『光陰矢の如し』 管理人側視点
あっという間だった。
月日の流れを、こんなに早く感じたことはなかった。
気が付くと、カロンとの再会から四年が過ぎている。
時の流れがはやいのか、僕自身の毎日が忙しすぎるのか、それとも僕の時間感覚のどこかを何者かが操作したのか、そのあたりのことは、まったくわからない。
しかし、そんななかでも、自分が引き受けたものに対しては、それなりの成果を残している。
まずは、聞き屋部門。
カモシン、ベッキー、ガウチをはじめとするバーシュウレインの各地のメンバー。それにシロワンミ氏。年齢や立場の違う人々から、様々な話を聞いた。その時の会話はすべて、ベッキーが用意してくれたボイスレコーダーに残してある。そしてそれを時々聞き返して、頭の中で要点をまとめたりしている。
聞いた話の中には、どうして、僕みたいな若造に、こんなきわどい話をするの? というようなものもあった。
カモシンも、その中のひとり。
「わたし、若いころ、あさりが大好物だったんです」
てっきり、貝料理のことだと思った。あさりのバター焼き。あれは僕も大好き。しかし、カモシンのそれは、男あさりのことだった。
「でも誰一人として、女の歓びを与えてくれた人はいませんでした。男を変えるたびに、今度こそは、と期待しました。でも、空振りの連続。
それを感じ取る何かが、自分に備わっていないことに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
それ以後、その遊びをぷつりとやめ、資産を増やす人生に切り替えたのです。
ところがある日の夜、奇蹟が起きました。身も心もとろけるような快感が、このわたしを包み込んだのです。
忘れもしません。ちぎれ雲さんが、わたしどものマンションに、聞き屋の名刺を持ってこられたあの日です。時刻も、まったく同じでした。
なにこれ? と思ったとき、それは身を焦がす火の玉となって、足の裏から、背骨を駆け抜け、脳天を突き破って、どこかに消えました。でも、そのときの余韻は、今でも体の芯の部分に残っているんです」
ゆうれい付きアパート部門も、順調。
でも、最初のうちは苦労した。というのは、アパートに棲み付いた得体の知れない住民との接触を試みた当初、僕は彼らを悪霊だと思い込んでいたからだ。でも、びびりながらも、何度も何度も接触を重ねるうちに、互いの心が通い始めた。
その過程の中で学んだことがある。彼らを、化け物とみるか、頼りがいのある用心棒とみるかで、彼らの態度が決まるのだ。
でも、どういうわけか、彼らは僕の頭の中のカロンに気づいていない。それと「しばし待たれよ」「チキンレース」の声の主は、住民の中にはいなかった。
その質問をしたときの、彼らの反応はこうだった。
「そんな話初めて聞いたぞ」「それって不法侵入者だろ」「祟ってやる。どこのどいつだ」「見つけたら、目ん玉引っこ抜いてやろうか」
でも彼らの根は優しい。
仲良くなった今、いろんな話を、教えてもらえるようになった。
ここに棲み付く以前の話。ここでの暮らしぶり。彼らから見た僕……等々。
だが、残念なことに、ぜんぶ中途半端。すべてが虫食い状態。破れと欠落部分の方がはるかに多い修復不可能なものばかり。
不思議なことに、何度訊き返しても、同じセリフしか返ってこない。それでも物語のひとつくらい作れるだろうと思っていた僕の期待は、見事に裏切られた。
そのことをメンバーに話すと、バーシュウレインの三人は、同じ答えを口にした。
「その欠けた部分は、自分で埋めろという意味だと思います。ちぎれ雲さんの頭の中に現れる映像と、シロワンミさんの耳奥から聞こえてくる声を組み合わせることで、ひとつの物語ができるはずです」
「そうですかねぇ」
気のない返事の僕に対して、僕のアパートとチカチカマンションを、やっと認識できるようになったシロワンミ氏の反応は違った。
すっくと立ちあがると、僕を見つめて宣言した。
「ちぎれ雲さんの役に立てるのでしたら、頑張ります。今日からギアをトップに入れ替えます。二か月待ってください。すべての音声データーを、文字に変換します」
シロワンミ氏は慎重派。大風呂敷を広げるタイプでもない。でも、いくらなんでもそれはないと思った。そのうち無理でした。申し訳ありませんでしたと、頭を下げる。彼のことだから、丸坊主になって土下座。他人ながら心配した。
でも、彼は、その半分の時間でやってのけた。
あまりの速さに驚いた。僕の場合、たった数十文字の名刺でさえ、キーボードで数時間かかった。
「どんな方法で変換したんですか? ボイスレコーダーの音声を聞くだけでも、326時間かかるといっていましたよね」
「これのおかげです」
にやりと笑った彼が見せてくれたのは、ごく普通のアイフォン。
え? これで? と思わず手元を覗き込んだ。
「ベッキーさんが、手配してくださったんです」
彼はその手順を実演してくれた。
「グーグルのアンドロイドでも音声入力はできますが、句読点の入力はできません。でも、アイフォンでしたら、句読点入力はもちろん、改行もできます。見ていて下さい」
