第45話 もう一歩だけ
毎日20時投稿
中層に降りるまでの足取りは、すでに迷いがなかった。
ダンジョンに入ってから、十日ほどが過ぎている。
最初の数日は浅い層で戦闘を繰り返し、その後は中層手前で狼やゴブリンを相手に動きを確かめた。
小さな傷は増えた。
腕や肩に、浅い切り傷や打撲の跡が残っている。
だが、それは失敗ではない。
経験だった。
「最近、戻るの遅くなったね」
リアが言う。
「ああ」
ロイは短く答えた。
戦闘時間が長くなっている。
避ける戦いを減らし、戦う回数を増やしているからだ。
以前の自分ならやらなかったことだ。
だが今は違う。
巨大蜘蛛の速さを知ってしまった。
あれに届くには、まだ足りない。
中層の空気は湿っている。
壁に絡む糸の量も増えていた。
巨大蜘蛛の領域には近づかない。
だが、その手前。
中型蜘蛛が巡回する範囲までは、今日は入る。
「行くの?」
リアの声は、少しだけ慎重だった。
「ああ」
ロイは頷く。
「逃げられる位置でやる」
それだけは守る。
撤退できる距離。
視界の開けた場所。
通路までの動線。
すべて確認してから進む。
気配はすぐに見つかった。
壁を這う音。
糸が擦れる小さな振動。
中型蜘蛛だ。
人ひとり分ほどの大きさ。
巨大蜘蛛とは比べものにならないが、それでも十分に危険な相手だった。
「来る」
ロイは槍を構える。
距離を測る。
狼とは違う。
重い。
だが速い。
踏み込みが直線的ではない。
最初の攻撃は避けられた。
横へ跳び、糸をかわす。
すぐに槍を突き出すが、届かない。
脚で弾かれる。
「……硬いな」
予想以上だった。
狼のように簡単には崩れない。
もう一度糸が飛ぶ。
今度は切り払う。
粘つく感触が腕に残る。
動きが一瞬だけ鈍る。
その隙に距離を詰められる。
速い。
だが、見える。
何度か攻防が続く。
息が上がる。
槍の重さが腕に残る。
だが――理解できてきた。
糸を出すタイミング。
踏み込みの癖。
脚の動き。
「ここで逃げれば助かる」
頭のどこかが冷静に判断していた。
通路までは遠くない。
今なら離脱できる。
だが、ロイは動かなかった。
もう少し。
あと一つだけ。
この距離を覚えたい。
その一瞬だった。
二本目の糸が飛ぶ。
一本は見えていた。
もう一本を見落とした。
足首に絡む。
「……!」
引かれる。
体勢が崩れる。
すぐに切ろうとするが、遅れた。
中型蜘蛛が踏み込む。
距離が近い。
槍を構える余裕がない。
牙が迫る。
避けきれない。
鈍い衝撃と同時に、強い痛みが走った。
息が詰まる。
視界が揺れる。
体から力が抜けていく。
床に倒れながら、ロイは理解していた。
ああ――。
「これが……届く距離か」
巨大蜘蛛より小さい。
だが、十分に速い。
この距離で判断が遅れれば終わる。
それが分かった。
痛みはある。
だが、恐怖は少なかった。
むしろ納得に近い。
足りなかったものが、ようやく形になった気がした。
意識が暗く沈む。
音が遠ざかる。
最後に見えたのは、揺れる糸だった。
次の瞬間。
見慣れた天井が視界に戻る。
朝の光。
静かな部屋。
ロイはゆっくりと瞬きをした。
「……」
体は無傷だ。
痛みもない。
だが、距離の感覚だけは残っている。
「今回は早かったね」
リアが言う。
責めるでもなく、ただ事実を述べるように。
ロイは小さく息を吐いた。
「ああ」
そして、静かに続けた。
「……分かった」
何が危険で、どこまで踏み込めるのか。
ようやく、少しだけ見えてきた。
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