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第八話 見られたからには婚約破棄だね

「社長、例の件ですがまだ解決しません」

「いよいよヤバいね〜」

 

 軽い風を装っているが、事態は深刻だった。

 

「まァ、俺が出るしかないのかな」

「社長……」

「これも仕事だからねェ。どうしたのそんな狼狽えて。今更でしょ」

「奥様がいらしてから、こういうのは初めてですから……」


 それを聞いて、暁峰(シャオファン)はケラケラ笑う。


「いようがいまいが、やることは一緒だよ!そうだろ?」

「……」


 浮かない顔の部下の肩をポンと叩いて、部屋を出ようと席を立った。

「なんでお前が気にしてんの。遅かれ早かれ分かることさ」


 ***


 電話が鳴って、桃花(タオホワ)はそれを受けた。


「暁峰様ですか?」

「うん。今日さ、ちょっと帰れないかも」

「えっ……」

「そんな残念そうな声出さないでよ。大好きなお仕事だから、諦めて」

「はい……」

「どうしたの?元気ないねェ」

「今日、私、暁峰様の好きなものをたくさん作ったんです。夜食のお供に(ちまき)も……」

「あーそれは残念だなァ。今度は絶対食べるから。ちゃんと帰れそうな日伝えるね」

「分かりました。無理しないで下さい。お身体気をつけて」


 暁峰は最近帰りが遅かった。

 「厄介な仕事があってね」と言う彼の顔はいまいち浮かなくて、儲け話ではないのだろうと桃花は思っていた。


阿梅(アームイ)さん、今日、暁峰様は帰られないそうです」

「そうですか。すみませんが、私は今日用があるので早めに上がらせて頂きます」

 阿梅はさっさと帰り支度を初めてしまう。

 暁峰が帰るのが遅い日でも、いつもなら桃花と夕飯を食べてから帰るのに。


「桃花様、くれぐれも今日は外出なさらないよう」

「なんでですか?」

 言われなくとも桃花が夜出歩いた事はないが、わざわざ強調して言う意味も分からなかった。


「悪い人間が外をうろついているそうです」

「それって……暁峰様は大丈夫なのでしょうか」

 阿梅は少しだけ顔を歪ませた。


「だから帰らないと言ったのでしょう。大丈夫ですよ、気にせず桃花様はお休み下さい」


 阿梅が帰った後、桃花は1人家で落ち着かない夜を過ごしていた。


 仕事が長引いて夜遅く帰るのが危ないから職場に泊まるんだ、きっと。

 そう思うのに、危険なことに巻き込まれるんじゃないかと落ち着かず眠れなかった。


 夜半を過ぎた頃だった。


 男達の怒号と発砲音が聞こえて桃花は飛び起きた。

 遠くない気がしてそっと庭の生垣から顔を出すと、言い争う声が聞こえて顔を引っ込めた。

 しかし、思い返すとその中に見知った声が聞こえた気がして、もう一度顔を出す。


 怯えた男の声。わずかに女の声も聞こえる。

 そして、やっぱり暁峰の声も。

 

 あの騒動の中に、暁峰が巻き込まれている。


 桃花はパニックになりかけた。

 どう考えてもあそこに行くのは危ないし、行くべきではない。

 もし暁峰が事件に巻き込まれていたとしても、桃花が行ったところでどうにもならない。


 だが、誰かの悲鳴が聞こえた瞬間、桃花はつっかけと羽織で外へ飛び出していた。


 走り出してすぐ、辺りが静かになったことに気づいた。

 事態が収束したのかもしれない。


 それでも、暁峰の無事を確かめたかった桃花は、生まれたての子鹿のように怯えながら暗い道を歩いた。


 歩いて数分のところの暗がりに、黒いバンが止まっていることに気づく。

 なぜこんなところに見たことない車があるのだろう。

 昼間歩いた時には無かった。


 そのバンから、暁峰が出てきた。


「後は任せる。炭鉱でも漁船でもどこへでも。女は——」


 車が揺れるほどの勢いで、中の人間が抵抗している。

 手が出てきて暁峰の横を掠めた。

 桃花が顔を覆ったのも束の間。


「いい加減にしろ!5000万!返さないお前が悪いんだろ!耳揃えて早く返せ!」


 暁峰が男を思いっきり蹴った。

 蹴ったところは車に隠れて見えなかったが、中の人間の呻き声が聞こえる。

 キーキーと叫ぶ女の声。


「これ以上抵抗するなら風呂沈めるぞ」

 

