第六話 俺は優しいからね
桃花が焼峰の元へ来て二月が経った。
「ひゃぁぁ!!!」
桃花の大声を聞いて、柄にもなく暁峰は焦って庭へ行った。
彼女は石畳の上に尻餅をついて顔を真っ青にしている。
指を指しながら
「な、なんか。なんかいます」
「なんかって何」
不審者かと思ったのか、彼は桃花を引っ張り立たせる。
桃花は怖くて暁峰に掴まった。
「何がいたの」
「今もいます」
「だから、何が」
「虫……」
「……は?」
近くに行くと、蜘蛛の巣が張っている。
「これのこと?」
こくこくこくと頷く。
「虫くらいで呼ばないでよ」
「すみません」
「これだから箱入りお嬢様は」
仕事の書類を持ったまま来たらしい。
そのまま帰ろうとする暁峰を桃花は必死に引き止める。
「あ、あれはそのままなのですか?」
「え?殺して欲しいの?いちいち?適当に無視してよ」
庭なんだからさァとまたもや彼は帰ろうとしたが、暁峰に縋りついていた桃花がずるりと崩れ落ちた。
「こ、腰が抜けてしまって……」
「本当いちいち大袈裟……」
ひょいと抱えられ、縁側に桃花は座らされた。
隣で書類を読み始める暁峰。
「ありがとうございました」
「何について?全部?」
「全部です……」
「からかっただけだよ。そんな恐縮されると困るんだけど……」
申し訳なさで下を向いた桃花にチラリと視線が送られたと思うと
「まァ、いろんな奴がいるからこの街には。アンタみたいなのがいてもおかしくない」
「優しいですね」
「そうだよォ。俺ほど優しいヤツも少ないよォ。虫如きで呼ばれても全然気にしてないからさァ」
「私の悲鳴を聞いて来て下さったんですね」
「……」
はーあ、と書類から目を離さずわざとらしくため息を吐く。
「君相当なことがない限り大声上げないだろ。何かあったと思うじゃないか」
「ありがとうございます」
「腰が治るまでここにいてあげる。また虫が出て呼び出されたら困るからね。本当俺ってば優しいなァ」
「はい」
その返事も暁峰は気に入らないらしかった。
腰が治るまで桃花がぼんやりとしていると、彼が貧乏ゆすりをし始めた。
「あー!もう!阿梅!茶!菓子!」
叫んでも阿梅から返事がない事に更に暁峰はイラついたようだ。
書類を置くと、どすどすと台所まで行く。
しばらくすると、暁峰自ら茶と菓子を持って来た。
「君はほんっとに俺をこき使うのが得意だねェ?久しぶりに茶を淹れたから火傷してしまったよ。治療費払ってもらおうかなァ?」
「うそ……大丈夫ですか?」
「嘘」
どすん、と座ると彼は月餅を食べ始めた。
「そうやってまんじりもせず隣に居られると俺がイライラするんだ。それでも食べて茶でも飲んで庭を眺めてなよ」
「ありがとうございます」
「……おいしい」
「良い月餅だからね」
2人して蓋碗で茶を啜る。
同じタイミングで啜ってしまい、またお揃いだなぁと暁峰に呆れられそうな事を桃花は思った。
彼が隣に座って、今更ながら暁峰が綺麗な顔をしている事に気づいた。
丸メガネでイマイチ目がよく見えないから気づかなかったのかもしれない。
ずっと見ていると体が熱くなってきて、視線を庭に戻す。
しかし気づかれたらしい。ニヤリと彼は笑った。
「俺の顔ジロジロ見てたね」
「す……すみません」
今度は暁峰にジロジロと見られる。見られるのは想像より恥ずかしく、桃花は反省した。
「ん〜君って本当に可愛い顔してるね」
「へ」
「別に褒めてないよ?幼い顔立ちってこと」
「は……」
「俺好みではないなァ。2年後が楽しみだ」
私はこの家に2年もいるんだ、この人と。こんな風に。
それはとても楽しい想像だった。
「楽しみです」
「君以外と前向きなんだね」
「あっ……」
***
桃花が朝支度をしていると、廊下でぼんやりとしている暁峰を見つけた。
ぼんやり?
暁峰とぼんやりが結びつかなくて雷に打たれたような衝撃を受ける。
「暁峰様、ど、どうかなされたのですか……?」
ぼんやりとした暁峰の前で手を振ると彼は「あー……」と呟いた。
「ダメだ。熱っぽい」
「えっ」
「風邪だこれ」
桃花は想定外のことが起きて混乱した。
「悪いんだけど、阿梅に電話してくれる?今日夕方からだったと思うけど早く来てもらう」
桃花はこくこくと頷くと、電話まで走った。
電話が終わると、桃花は真っ青な顔で暁峰の元へ行く。
「阿梅さんも風邪だと……」
「あいつから移されたか……」
「何か私できること……」
「看病なんてしたことないでしょ?移るからあっち行って」
しっしと追い払われて、桃花は廊下に取り残された。
とりあえず、自分のことは自分でやらなければと気合を入れる。
ここ2ヶ月半でだいぶ自分のことができるようになったし、阿梅が居ない時のために食事も簡単なものなら作れるようになった。
「お粥くらいなら……あ」
作ったら喜ばれるだろうか。でもあっち行けとも言われた。
実家で「あっち行け」と言われた時は本当にどこかへ行かないと怒られたけど……
どっか行ってくれ。あっち行ってくれ。
桃花の頭は混乱する。
今までなら絶対1人で息を殺して静かにしていた。
何もしない方が邪魔にならない……けど……
何故だろう。落ち着かない。
もし、もし私が好き勝手自由にやるとしたら。
心のまま従うとしたら。
戸の前まで行ってノックする。
咳き込む声が聞こえた
「あの、ご飯……」
「自分の飯くらい、自分でどうにかして……ゲホ」
「暁峰様の分もお粥作っても良いですか……」
「作れたの、君」
そろりと戸を開けて、頷いてみせる。
「じゃぁ……頼もうかな」
頼む。暁峰様に頼まれた!
