第五話 あなたから貰った言葉
桃花が暁峰の屋敷に来て一月が経った。
その間、暁峰は比較的早く帰って来て、一緒に夕食を取ることが多かった。
これは、桃花にとって意外なことだった。
「好き勝手自由に生きろと言っているんだよ」
桃花は周家に嫁ぐ際、ひどい噂を聞いていた。
金の亡者の悪人だとか、深く関わったら殺されるだとか、女遊びが激しいだとか。
誇張されただけでそれらは大体事実であったのだが、桃花から見た暁峰はそうでもなかった。
金が好きなのはその通りかもしれないと、桃花でさえ思ったが。
でも、好きに生きろと言ってくれた。
最初に会った日に暁峰から言われたこの言葉に、桃花はひどく心を揺さぶられていた。
好きに生きて良いんだ。
籠の鳥だった。見飽きた景色を繰り返し、四季が移り変わるくらいしか時間の経過を感じるものがなかった。
狂いそうな18年で桃花はとても正気を保てず、ほとんど感情を失った。
蔑まれても何も感じなくなっていた。
カラクリのように「すみません」「ごめんなさい」と繰り返すだけだった。
それがだんだん気味悪がられ、家族の誰も相手にしなくなると、唐突に桃花は放り出された。
私って物みたい。
いや、物なんだ。
そう思って屋敷にいた時以上に暁峰の家でぼんやりと過ごしていたら、ある日玄関から音がした。
教えられた通りに旦那様を、暁峰を桃花は出迎えると、彼はひどく困惑していた。
また放り出されそうになったので、さすがに桃花は食らいついた。
もういよいよ居場所がなくなって、路頭に迷うことになる。
そう思ったわけだが、よくよく考えてみれば感情がない桃花にとっては路頭に迷うなどどうでも良かったはずだ。
何でだろうね。
桃花は庭でポツリと呟いた。
頃合いになったので、阿梅の元へ行く。阿梅はこの家唯一の侍女だった。
「奥様、無理はなさらないで下さい」
「分かりました」
桃花は最近阿梅の手伝いをしていた。
尤も、知識も経験も、ましてや体力もない桃花では手伝いではなく足手纏いだろうがやらせてもらっていた。
楽しい事をするんだよ!
楽しむために人生はあるだろう!!!
暁峰の言葉はいつも桃花に新しい気づきをくれる。琴を買ってくれたくせに、他のことをやれと言う。色々経験しろと。
それならばと思い、体力作りがてら掃除やら洗濯やらをやらせてもらっていた。
18年間ろくに動いていなかった体には、家事も重労働だった。
すぐにふぅふぅと息が荒くなる。
でも、楽しい。何でも楽しい。暁峰様の言った通りだ。琴よりも楽しいことはたくさんあるんだ、きっと。
「阿梅さん、暁峰様はすごい方ですね」
「奥様も負けてはいませんよ」
「え?」
「あの暁峰様が週に5日家に帰ってくるようになったのですから」
「でも、帰って来ても仕事をしていますし、あれも効率が良いからで……」
「そうかもしれませんが、その気づきを与えて下さったのは桃花奥様です」
そうなの、かな?
ちくっとしたと思ったら、手に木屑が刺さっていた。
「奥様の綺麗な白い手が!」
「いいんです。こんな白い手より、働いた手の方が素晴らしいです」
暁峰の手はペンで黒かったし、タコもあった。そんな手で頭に触られて、桃花はとても嬉しかった。
「阿梅さんの手も、素敵です」
桃花は、阿梅の手を包み込むように握った。
***
「はァ?家事をやってたの?」
その日の食卓で、暁峰は理解できないという風な顔で言った。
「家事しなくて良いように、侍女に金を払ってるんだけど」
「ちょっと、やってみたくて……」
「まァ、君が家事をしてくれたら侍女を雇う必要が無くなるから節約にはなるけど……名家出身のお嬢様で、周家の妻である君がやる事じゃぁない気がするなァ」
ポリポリと漬物を食べながら暁峰の言った言葉に、桃花は慌てる。
「阿梅さんを辞めさせないでください」
「それは君次第だよ。君がせっせと家事をすればするほど侍女の給金が下がって、しまいには解雇だ」
阿梅を前にしても暁峰はケラケラと笑っていた。
「そんな事はほどほどにして、流行りの小説だとか、遊びだとか、ファッションだとか、そういうのやったらどうだい?」
「えっ」
「友達がいないから、情報を仕入れる方法がないか。街歩きを2人で長時間させるのもなァ」
あ!と暁峰は何かを思いついた顔をした。
「俺の仕事に着いてきたら良い」
***
暁峰と桃花、そして金鴻商会の人間で龍津街を歩く。
世間知らずの桃花でも、この街歩きが通常のものではないと分かった。
「今何をしているんですか?」
「ん〜?警備?」
「何かを守ってるんですか?」
「変な奴が変な動きしてないかな〜とか、ちゃんと働いているかなァ?とか?」
ゾロゾロと5人ほどで歩く姿に威圧感があるのか、関わり合いにならないようにする人間も多い。
一方で、暁峰ににこやかに対応する人間もいた。
不思議だなぁと桃花はその光景を見ていた。
「ほら、桃花妹ご挨拶して」
「えっ」
トン、と背中を押され、商店のおばさんの前に出される。
「阿嬸景気どう?」
「ぼちぼちよ、暁峰様」
「この子」
「あ、あのっ、暁峰様の」
「養子を取ったんだ」
え?
