」
「俺が困るんです。じゃあ着替えたら部屋に行きますから待っててください」
「ちょ、ちょっと!レイン〜!」
そう、後ろで騒いでいる女こそ、あの日レインを裏の世界に連れ込んだ張本人。
国家特殊武装暗部隊、隊長のセレナ・ローレンスである。
金色の長い髪にサファイアのような深く青い瞳。黒一色の軍服を着ているのが勿体無いほどの美人である。
レインと出会ってから5年が経ち、彼女は30歳になったが、一向にその美貌は崩れていない。全くなんで軍服なんか着ているのだか。ドレスを着せればそれこそ立派なお嬢様になれるだろうに。まあ、彼女は部隊内でも珍しい貴族なので“一応”お嬢様ではあるのだが…
ちなみに、レインはセレナに拾われてからローレンス家の養子となったのでレイン自身も立場上では貴族であり、フルネームもレイン・ローレンスである。
養子になってからも基本的にレインの面倒を見ていたのはセレナだったので、レインにとってセレナは少し歳の近い母親のような存在である。なので、もちろんレインがセレナに欲情することもない。だが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「お前本当にセレナ様と仲良しだよな。見てると羨ましいぜ」
「からかいに来たんですか——ラジウス分隊長?」
そう言って話しかけてきたのはラジウス第2分隊長だ。
背が高く筋肉質で、短く尖った茶髪が印象の男で歳は35歳だ。
平民の出であり、自慢の持久力は部隊内でも一目置かれている。
国家特殊武装暗部隊には隊長であるセレナと4人の分隊長がいる。
隊長であるセレナが指示を出し、それをそれぞれの分隊で役割を決め、行動するのが基本だ。レインは第二部隊の隊員である。
「何も羨ましいことじゃないですよ。こっちは鬱陶しいくらいですから。だって母親が成人した息子に一緒に寝ようとか言っているようなものですよ?」
「なんだ、いいことじゃないか。あんな美人と一緒に寝れるんだぜ?それに親孝行とでも思って少しは付き合ってあげたらどうだ?この仕事じゃいつ死ぬかわからないんだぜ?」
「分隊長、俺あの人が死ぬビジョンが全く見えません……」
「はは、違いねえ」
二人はそんなくだらない話をしながらそれぞれの部屋に向かうのだった。
◇◇◇
昼過ぎ、セレナの部屋で軽く仮眠をとったレインは王城内を歩いていた。
窓から見えるさっきまで山を掠めていたはずの太陽はもう姿全体を見せている。
一応、まだ「表」の勤務時間まで時間はあるが、レインにとっては起きている方が楽なのである。
暗影に務める者たちは何も「裏」の世界だけで生きている訳ではない。
仕事が少ない午前などは王城内でそれぞれの「表」の役職に就いている。
その役職は様々で、レインのように貴族として勤めている者もいれば使用人やコック、庭師など、多岐にわたる。
「やあ、レイン殿。久しぶりであるな」
「ん?…ああ、これはジョス殿。久しぶりでございますね」
「ちょうどよかった。これからクルベウス殿下にこれを持っていくところだったのだよ。頼まれてくれるか?」
「ええ、私も今から殿下のところに行こうと思っていたところです」
「そうであったか。いや、かたじけない」
「はい。確かに承りました」
「では」
レインは渡された資料にさっと目を通し、再び歩き出した。
ちなみに、先ほど話しかけられた貴族は先ほどまで「裏」としてのレインに恐怖し、黙って床を見つめていた一人である。
そう、彼はレインが暗影の者だと知らないのだ。
この世で暗影に所属する者を知っているのは王族と少数の大貴族だけである。
そして、今からレインが向かっている先にいる者もその一人である。
「失礼致します。クルベウス殿下」
「レインか?入れ」
扉を叩くと爽やかな好青年の声が聞こえてきた。
扉を開けた先にいたのは腰の後ろで手を組み、窓の外を眺めている一人の男だった。
後ろで軽く垂らすように結ばれた長い銀髪に凛としたエメラルドのような目をした美男である。
「じゃあ、報告を聞こうか。——レイン?」
そうにこやかに話すこの好青年こそレインの「裏」の顔を知る一人。
レインが「表」で仕える主人であり、この国の王族。
ラクトリア王国第一王子、クルベウス・ラクトリアである。




