最終話 世間知らずの可愛いままで
婚約破棄と言われて桃花の脳内は真っ白になった。
一拍遅れて彼女は気づく。
婚約破棄は、きっと桃花がそっけない態度を取ってしまったからだと。
仕事をするところを見て桃花は怖くなってしまった。
落ち着いて考えてみると、暁峰自体もそうだが、あぁいう仕事があることもショックだった。
そして、桃花はどうしてあぁいうことをやる必要があるか分からなかった。
痛めつけることが目的ではないだろう、そう思いたい。
相談できる人間もおらず困っていると、暁峰から婚約破棄を切り出されてしまった。
婚約破棄という言葉を聞いた瞬間、彼女の脳は抵抗を始めた。
今まで彼女の中にあったのは、ぼんやりとした喜び、申し訳なさ、そんなものばかりだった。
それが、急に駄々をこねるように強い感情を訴え始めたのである。
嫌だ嫌だ。ここにいたい。ここで2人で幸せに暮らしたい。
しかし、桃花の口はうまく動かない。
自らの意思を訴える事に慣れていないのだ。
「いい縁談があってね。君が妻になるのに2年は待てそうにないし」
縁談?そんなの絶対嘘。暁峰様はずっと仕事ばかりしていたもの。
目を暁峰の方を向けると、ギロリと睨まれた気がして身震いする。
何か言わなくてはと思って口を開いてみるが、感情がまともな言葉にならず口を開いたり閉じたりすることしかできない。
「路頭に迷ったり、実家に帰らないといけないなんてないよ。こちらで新たな嫁ぎ先を探してあげるから」
結局、桃花は何も言えなかった。
***
暁峰が居間を出て行った後、まんじりともせず戸を眺めて数十分。
桃花は正気に戻ってきた。
正気に戻ると、今度はみるみるうちに桃花の身体は熱を帯びてきた。
腹の底が煮えたぎるような熱い感情。
暴れ回りたくなる衝動。
わなわなと震えながら、桃花は考えていた。
婚約破棄をされたのは、私が幼いからだ。
暁峰の仕事について知ろうともせずただ怖がるばかりで、頼りない私に愛想を尽かしてあんなことを言ったのだ。
けれど、彼女は暁峰に好きに生きる楽しさを教わった。
「それならば、私は自由に、自分の望みを叶えることに専念します。そして、暁峰様からの一方的な婚約破棄に納得できないと伝えます」
勝手に決めないで欲しい。私にだって意見がある。
桃花は暁峰様が好きなのだ。
***
桃花はその後金鴻商会へ向かった。
思えば、この時の彼女は完全に怒りのままに行動していた。
簡素な服に身を包み、勇んで商会へと乗り込んだ。
「周桃花です」
門番のような警備の人間に止められてそう答える。
「周って……社長のご親戚か何かで?」
「妻です」
堂々と言い放った。
門番がざわつく。
「社長は今日午後からの出勤で……」
「分かっています、今家におりますので。夫の直属の部下の方とお話がしたいのですが、待たせてもらえませんか?」
「直属の部下は私です」
暁峰よりも更に背の高い、桃花からすれば巨人のような大男が現れた。
一瞬怯んだ彼女だったが、口を引き結び訴える。
「教えて頂きたいことがあって来ました。お時間ありますでしょうか」
「……すみません、忙しくて今日は……」
「いつまでも待ちます」
桃花はしっかりと彼の目を見る。
「分かりました。短時間であれば」
***
30分ほど時間を貰い、桃花は商会から出て行った。
そうだったんだ。お金や土地を貸すって、そういう仕事だったんだ。
仕事の内容と共に、暁峰がこの仕事についてどう思っているのかも聞くことができた。
「家業……」
代々受け継いでいる仕事なのだと言う。彼の父親も祖父も金鴻商会のトップで、暁峰はそれを継いで若干20歳でその座についた。
幼い頃から家業のために勉強を続け、そして今があった。
桃花とは違う意味で、彼もまた不自由な生活をしてきていた。
「そんな素振り、全然見せてくれなかった」
いつもケラケラと軽く笑って、好きな事をしろと桃花に言い、彼自身も好きな事をして充実した生活をしていると思っていた。
しかし、彼の好きな仕事はあくまで金儲けだった。
債務の取り立てという嫌な仕事も同時に請け負っており、それ以外にも貸している土地でのトラブルの解決なども商会の仕事で、荒事も含まれている。
先日桃花が見た取り立ての現場は、かなり悪質な債務者が逃げようとするところだったらしい。
金を返す気もなく、踏み倒そうとしたのだ。
首が回らなくなった債務者に仕事を紹介し、借金を返済させる事が目的だったそうだ。
「このやり方が正しいかは分かりません。しかし、私達が相手にしているのは銀行などから金を借りることのできない人間です。そのような人間に金を返してもらうには、時には強引なやり方をしなければならないのです」
暁峰はこれを正しいと思っていないのかもしれない。
少なくとも後ろめたいと思っていて、だから桃花に見せなかったし、見られて婚約破棄を突きつけてきた。
あとは、桃花がこれをどう判断するかだった。
***
婚約破棄を突きつけ午後から仕事に出た暁峰は、部下から話を聞いて椅子から転げ落ちそうになった。
「桃花が来てたの?!?」
なぜ?
