第1話 『ようこそ裏の世界へ』
深夜、ある貴族の屋敷にて———
空が黒く染まり、月の弱い光だけが世界を照らす頃、動きだす者たちがいる。
黒いローブに身を包み、ただ淡々と冷徹に作業をこなす者たち。
国の代わりに「暗殺」「諜報」「工作」などを行う者たち。
「レイン、準備はできているか?」
「ええ、いつでも」
「そうか。では——任務を遂行する」
これは、国家直属の暗部に務める一人の男の物語。
◇◇◇
約5年前、ブレイン領(当時フォルス領)の屋敷にて———
屋敷の長い廊下を一人の少年が歩いていた。
執事服を着こなし、黒い髪に少しクマが残っている黒瞳。
彼の名前はレイン。ここフォルス領の領主グラン・フォルスの屋敷に務める一介の使用人だ。ちなみに、彼は“転生者”である。
“転生者”、といってもこの世界にとってレインは一人の人間にしか過ぎない。
何か特別な力を持っているわけでもなく、とても強いわけでもない。
前世で死んだ後、この世界で赤ん坊として目覚めた何でもない普通の人間なのだ。
ただ、常人と比べて少し違うところと言えば……
「失礼致します旦那様」
「ん。入れ」
レインが扉を数回叩き、主人の名を呼ぶとぶっきらぼうな返事が返ってきた。
ゆっくりと扉を開けると、奥に目つきの悪い男が椅子に深く腰をかけている。
ガタイがよく、側の机には数本の葉巻と灰の溜まった灰皿が置かれている。彼こそがこの屋敷の主人であるグラン・フォルス。前世の知識で言えばマフィアのボスみたいな感じだ。
部屋の中は絵画や壺などの豪華な装飾品が所狭しと飾られており、息苦しさまで感じる。そして、廊下もそうだが飾っている装飾品のデザインはどれもバラバラでまとまりはなく、飾り方としては下劣極まりない。これでは装飾ではなく単なる財力の誇示だ。
「お呼びでしょうか旦那様」
「ああ、ちとこのブツの始末をしてもらいたくてな」
グランが首をクイっと動かす。
その方向に視線をやると、そこには台車に乗せられた大きな麻袋があった。
だが、その麻袋からは明らかに異臭と血らしきものが滲み出ている。
「……承知いたしました」
しかし、レインは驚くことも、怖がることもなく静かに承諾の返事を返した。
そう、レインの常人と比べて少し違うところ、それはひどく「冷徹」であり、
「肝が据わっている」ことだ。
もちろん、元からこの性格だったわけではない。
レインがこの性格になった背景には2つの理由がある。
一つはレインが元々、奴隷の身分であったことだ。フォルス領の貧しい村の一家で生まれたレインは税を納めるために実の親に売られたのだ。その後、グランに買われ、この屋敷で使用人として働くこととなったである。
そして、もう一つの理由は使用人になった後、こうして死体の処理などの汚れ仕事を請け負い続けたことだ。最初は吐き気を催したりしていたが長く続けていると慣れてしまうというものである。
レインは部屋が汚れないように慎重に台車を押しながら部屋を後にした。
グランはよく、気に入らない者がいれば剣を取り出し、斬り殺してしまう。
その度にレインは死体を片付け、部屋の掃除をしなくてはならないのだ。
レインはふと窓の外を見る。もう向かいの山に日が沈みかかっていた。
◇◇◇
もう何時間か経っただろうか。
レインは地下の焼却場で火の片付けをしていた。
死体は既に灰に変わり、骨すら残っていない。
「……これでいいかな」
そう言うとレインは道具を片付け、カンテラ(※ 手提げ式で持ち運びができる昔ながらの石油ランプ)を手に歩き出した。
もう夜だからだろうか、少し肌寒く感じる。
レインは長い石の階段を登り切り、窓の外を見た。
そこには黒塗りされた背景に見事な満月が淡い光を発していた。
やはり、煌びやかなだけなこの屋敷の装飾品よりこちらの方がよっぽど美しく感じる。レインはその満月に少しの間見とれていた。
恐らくもうグランは寝ているだろう。だが、一応報告はしなくてはならない。