 吐き捨てるような台詞は聞いたこともない声だった。

 静かになるとバンは出発した。

 それを暁峰ともう1人の男は見送ると、街の方へ歩き出した。


「夕飯どうしようかなァ?残業でお腹空いたよね、お前も」

 いつもの、桃花の知る暁峰の声。


 逃げなきゃ。


 桃花はそろりと走り出す。


 阿梅さんの言う通りだった。この騒動に気づかずぐっすり寝ていれば。


 今更後悔するが遅い。見てしまったものを見なかった事にはできない。


 いつか暁峰が言っていたことを思い出した。

「聞くのと見るのじゃ全然違う。ましてや、やるのなんて」


 玄関に着くと、安堵か身体が震え初め、涙がボロボロと溢れてゆく。


「暁峰様……」


 ***


「暁峰様、無理なさらないで下さい。私しかいませんから」

「……」

 長く息を吐く。


「……やっぱり俺、この仕事向いてないかも」

「そう思いますよ」

「暴力とか好きじゃないんだよね。平和主義者だからさァ」

「暁峰様が好きなのはマネーゲームであって、取り立てをしたり、夜逃げ犯を強制労働させることじゃありませんから」

「そうそう。勘弁して欲しいよね、こういうの……」


 暁峰は黙る。


「でもこれで5000万は帰ってくるだろうし。利子分も働かせればもっとね……」

「暁峰様がトップに立ってから、債務者達は幸せだと思いますよ。ちゃんと返せば労働から解放されますからね。暁峰様のお父様の時は……」

 

「そんなに変わんないよ」


 全財産だと言って渡された金をポケットから出す。

 札が数枚。これじゃ2人で外食できるかすら怪しい。


「これも入れといて」

「社長……」


 今日は幸いだったと暁峰は思っていた。いたのはヤク中の男女複数人。

 様々なところで金を借りた挙句利子がまだマシな金鴻キンコウ商会に借金をまとめ、それでも全く金を返さなかった奴らだ。

 これくらい分かりやすい悪人であれば、あまり心は傷まない。


「俺、先事務所戻るね。タクシー捕まえるから」


 後ろを振り返る。数分もすれば家だ。

 だが、桃花のいる家へ戻りたくなかった。


「おやすみ、桃花」


 ***


「おはよう桃花妹(タオファーメイ)。なんでこんなところで寝てるの?」


 ソファで目を覚ますと、目の前に暁峰がいた。


 どう反応したら良いか困って、よそよそしく「夜更かしして……」と小声で言った。


「えぇ?夜更かししたの?なんかやりたいことでもあったの?」

 はっきりものを言わない桃花を不思議そうに見つめる暁峰。

 彼の足や顔を見ると、昨晩のことがフラッシュバックした。


「昨日作ってくれた夕飯、残ってるなら貰うけど——」

「台所にあります」


 目を合わせず桃花は部屋へ戻った。


 ***


 台所にあった叉焼(チャーシュー)をつまみながら暁峰は呟く。


「まァ、いずれこうなるとは思ってたよね」


 空腹だったので、冷えたままの硬い粽を齧った。もちもちした食感はほとんど失われている。

 これも暁峰の好物だった。


 昨晩の事態は比較的家の近くで行われていた。

 見られたのかもしれない。

 

 こうなった時どうするべきか彼は考えていた。

 

 このままずっと家に居続けるのはお互い気づまりだろう。

 婚約中なので、婚約破棄することは可能である。


 とはいえ、暁峰がこのまま婚約破棄すれば桃花は路頭に迷う。

 箱入りお嬢様である彼女に急に働けというのも無理な話だ。

 自分の世話さえ覚束ないのだから。


「こっちで良い奴を探してやるか、仕方ない」


 婚約破棄の理由を考える。できる限り桃花が納得できそうにないものが良いだろう。

 婚約しておいて、他の女に目移りした……この辺りでどうだろうか。


「中途半端にいい奴だと、憎みきれなくて辛いしねェ」


 債務者と一緒だ。

 

 完全に憎めるほどの悪人であればすっぱりと切り捨てられるが、中途半端に良いやつだと自分が悪いのではないかと心が揺らぐ。

 変にいい奴ぶって出て行く時に優しくしない方が良い。

 

 こういう仕事を理解できないのなんて、ごく一般的な感覚なのだ。

 それを受け入れられなかったから悪いだとか、良い人間は自分を責める。

 桃花もそのクチだろう。


「あぁ、疲れたな……」

 

 身体を椅子の背に預け、暁峰は天を仰いだ。


 ***


「悪いんだけど、婚約破棄したいんだ」

「え……え?」

 桃花は呆然としていた。

 あの恐ろしい現場を見られてから、2日後の夕飯後の事だった。

 

「な……なんで……」

「いい縁談があってね。君が妻になるのに2年は待てそうにないし」

「わ……私……」


「あァ、大丈夫。路頭に迷ったり、実家に帰らないといけないなんてないよ。こちらで新たな嫁ぎ先を探してあげる。それでいいでしょ?」

 

 暁峰が狐のように目を細めるだけで桃花はびくりとする。

 それでも彼女はどうすべきか懸命に逡巡しているらしく、冷汗を掻きながら固まっていた。


 あァ、困ってる困ってる。


 だが、桃花が反対するとは思えない。


「決まったらすぐ出ていけるように準備しておいてね。よろしく」

次回最終回です!

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