「養子?何でまた」
「可愛いし賢そうな子だから、秘書にちょうど良いかと思って育ててみようかと。名前は桃花」
「へぇ。暁峰様自ら育てるなんて、珍しいですねぇ」
「たまにはね」
ケラケラという笑い声を、桃花はどこか遠くで聞いていた。
暁峰に肩を抱かれて阿嬸から離れる。
「悪いねェ桃花妹。君がうちの家族になった以上街の人達に紹介したいんだけど、今のナリじゃぁ俺の外聞が悪いんだ」
「え……」
暁峰が歩きだしたので、桃花も急いで隣に着く。
「ちゃんと栄養あるもの食べてたの?」
「えっ……多分……」
「良いもの食べないと大きくなれないよ〜。そうだなァ、あと2年くらいして君が大きくなったら、お嫁さんってことにしようかな」
「お嫁さん……」
妻というと役割という感じだが、お嫁さんはどこか可愛らしくて桃花は嬉しくなった。
「大きくなります。暁峰様にとって恥ずかしくないお嫁さんになります」
「ん〜頑張って」
ケラケラとまた暁峰は笑っていた。
「さァて。何か気になるお店はある?」
「洋服が欲しいです」
「いいねェ。そういうのだよ」
店に入ると、カラフルな洋服達に桃花は目が回りそうになった。
「店員さん、今の流行りって何?」
「いらっしゃいませ暁峰様。あら、ずいぶん可愛い子を連れてますね」
「俺のお気に入りの子」
「まぁ。優秀なのね、あなた」
綺麗な女の人にジロジロと見られて、桃花は恥ずかしかった。
だが、胸も大きいし背も高いしスタイルも良い。桃花が目指すべきはこれだと思った。
「あの……どうしたらお姉さんのようになれますか」
「まぁ〜こんな良い子どこで見つけて来たの?暁峰様」
「あげないよ。タダじゃね」
ケラケラと笑う暁峰。
「桃花、どんな服が欲しい?」
「暁峰様と同じ物が欲しいです」
ピシと固まる暁峰
先ほどの笑い顔が引き攣っている。
グイと首根っこを掴まれ端っこでお説教が始まった。
「桃花妹?俺が妻じゃないって紹介したの実は根に持ってるのかなァ?君が妻だとしても、ペアルックだとかお揃いだとかは御免だからね?」
「え……あ。暁峰様が着ているような、ズボンの服が良いという意味でした」
「……」
早とちりをして気まずそうにする暁峰。桃花はその様子を見て謝った。
「ある程度簡素な服も必要だから、そういうのも買おうか」
「よろしくお願いします」
***
「あのスイーツ最近流行ってるみたいだよ。エッグタルトと言うらしい」
「えっぐたると……」
街歩きをしていると、人集りのできている場所を暁峰は指差した。
主に若い女性が詰めかけている。
部下が店舗に行き、買った物を店先で渡された。
「はい。どーぞ」
「……」
「あの、暁峰様……」
口元に出され、桃花は困惑する。
「齧り付いていいよ?」
そんなはしたない事して良いのだろうか?
だが、これが作法なのかもしれないと思った桃花は思い切って齧る。
「小さい口だねェ。お上品お上品」
桃花に渡すと自らも食べ始め「ん、なかなか美味いね」と呟いていた。
暁峰も初めて食べるものだと知った桃花は嬉しくなった。新しい物を共有できた気がして。
「甘いです」
「本当だね。カスタードクリームが甘い」
「暁峰様は甘い物を召し上がりますか?」
「ん?好きだよ」
「私も甘いの好きです。お揃いですね」
「そういうお揃いなら良いね」
僅かに息が漏れるようなふ、とした笑い。
違う笑い方を見て、桃花はそういう笑い方も好きだなと思った。
「桃花妹これ食べたら先帰ってな。疲れたろう。部下に送らせるから」
「分かりました。今日はとても楽しかったです。ありがとうございます」
「仕事に付き合わせる感じになって悪かったね」
「いいえ。また楽しい思い出ができました」
このエッグタルトの甘さも、お揃いの話も、忘れないだろうと桃花思う。
暁峰の気遣いを。
この暖かさでいっぱいな心を。
「街歩いたくらいで大袈裟だよ……君は本当に箱入り娘だねェ」
ケラケラと笑う暁峰を見て「そうなのかな?」と桃花は思っていた。
次回、少し物語が動き始めます




