精鋭部隊
かつて俺がアルスとしてこのS級ダンジョン『黄泉の揺り籠』に挑んだときは、入り口近くに群生する、ただの雑魚魔物にすら、俺たちは文字通り死に物狂いで剣を振るった。
一歩進むたびに血を流し、息を震わせ、セシルやライラ、フィフィの魔法でなんとか命を繋ぎ止める。盾が砕け、視界が恐怖で歪む中、ただ泥を啜るようにして前へ進んだのだ。
だが、今の光景はなんだ。
大気を震わせる重厚な咆哮と共に、ダンジョンの暗闇から全身を硬質の黒曜石で覆われた、身の丈十メートルを超える岩の化け物が現れた。
「門番グラファイト・ゴーレムか、やっかいだな」
ガレスが溜息交じりに言った。
こんな奴、俺が来たときは居なかった。いや、もしこんなのが初っぱなに現れていたなら、あの時の俺たちは速攻で諦めて引き返していただろう。それくらいに圧倒的な絶望感が場に漂っていた。
「姫殿下、下がっていろ!」
ガレスが剣を抜き、俺の前に立ちはだかる。だが、その必要すらなかった。
「ふむ、私の『覇道』の歩みを遮るには、少々格が足りんな」
そう言って一歩前に出たのは、王国騎士団団長ベアリウス。
大剣を抜くことすらしない。ただ、腰に帯びた鞘の柄に手をかけた瞬間、彼の周囲の空間が、目に見えるほどの重圧で歪んだ。
「失せよ」
彼の剣が奔った瞬間、ゴーレムの巨体だけでなく、その背後の空間ごと世界が割れた。大気が爆鳴を上げ、十メートル超の岩塊が、まるで紙細工のように真っ二つに両断される。一振りで空間を断つ。覇道の体現者。その二つ名は伊達ではなかった。
「ベアリウス、相変わらず品のない戦い方ですね。私のドレスに石粉が飛び散るではないですか」
呆れたような声を上げたのは、王立魔法学園学長ヒュルメイルバイガー。
冷徹な細目をさらに細め、手にした白銀の杖を軽く地面に突き立てる。呪文の詠唱すらない。ただの、魔力の解放。
「凍てつけ」
両断されてなお暴れ狂おうとしていたゴーレムの破片、そして周囲から這い出てきた無数の上位魔物が、一瞬で静止した。炎を吐き出そうとしていた魔物の業火ごと、彼の放った冷気が世界を白く染め上げる。
氷の彫刻と化した魔物たちは、自重に耐えかねてガラスのように粉々に砕け散った。絶対零度の賢者。無敵が過ぎる。
さらに、ダンジョンの奥から気配もなく数匹の暗殺型の魔物が俺の背後に迫る。ガレスが反応するよりも早く、影が、爆発した。
「姫様の視界に、醜悪なものを映すな」
低く、冷ややかな女性の声。
影から滑り込んできたのは、隠密頭ヴァイオレット。彼女が通り過ぎた後には、銀の糸が空間に複雑な幾何学模様を描いていた。一瞬の遅れののち、魔物たちの首が一斉に地面へ転がり落ちる。
「千の絶命。その刃に触れて生き残る者はいない」そのガレスの言葉に嘘はない気がした。
「おやおや、皆さん血の気が多い。これでは私の出番がありませんね」
最後方で、豪奢な聖印を弄びながら朗らかに笑うのは、法王セバスチャン。彼がそこに佇んでいるだけで、ダンジョン特有の不気味な瘴気が瞬時に浄化され、陽光のような温かさが場を満たしていく。
「極楽浄土……彼が同行している限り、この部隊の死は完全に否定される」
ガレスが目を輝かせてそう言った。
かつて俺たちが命を削りながら必死で潜った地獄が、この化け物たちの前では、ただの散歩道に成り下がっていた。
「……圧倒的だな」
ガレスが、驚愕に目を見開いたまま呆然と呟く。
この人達なら、どんな敵が来ても平気だろう。
しかし、ダンジョンが進むにつれ、別の問題が俺たちの前に立ちはだかった。
この『黄泉の揺り籠』は、狂ったように複雑に入り組んだ蟻の巣のような迷宮だ。どれだけ戦闘で無双しようとも、肝心のアルスたちが石にされた部屋がどこにあるのか、まるで見当がつかない。恐怖に支配された俺の記憶は、ルートの案内には何の役にも立たなかった。
焦りが、じわりと胸の奥を焼き始める。もたもたしていれば、あいつらの精神が先に壊れてしまうかもしれない。
(どこだ……どこにいる、アルス……!)
暗い記憶の底を必死に引っ掻き回す。アルスだった時の、あの最悪の最後の瞬間。
そうだ。あいつらを石に変えた魔物が居た部屋。そこには、部屋の壁一面を埋め尽くすように、不気味に明滅する巨大な鉱石があった。
今なら分かる。あれは間違いなく、レアストーンだ。
俺はすぐさま、ベロニカの魔力を総動員して探知のスキルを使った。
「見つけた」
脳裏の地図に、一箇所だけ、異常なまでの高濃度で魔力を放つ光点が浮かび上がった。間違いない、あの場所だ。
「皆さん、私についてきなさい。案内するわ」
俺はドレスの裾を翻して先頭に立った。
驚きに目を見張る強者たちと、ガレスの視線を背中に浴びながら、俺は迷いなく暗黒の通路を進む。
アルス、みんな、必ず助けてやる。