急に婚約破棄をしたからだろうが、だとしてもなぜ商会に?
「ものを知らないって恐ろしいねェ……。怖いものなしだね」
「そうでしょうか?」
世安はそう言った。
「彼女は少なくともここが恐ろしいところだと理解して来たようでした」
「そんなわけないよ。桃花は虫を見て腰を抜かすような女だ」
「社長からちゃんと商会の仕事を説明なさっておけば、来ることはなかったと思います」
「それを聞きに来たの?」
今更聞いたところで何になる。
「百聞は一見にしかず。見てしまったからにはそう簡単に意識を覆せるとは思えないね、俺は」
「そうしてお友達を失くされていますからね」
「最近生意気じゃないか?梁」
「別に桃花様のことを嫌いになったわけではないのでしょう?きちんと話し合うべきですよ。一方的に婚約破棄するなど……しかも縁談の件、嘘だとバレていますよ」
「げ、マジ?格好悪いじゃん俺」
「桃花様はあなたが考えているよりも、暁峰様のことをよく見ていらっしゃいます」
「……」
暁峰の顔から笑みが消えた。
「あんな怯えた態度でいられたら、俺だって傷つくんだよ。面と向かって言われでもしたら……」
「それならば自らで突き放してしまえと」
「……煩いな」
こんなにも怯えているのは、暁峰にとって桃花がもう大切な人間だからだ。
自ら手放そうとしているのは、せっかく仲良くなった彼女に嫌われたという事実を受け入れられないからだ。
脳内で算盤玉が弾けるようにバラバラになる。
もう冷静に計算などできそうにない。
「帰ってお話をして下さい。そして早く元の社長に戻って仕事をして下さい」
暁峰は無言で立ち上がる。
「お前らほど俺は柔なメンタルをしていないから、話が付いたらすぐに仕事に戻る」
彼が部屋から出ていくと、部下はフッと笑った。
「強がりも程々にして欲しいものです」
***
「桃花、いるか?」
縁側でぼんやりとしている彼女を見つける。
「またぼんやりしているのか」
「いいえ、考え事をしていました」
「……」
「邪魔をしたね」
桃花が立ち上がる。
「邪魔ではありません。私とお話をして下さい」
彼女は表情に乏しい。
特に今日は何を考えているか分からなくて、彼は思わず後退りしてしまった。
「嫌だと言ったら?」
「お話しできるまで、私はこの家から出ていきません。例え、暁峰様が私に新たな婚約者を探して来ようとも」
「家主は俺だよ?君を叩き出すのなんて簡単だ」
「叩き出されようとも、お話しできるまで何度だってここに来ます」
「……っ」
平坦な調子で随分なことを言う桃花に、暁峰がたじろいだ。
「君らしくない言葉だね、桃花。……良いよ、話をしよう」
「ありがとうございます」
2人は居間のテーブルに向かい合って座った。
「それで?話したいことって?」
「私は婚約破棄に納得していません」
「君、現場を見たんだろ?随分怯えていたじゃないか」
「はい。それについて、私は大いに反省しました」
「それで俺の部下に俺の仕事について聞いたと」
桃花はゆっくりと頷いた。
沈黙が流れる。
彼女に何を言われるかと待っているが何も話さない。
暁峰が口を開く。
「分かっただろう?あぁいう事をやったのは一度や二度じゃない。俺がやっているのはそういう仕事だ。必要があれば何度だってやるよ。その度に君はいちいちショックを受けて、心を痛めて……そんな事耐えられるの?世間知らずの箱入りお嬢様の桃花には刺激が強すぎる。やめた方が良い。いずれ耐えられなくて嫌になる……」
いずれ耐えられなくなって嫌になるのは、仕事か?