レインはカンテラの僅かな光を頼りに寝静まった暗い屋敷の廊下を歩いた。
そして、グランの部屋の前まで来ると、扉にノックを3回した。
しかし、返事は返ってこなかった。やはりもう寝ているのだろうか。
仕方がないのでレインはメモに仕事が終わったことを記し、机に置くことにした。
「失礼致します……」
キィィィ、というドアの軋む音と共にレインは部屋に入った。
だが、驚いたことにいつもグランが座っている椅子に人影が見えたのだ。
まあ、そのガタイのいい人影からしてグランであろう。椅子に座ったまま寝てしまうとは困った主人である。
「旦那様、仕事が終わりましたよ。あと、そんな所で寝てしまってはお身体にさわ……」
そう言いながら座っているグランに近づき、カンテラの灯がグランの顔を照らした時、言葉が止まってしまった。
「——死んでる…」
カンテラに照らされたグランの顔は白目を剥き、首からは血が滴っていた。
頸動脈をひと裂き、よほどの使い手だ。だが、レインはひどく肝が据わっているので驚きもしなかった。それどころか、主人が殺されたことをで職を失う危険性を考えていたのだ。
その時、背後で少し、風を感じた。
「……誰ですか?」
「ほう、背後に立つ私に気づくなんて驚いたわ。何者なの?」
女の声だ。だが若い。レインよりは歳上だろうが、少なくとも二十代の声だ。
ちなみに、レインは元奴隷なので人一倍警戒心が強い。そうでなければ生きられなかったからだ。
そして、レインは両手を上げ、降伏の意思を表しながらゆっくりと振り向いた。
そこには黒いローブを身に纏った女が一人、剣をこちらに向けて立っていた。
剣の刃先はレインの眉間にあり、いつでも殺せる位置にある。
顔はフードを被っているのと、暗すぎてよく見えない。
「別に…、この屋敷で働いているただの使用人ですよ」
「そう?にしてはとても肝が据わっているのね」
「まあ、死体なんて見慣れていますし、旦那様に尊敬の意思などありませんしね」
「へー、あなた変わってるのね」
女は警戒心を説いたのかレインに向けていた剣を下ろした。
それを見たからレインも両手を下ろし、相手を観察した。
やはり、黒いローブを着ていること以外ほとんどわからない。だが、そのローブを見てわかったことが一つあった。
「汚れ仕事をするにはかなりいい布を使っていますね」
「……だから何よ」
「いや、それだけいい布を使えるなら候補が絞れるなと思って。例えば…、そうですね———『暗影』とか」
その言葉を放った瞬間、女の持っていた剣が再びレインの眉間に当てられた。
流石のレインでもその速すぎる動きには冷や汗が出た。
そして息を整え、間を空けてから少しニヤついた顔で話し始める。
「ビンゴ……って、ことでいいかな?」
「チッ…」
先ほどレインが発した言葉『暗影』は目の前に立っている女が属している組織の名の通称名だ。正式名称はこう呼ばれている。
「まさか国自ら手を出すとはね。——国家特殊武装暗部隊」
「……やはりあなたは危険ね」
「そう?で、俺を殺すの?」
「……ふっ」
「……?何笑ってるんだよ?」
「いや、面白なと思ってね。それに君はなかなか使えそうだ。
——どう?『暗影』に入ってみない?」
そう言って、女はもう一方の手を伸ばしてきた。
レインは考えた。この世界に転生して15年、ろくでもない人生をおくってきた。
今、この手を取れば、恐らく前世で夢見ていた煌びやかな夢の「表」の世界に戻ることはないだろう。だがなぜだろう。今、自分の心はそれ以上に高鳴っている。その手を握れと言っている。
そして気づけば、レインはその手を握っていた。
「よし、決まりね!」
「———!」
女が纏っていた黒いローブのフードを脱ぐ。
現れたのは長い金色の髪とサファイアのように深く青い瞳だった。
そして、彼女はこう言ったのだ。
「———ようこそ。裏の世界へ!」




