精鋭部隊
「国中の回復術士を呼べ。一人も漏らさずに」
離宮のバルコニーから放たれた俺の一言は、目に見えない巨大な歯車を回した。
女に転生したのは想定外だったが、この「王女」という権力は、前世の俺が想像もしなかったほど残酷で、そして効率的だった。
言葉一つ。それだけで、その日のうちに五十人もの術士が招集された。
離宮の奥、最高級の香油が焚かれた寝所に、焦点の合わない瞳で横たわるトーチャー。
「誰でもいい。この人を治せ」
俺は扇で口元を隠し、冷徹な声を響かせる。
一人、また一人と、術士たちがトーチャーに触れていく。だが、肉体の欠損ではなく「脳」という領域への介入は一介の術士には荷が重いらしく、何もできぬまま首を横に振った。
失敗し、膝をつく術士の首根っこを、兵士が容赦なく掴み、引きずり出そうとしたその時だ。
「待ちなさい」
俺の声に、兵士の手が止まる。
「その方達には、そのまま帰ってもらいなさい」
そう付け加えなければ、俺のワガママで集められた人たちが、よからぬ罪状で過酷な罰を与えられるかもしれない。それだけは避けねば。
その時、群れの後ろにいた一人の老術士が、震える声で告げた。
「……傷ついた脳細胞を治すには、古代の伝承にある『竜の鮮血』が必要かと存じます。なれど、それは……」
「竜、か」
俺は疑念の目を向ける。
ここが異世界ということを忘れるほどに、権力という力に溺れていた。
なら竜もやっぱり実在するんだろう。
「ならば、この国の威信にかけて屠るのみ。国の全勢力をかき集めろ」
その一声で集まった面々。
勇者。賢者。騎士団長。
人間、獣人、亜人まで居て、まるでサーカス団のようだった。
そして、その中に、俺の知っている顔が居た。
ガレス。
かつて俺を拉致し、暗い地下へと突き落としたあの男が、今は泥にまみれた膝を俺の前でついている。
この男も精鋭? なんで俺をあんな目に──。
俺は煮えくり返る憎悪を王女の仮面の下に隠した。今はトーチャーを治すことだけが重要だ。
竜の討伐隊出発の日、ただの好奇心から俺も同行すると言い張ったが止められた。
「ベロニカ……もう、無理はしないで」
王妃──ベロニカの母親が、縋るような手つきで俺の肩に触れた。その瞳には、娘を案じる親心を超えた、底なしの絶望と悲しみが淀んでいるように見えた。流石に心配かけすぎか。
王様もまた、何かに追い立てられるように狂奔していた。
「時間がない。レアストーンをすべて魔道具へ注ぎ込め! 探知スキルを持つ者を、一人残らず洗い出せ!」
またトーチャーのような犠牲者を増やすつもりらしい。それだけは止めないと。
「あんなやり方では、民の不信感を買うだけです。他の方法を……」
魔族が悪いのは分かるが、人を犠牲にするのは間違っている。もしかしたら娘の言葉に耳を傾けてくれるかもしれない。
「……お前のためにやっているのだよ、ベロニカ。すべては、お前のために」
その言葉が、ひどく不吉な呪文のように背筋を這った。
ベロニカのため? 理由を探ろうと思った日に、討伐隊が帰還した。
流石、精鋭部隊。誰も欠けることなく竜の首を持ち帰った。ガレスの姿も確認できる。
無事に目的を果たした時は、ノエルを連れてくるように命令も出していた。
目覚めた際に、その姿があればトーチャーも喜ぶに違いない。
そして奇跡は、血の匂いと共に訪れた。
竜の血を使った儀式でトーチャーの瞳に、確かな光が宿る。
「……ノエル?」
掠れた、聞き慣れた声。
「トーチャー! ああ、トーチャー……!」
ノエルが、崩れるように彼の胸に飛び込んだ。泣きながら抱き合う二人。
俺は、その幸福な光景を、物陰から盗み見るように眺めていた。
自分の男としての心が、彼女を救えた安堵で震え、もらい泣きしそうになる。
そこに嫉妬がないと言えば嘘になる……けど、これでいい、これがこの世界のあるべき姿だと思った。
そうだ、俺は俺の犯した罪を償う。
いいぞ。この力があれば、アルスたちも救い出せる。
そう確信した瞬間、肺の奥からせり上がる、焼けるような熱。
「……っ」
咄嗟に口を押さえたハンカチに、鮮烈な赤が広がった。
不自然なほど黒ずんだ血だった。




