第35話 見てはいけない大きさ
毎日20時投稿
中層へ降りる前から、ロイは今日は奥へ行かないと決めていた。
確認だけ。
状況を見るだけ。
戦うつもりはない。
「今日は慎重だね」
リアが軽く言う。
「昨日の時点で分かっただろ」
ロイは短く答えた。
「増えてる」
中型蜘蛛が二体いた。
それだけで十分だった。
あれが偶然ではないなら、奥に原因がある。
だが、それを確かめることと戦うことは別だ。
中層へ降りる。
空気が重い。
前よりも明らかに糸が増えている。
通路の端に張られたものだけではない。天井から垂れた糸が束になり、場所によっては壁のように視界を遮っていた。
「……昨日より多いな」
「うん」
リアも真面目な顔をしている。
軽口はない。
小蜘蛛が数体、壁を走るのが見えたが、ロイは追わない。
今日は倒すために来たわけではない。
慎重に進む。
足音を抑え、糸を不用意に切らないようにする。
しばらく進んだところで、通路の様子が変わった。
「……ここか」
思わず足が止まる。
通路の先が、糸で覆われていた。
薄い膜ではない。
幾重にも重なった太い糸が、天井から床まで垂れ下がり、柱のようになっている。
その奥は暗く、様子が分からない。
「多いね……」
リアが小さく呟く。
小蜘蛛が何匹も動いている。
そして、時折混ざる大きな影。
中型蜘蛛だ。
数がいる。
「……中心に近いな」
ロイは小さく言った。
ここが原因に近い。
そう直感できた。
その時だった。
奥の暗闇で、何かが動いた。
最初は分からなかった。
ただ、影が揺れたように見えただけだった。
だが次の瞬間、糸の束が大きく震えた。
一本の脚が、ゆっくりと動く。
太い。
中型蜘蛛とは明らかに違う。
壁に触れた脚だけで、大きさが分かる。
「……」
ロイは息を止めた。
全体は見えない。
だが、十分だった。
人間より、明らかに大きい。
それも一回りではない。
倍以上。
いや、それ以上だ。
影がわずかに動く。
糸が軋む音が、低く響いた。
それだけで分かる。
あれは、ここまで見てきたどのモンスターとも違う。
「ロイ」
リアの声が小さい。
ロイは答えなかった。
頭の中で計算している。
槍の間合い。
距離。
足場。
糸の密度。
中型蜘蛛の数。
そして、自分の動ける範囲。
結論はすぐに出た。
戦闘になった時点で終わる。
近づく前に糸に捕まる。
毒を受ける。
逃げ場はない。
勝てない。
単純な強さの問題ではない。
状況が成立していない。
ロイは静かに一歩下がった。
音を立てないように。
糸を揺らさないように。
もう一歩。
影は動かない。
こちらに気づいていないのか、それとも気にしていないのか。
どちらでも同じだった。
今は関係ない。
関わらないことが正解だ。
十分に距離を取ってから、ロイはようやく息を吐いた。
「……戻る」
リアは何も言わず頷いた。
軽口はなかった。
帰路は早かった。
戦闘は一度も起こさない。
小蜘蛛も無視する。
今日はそれでいい。
得るものはもう得た。
情報だけで十分だった。
出口の光が見えた時、ロイはようやく足を止めた。
振り返らない。
振り返る必要がない。
「……順番を間違えたら死ぬな」
小さく呟く。
あれは、今戦う相手ではない。
準備が足りない。
装備も、情報も、方法も。
すべてが足りていない。
「でも、あれが原因だよね」
リアが言う。
「ああ」
否定する理由はなかった。
小蜘蛛の増加も、中型蜘蛛の出現も、すべてあそこに繋がっている。
東ダンジョンは、もう初心者向けのままではない。
変わり始めている。
ロイは空を見上げた。
時間は、残っていない。
だが、焦って踏み込めば終わる。
だから戻る。
準備をするために。
勝つために。
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