「はい、はい。もちろんです」
何故だろう。
肉まんを買いに行ったり、洋服を買ってもらった時より桃花の心は喜びで打ち震えていた。
前日に残った白米を鍋に入れて煮る。
阿梅は電話で病気の時は卵粥が良いと教えてくれた。
お粥を差し入れようと戸まで行くと、話し声が聞こえた。
仕事の電話をしているようだ。こんな時までやらないといけないのだろうか。
だが、暁峰は無類の仕事好きだ。止めたら悲しむかもしれない。
電話が終わるのを見計らって入室する。
「失礼します……」
苦しそうに咳き込みながら床を指さしたので、そこへ置いた。
「どーも」
「身体。熱いですか……?」
いつになく顔が赤い。メガネをかけていないので、ぼうっと熱に浮かされたような顔がよく見えた。
桃花にはこの状態がひどいのか酷くないのか見当がつかなかった。
大変な事態になっていたらどうしよう。
バクバクと心臓が鳴って冷や汗をどっと出る。
そんな桃花を見て、暁峰は笑った。
「君の方が体調悪そうじゃないか」
「え、あ。ごめんなさい……」
よっこらと彼は立ち上がる。
「そんな悪くないよ。咳は出るけど……ゲホ」
「あの、どちらに」
「薬。あとついでに氷枕」
手招きされて、桃花は付いていく。
「夕方から熱酷くなるかもしれないから、その時に頼むね」
場所を教えてくれようとしているらしい。
桃花は懸命に頷く。
「俺は君が風邪ひいた時看病するか分からないから、自分のためにも覚えておくと良いよ」
体調が悪いくせに軽口は健在のようだった。
***
自ら言った通り、暁峰は夕方から熱がひどくなり息苦しそうだった。
仕事の電話が鳴っているがもう取るのも難しい。
氷枕をまめに替え、水を持って来て、食事を作って薬を持って来て。
様子を見に行くたびに、桃花は心配だった。
彼女は、暁峰の事が気になって夕飯もろくに喉を通らない。
寝れないのもあって、水を持ってきたり枕を取り替えたりと、夜通し看病していた。
物を知らない彼女は、暁峰が死ぬんじゃないかと不安で仕方がなかった。
気づくと朝日が差していて、床で寝てしまっていたことに桃花は気づいた。
「そんなんじゃ君も風邪引くよ」
掠れ声で暁峰が桃花を見ながら言った。
熱を測ると、だいぶ落ち着いたようだった。
「……ずいぶん世話になっちゃったね」
「好きでやった事です」
「そっか。……でも……ありがとう」
素のままの彼の言葉だった。
まだ熱があるのか、それとも照れているのか。
彼の顔は赤かった。
桃花も照れて何も言えなくなったが、少しして素直な気持ちを暁峰に伝えた。
「家族って、こういうものなんですね、きっと。こうして好きで、世話を焼いてしまうんですね。心のままに動いたら体も動くんですね」
「……」
「人生で一番頑張りました。一番心配で、一番怖くて、一番祈りました」
「大袈裟……じゃないんだろうね、君にとっては」
桃花は頷く。
「俺も君がこうして倒れたら、一番心配になるのかな。あんまり想像がつかないよ」
「私も、暁峰様がこうなるとはとても……でもお優しいですから、看病して下さる気がします」
「優しいわけないだろ、俺が」
「え……」
彼の声音には、いつものように揶揄う様子がなかった。
「世間知らずだね、君は。俺がどういう仕事をしているか知る由もないんだろうな」
「悪い噂は聞いていますが……」
「それでも、本当のところは見ていないだろう。聞くのと見るのじゃ全然違う。ましてや、やるのなんて」
話し過ぎたのか、暁峰の咳がひどくなった。
桃花は急いで水を渡す。
「今度、俺の仕事をちゃんと見るかい?——桃花」
真剣に言われて桃花はすくんだ。何を見せられるのだろう。
「優しくないところが見えると思うよ。そうすれば、俺が言う“優しい”が皮肉だって気づく」
どう言ったら良いかわからなくて顔を青ざめさせていると「君もちゃんと寝た方が良い」と言われた。
桃花は自室へ帰った。
戸が閉まった後、ポツリと呟く。
「君には本当の俺を知らず生きて欲しいんだけどね」
次回 桃花に仲の良い男友達ができて……