それとも——
「あの仕事について判断できませんでした。おっしゃる通り、私は世間知らずです。ですが、あなたが業を背負うというのなら、私も共に歩みます」
「……は?」
「人を傷つけ、苦めた結果あなたが地獄に落ちるなら、私も一緒に落ちます」
「きみ……」
「私の人生はあなたに会って始まりました。なので地獄に行くとしても、絶対に、離れたくない……」
無表情な桃花の顔が歪む。耐えていた水が一気に溢れるように、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「いや……これからも2人で一緒に暮らしたい……」
「ごめん、酷い事を言ったね。桃花が俺の事をそこまで考えているなんて、知らなくて……」
ふるふると首を振る桃花だが、涙は止まらない。
「大丈夫だよ、一緒にいるから。君を追い出したりしないから」
「ほんと、ですか……?」
「本当本当」
「縁談があるのも嘘ですよね……」
「ごめん、下手な嘘ついた」
泣き止んでほしくて、彼女の隣に座り抱きしめた。
しばらく泣き止んで嬉しそうな顔をしているのを見て、暁峰は決めた。
「桃花はずっと世間知らずのお嬢様で良いよ」
「……え?」
「俺の仕事の汚い部分なんて見なくて良い。世間知らずの可愛い桃花でいて」
掬い上げるように彼女の頬に手を添える。
「今まで通りでいて。今回見たことは、見なかった事にして欲しい。忘れて欲しい」
「分かりました」
「ずっとお側にいます。私の望みはそれだけです。暁峰様」
「ありがとう、桃花」
***
数日後
「あの……暁峰様。この屋敷の周りにいる人達は……」
「あぁ、俺の部下。桃花を害しようとする人間がいたら嫌だからね。守ってもらおうと思って」
きょとんとする桃花。
これは桃花に見せるべきでないものを近づけないための人員配置だ。
「奥さんが傷つけられるなんて俺は耐えられないからさァ」
目線を合わせてそう言うと、桃のように頬を染める彼女。
暁峰の事が大好きだと全身で表現しているようだった。
「真っ赤になっちゃって。桃花妹は可愛い奥さんだね〜」
「ありがとうございます。でも……できれば旦那様に守ってもらいたい、です……」
頬を染め上目遣いをしたその顔に、暁峰は脳天を殴られたような衝撃を受けた。
「ほんと、きみって……」
可愛い。
俺の奥さん可愛すぎる。ヤバい。
仕事行かなきゃいけないのに。家で仕事したらダメかな。
「社長、今日はさすがに事務所に来て下さい」
「午後から出るのじゃだめかな?」
世安が暁峰を家まで迎えに来て、ジロリと睨んだ。
「いくら桃花様にメロメロとはいえ……」
「メロメロとか言うな!」
「めろめろ……?」
「桃花様の事を暁峰様は溺愛しているという事です」
「そ、そんな……。本当ですか……?」
苦虫を潰したような嫌な顔をした暁峰。
部下の前で妻に公開告白などたまったものじゃない。
だが、桃花が期待の眼差しで暁峰を見ており、違うなどと言ったら絶対にガッカリする。
「……そうだよ。言っただろ、可愛いって……」
「以前、可愛いとは幼いと言う意味で、褒め言葉ではないと……」
「暁峰様、酷い事をおっしゃってたんですね」
「煩い、梁。先に車に行ってろ」
梁を追い払うと、暁峰は桃花に向き直った。
「奥さんが可愛くないわけないだろ」
「!」
暁峰は頬にキスをした。
「夕飯までには帰る。待ってて」
いつもの調子でひらひらと手を振って、暁峰は車に向かった。
桃花はそれを見ながら頬に手を当て、クスリと笑った。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
了
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました!
明日はショートショートのホラーを投稿します。




