第29話 引き際
毎日20時投稿
中層に降りた瞬間、ロイは自然と歩幅を落とした。
意識してではない。
ただ、そうした方がいいと身体が判断していた。
「……増えてるな」
天井を見上げる。
細い糸が、昨日よりもはっきりと視界に入る。通路の角、壁の出っ張り、光の届きにくい場所ほど密度が高い。
一本一本は細い。手で払えば簡単に切れる。
だが数が多い。
「うん」
リアも周囲を見回している。
「昨日より多い」
「まあ……増える時は増えるだろ」
そう言いながらも、ロイは槍の柄で糸を払いながら進んだ。
危険ではない。
ただ、集中が散る。
それが一番やりにくい。
最初に遭遇したのは小蜘蛛だった。
二体。
壁を伝って近づいてくる。
「またか」
槍を構える。
動きは速いが単純だ。距離を保てば問題ない。
一体目を突き、二体目を横に払う。戦闘は短く終わった。
「数が増えたね」
「だな」
ドロップした糸を袋に入れながら、ロイは周囲を確認する。
気配はない。
だが、以前より静かすぎる気がする。
狼の気配が遠い。
モンスターそのものが減っているようにも感じた。
「……まあいいか」
深く考えない。
ダンジョンは変化するものだ。
それ自体は珍しくない。
しばらく進んだところで、人の気配を感じた。
ロイは足を止める。
「……人だな」
角を曲がると、二人組の冒険者が壁際に座っていた。
年齢は三十前後だろうか。装備は使い込まれている。初心者ではない。
「ああ、悪い。通っていいぞ」
一人が手を上げた。
「休憩中だ」
「どうも」
ロイは軽く会釈する。
近くを通った時、視線が自然と装備に向いた。
革鎧の端が裂けている。
血は出ていない。刃物や牙の傷ではない。
擦れたような破れ方だった。
「……最近、蜘蛛多くないか?」
もう一人がぼやいた。
「増えてますね」
ロイは正直に答える。
「深層のやつが上がってきてんのかもな」
「まあ、たまにあるけどな」
最初の男が肩をすくめる。
「今回はちょっと多い気がする」
口調は軽い。
危機感はない。
ただの面倒事として扱っている。
それはロイも同じだった。
「糸に足取られてな」
裂けた防具を指でつまみながら男が言う。
「転びかけたところに狼が来て、焦った」
「怪我は?」
「かすり傷だけだ」
笑いながら答える。
だがロイには分かった。
あれは運が良かっただけだ。
中層の狼で転倒すれば、普通はもう少しひどいことになる。
「……気をつけます」
「おう。まあ、無理すんなよ」
軽いやり取りだった。
ロイはそのまま先へ進む。
少し離れてから、リアが小さく言った。
「怪我してたね」
「ああ」
「強そうだったのに」
「だからだろ」
ロイは短く答える。
「慣れてるほど、ちょっとした変化で崩れる」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
爺さんの声が、ほんの一瞬だけ頭をよぎる。
――楽な時ほど、崩れるのは早い。
「……」
ロイは小さく息を吐き、考えを追い払った。
まだそこまでじゃない。
その直後だった。
気配が一気に増える。
小蜘蛛が三体。
さらに奥からもう一体。
「……多いな」
ロイは即座に距離を取った。
倒せない数ではない。
だが、戦う理由もない。
糸が多い場所だ。動きが制限される。
「下がる」
「うん」
リアが即座に頷く。
ロイは後退しながら投擲ダガーを一本投げ、追撃を止める。蜘蛛は深追いしてこない。
縄張りの境界なのだろう。
距離が開くと、すぐに動きを止めた。
戦闘は起きなかった。
少し離れた場所で、さっきの二人組が驚いた顔をしていた。
「戦わないのか?」
「数が増えてる時は、倒すより抜けた方がいい」
ロイは淡々と答える。
「糸が多い場所は、足を取られます」
二人は顔を見合わせた。
「……なるほどな」
納得したように頷く。
だが、その表情には少しだけ驚きが混じっていた。
普通は、倒せる相手なら倒す。
それが冒険者の感覚だからだ。
その日の探索は、そこで終わりにした。
まだ余力はある。
だが、続ける理由がない。
出口へ向かいながら、リアが言った。
「今日は早いね」
「嫌な日は引く」
ロイは答える。
それだけだ。
無理をして得られるものは少ない。
商売も、ダンジョンも同じだ。
ロイが去った後。
通路の奥で、糸がゆっくりと揺れた。
切られた糸の振動が、さらに奥へ伝わっていく。
深い場所。
本来なら、まだ届かないはずの階層で。
何かが、ゆっくりと動き出していた。
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