生還
降り注ぐ赤黒い血の霧が、冷たい石像の表面に吸い込まれていく。
張り詰めた静寂の中、パキリ、と硬質なひび割れの音が響いた。
それを皮切りに、アルスたちの身体を覆っていた灰色の外殻が、光の粒子となって剥がれ落ちていく。じわりと、血色の良い肌が、見慣れた衣服の色彩が蘇る。
「……う、あ……」
最初に声を漏らしたのは、セシルだった。ゆっくりと、奇跡に身を震わせながら、仲間たちが次々とその場に崩れ落ちる。彼らを抱きとめたのは、自らの血を捧げた遺族たちだった。
「セシル! 無事か、セシル!」
「ライラ……ああ、神様、ライラ……!」
泣き叫び、互いの生存を確かめ合うように強く抱き合う家族たち。その光景を、法王セバスチャンは満足そうに、いつもの穏やかな笑みを浮かべて見つめていた。
致死量の血液が必要──それは、聖職者としてのささやかな「脅し」、あるいは命を弄ぶ魔物の呪いに立ち向かう遺族たちの覚悟を試すための、方便だったのだろう。誰一人として命を落とすことなく、全員が無事に、その温かい生を奪い返した。
アルスたちを無事に助け出せた。その安堵が、俺の胸を包み込む。
だが、感動の余韻に浸っている暇はなかった。レアストーンの光に照らされたこの大部屋には、未だ何十体もの「名もなき石像」が立ち並んでいる。
(そうだ……まだ、いる。ここにいる奴らを、全員救えるのなら)
今の俺には、ベロニカという至高の権力がある。この部屋を救助用の拠点とし、国中の血縁者を探して集めれば、この迷宮に囚われたすべての命を救い出せるかもしれない。
「セバスチャン。ただちに城へ早馬を飛ばしなさい。ここに立ち並ぶ者たちの身元を特定し、二親等の親族を力ずくで書き集めるのよ。できるだけ沢山のひとを、一人残らず救い出します」
俺の傲慢な、だが確かな意思の籠もった命令に、セバスチャンは深く頭を下げた。
「王族のお遊びも、ここまでくりゃ本物だな」
ガレスが、不器用に目を真っ赤に腫らしながら笑った。その隣で、ようやく意識のはっきりしてきたアルスが、俺の前へと進み出て跪く。
「姫殿下……本当に、ありがとうございました。このご恩は、一生忘れません」
頭を垂れ、忠誠を誓うアルス。だが、言葉を続けるうちに、彼は面を上げ、俺の顔──ベロニカの容貌を凝視して、不思議そうに眉をひそめた。
「……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
不思議な感覚だった。
きっとベロニカ姫とアルスにはなんの接点もない、もちろん会ったことすらも。
だが、俺はアルスに入っていた。それが本人にも伝わっている?
それはそれで話がややこしくなる。
俺は扇で口元を隠し、冷徹な王女の声を響かせた。
「いいえ。ただの、王族の気まぐれよ」
ガレスの言葉をそっくりそのまま借りて、不敵に微笑みアルスから視線を逸らした。
そして、大きく腕を振り、これからの代休出撃に向けて息巻いた。
「さあ、忙しくなるわよ。みんなを助け出すわ!」
目の前の難題は一つずつ片付いている。アルスたちを助け、ここにいる全員を救い出したら、今度はベロニカの呪いを解く番だ。この精鋭たちを引き連れていれば、世界のどこに隠れ潜む魔物だろうと、絶対に負けるはずがない。
未来への確信に、胸を高鳴らせた──まさに、その刹那だった。
「ごふっ!?」
視界が、文字通り真っ赤に染まった。
経験したことのない、凄まじい質量。内臓のすべてがひっくり返ったかのような衝撃と共に、ベロニカの小さな口から、大量の赤黒い鮮血が噴き出した。
「姫殿下!?」
「ベロニカ様!」
ガレスの、ベアリウスの、絶叫が遠く聞こえる。
床に飛び散る大量の血飛沫を見つめながら、俺の意識は急激に、暗黒の底へと引きずり込まれていった。




