第42話 届かない
毎日20時投稿
巨大蜘蛛の巣へ向かう足取りは、これまでで一番静かだった。
焦りはない。
無理もしていない。
ただ、手順をなぞっている。
何度も頭の中で確認した動き。
中型蜘蛛の巡回。
火を使う位置。
後退する通路。
すべて、前回の失敗から修正してきた。
「今日は行けそう?」
リアが小さく聞く。
「分からない」
ロイは正直に答えた。
「でも、試す価値はある」
それだけの準備はしてきた。
慢心ではない。
ただの判断だ。
中層の空気は重い。
糸の量は相変わらず多いが、もう見慣れていた。
進む速度は一定。
無駄な戦闘はしない。
小蜘蛛は無視し、中型蜘蛛の気配だけを警戒する。
巣の外縁に到達する。
巨大な影が、奥で静かに沈んでいる。
まだ動かない。
「……始める」
ロイは油瓶を取り出した。
火が走る。
糸が焼け落ちる。
煙が広がり、小蜘蛛が散る。
すぐに中型蜘蛛が反応した。
一体。
想定通りだ。
通路側へ引き込み、短い戦闘で仕留める。
呼吸は乱れない。
問題ない。
順調だ。
次の瞬間。
巣の奥で空気が震えた。
巨大蜘蛛が動く。
脚が持ち上がり、糸が軋む音が響く。
ロイはすぐに後退を始めた。
誘導は成功している。
距離もある。
ここまでは、完璧だった。
違和感に気づいたのは、その直後だった。
速い。
思っていたより、明らかに速い。
巨大な体が、信じられない速度で距離を詰めてくる。
「……!」
横に跳ぶ。
次の瞬間、糸が飛んだ。
空気を裂く音。
さっきまで立っていた場所に、白い糸が叩きつけられる。
「射程が……!」
想定より長い。
火で焼いた範囲の外から届いている。
もう一歩下がる。
その瞬間、足が止まった。
糸。
見落としていた細い一本が、足首に絡んでいた。
「しまっ――」
引かれる。
強い。
短剣で切ろうとする。
だが次の糸が腕に絡む。
さらにもう一本。
体勢が崩れる。
地面に倒れ込んだ。
「ロイ!」
リアの声が近い。
だが体が動かない。
糸が締まる。
切っても、すぐ次が絡む。
引き寄せられている。
巨大蜘蛛が近づいてくる。
一歩。
また一歩。
床が震える。
距離が縮まる。
「……くそ……!」
油瓶を投げようとする。
だが腕が上がらない。
糸が食い込んでいる。
力が入らない。
逃げ道がない。
その時、ようやく理解した。
足りなかったのは準備ではない。
経験だ。
この距離、この速さ、この圧。
一度も真正面で受けたことがなかった。
だから、判断が遅れた。
巨大蜘蛛が目の前まで来る。
影が覆いかぶさる。
牙が見えた。
黒く光る先端。
「……あーあ」
リアの声が、妙に軽かった。
「これは痛いやつだね」
苦笑する余裕はなかった。
次の瞬間。
鋭い痛みが体を貫いた。
息が止まる。
視界が白くなる。
毒が流れ込んでくる感覚。
心臓が暴れる。
呼吸ができない。
何かを叫ぼうとして、声が出なかった。
意識が沈む。
音が遠ざかる。
糸の感触も、痛みも、少しずつ消えていく。
最後に思ったのは――。
届かなかった、ということだけだった。
次の瞬間。
見慣れた天井があった。
朝の光。
聞き慣れた静けさ。
体は痛くない。
呼吸もできる。
現実感が戻るまで、数秒かかった。
「……」
瞬きをする。
横から声がした。
「起きた?」
リアが、いつもの位置で笑っていた。
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