彼はテーブルの新聞を手に取ると、途中何度か「まる」「てん」「かいぎょう」の言葉を挟みながら、記事の内容を声に出して読んだ。
「はい、こんな感じです」
半信半疑、新聞記事と液晶を見比べてみた。どこにも変換ミスはない。違いは、縦書きが、横書きになっただけ。読むのになんの支障もない。
「ねっ」シロワンミ氏は、すこし得意げな表情で、僕をのぞきこんだ。
「滑舌のわるいわたしでも、正確、かつ迅速な変換作業ができます。この際、ちぎれ雲さんも、この方式を取り入れてみませんか?」
すべての依頼を引き受けます。僕はそう誓った。でも、シロワンミ氏のその提案は、それとは別物。それに僕は本質的に、人の逆を行くのが好き。
「その時になったら考えます」
そういうと、彼は人懐っこい笑顔を浮かべて「人には、それぞれの生き方がありますもんね」といっただけだった。
四年という歳月の中で、真っ先に注目すべきは、カモシン、ベッキー、ガウチの変わりようだろう。
といっても、老化が進んだわけではない。その逆。年を追うごとに若返っていくように見える。
三人が聞き屋の僕に、ひとり一千万円。合計三千万円支払ったのは、功成り名を遂げた後の、虚しさと焦燥感に見舞われ、残された人生を有意義に過ごすためのアドバイスを受けるためだったらしい。もちろんそこには、彼らの守り神、お石様の予言も絡んでいたわけだが、それは別にして、僕はいままで、助言なんてものは一度もしていない。
しかし三人は、いう。
「何かが吹っ切れたのは、ちぎれ雲さんのおかげです」
先月、彼女らの招待で、東京ドームにポールマッカートニーの公演を見に行った。
オープニング曲の「ハード・デイズ・ナイト」が始まった瞬間、僕は呆気にとられた。他の四人が、いきなり泣き出したのだ。それも子どものようにしゃくり上げて。
理由を訊かないわけにはいかない。
「理由なんてありません。訳もなく涙が込み上げてきただけです」
バーシュウレインの三人は、口をそろえてそういったが、シロワンミ氏には、それとは違う理由があった。
「拳銃で撃たれた瞬間、ジョンの脳裏にどのような思いが駆け巡ったのだろう……そう思ったとたん、泣けて、泣けて……」
そのあと、消え入るような声でつけくわえた。
「ポールマッカートニーは、偉大なアーティストです。でも、ジョンの声のないハードデイズナイトなんて……」
ところで今僕は、画面の右隅で点滅をくりかえしているカーソルを、ぼんやり眺めている。
「あんな約束するんじゃなかった」
そのセリフを、何度も何度もつぶやきながら。
「みなさんから伺った話を、僕なりにアレンジして、ネットに載せます。どんな話になるのか、今はいえません。その日がくるのを楽しみに待っててくださいね」
全国から集まったバーシュウレインメンバーを前に、そんなことをいってしまった。口走ってしまった。なんの根拠もないまま、ただの勢いで。
その約束の日が、今日。なのにまだ一行も進んでいない。
追い詰められた今、気づいたことがある。
バーシュウレインの全国大会が終わったあと、カモシン、ガウチ、ベッキーの順に、アドバイスをくれたのは、今日のこの事態を見越してのことらしい。
「わたしの場合、本名でも構いません。わたしという人間がいたという足跡のようなものを残しておきたいだけです。個人情報なんて、どうでもいいんです。ネットに上げたとしても、読むのはメンバーくらい。それ以外の人は、見向きもしません。誤字脱字、そんなもの気にしないでください」
「他のメンバーの場合、こうしたらどうでしょう。男を女に、女を男に、北海道であった出来事を、九州に置き換える。そうすれば個人情報の問題は解決します。それに難しい表現も必要ありません。
わたしが聞いてもらったあの話の場合、この程度でいいんです。
むかしむかし、あるところに、あだ名がジュウリラという男の子がいました。その男の子は若くしてこの世を去りました。彼が死の間際につぶやいたのは、ある女の子の名前でした。その女の子がその事実を知ったのは、それから四十年余りあとのことでした」
結局僕が取り入れたのは、ベッキーのアドバイス。というか、彼女の質問が、結果的に、僕の方向性を決めたといったほうがいいのかもしれない。
「ちぎれ雲さんには、兄弟がいらっしゃるんじゃないですか?」
いきなり、頭の芯に痺れのようなものが走った。
「例の腹式七回シネマ館って、あのことですか?」反射的に、そういっていた。
でもベッキーの表情に驚きはなかった。
「そうです。あれをご覧になったら、いかがでしょう」
落ち着いた言葉の中に、僕が予想していたものはなかった。
「見たことはあります。でも、最初の部分をほんのちょっとだけです」とりあえずそう答えて、ベッキーがそれを言い出すのを待つことにした。
「いつごろですか?」
「僕と同姓同名の人物が、ネット上にあるって教えてもらったあの日です」
「いかがでしたか?」
短い質問の連続に、ベッキーの本心が垣間見えたような気がした。でも僕は、そのことには触れなかった。
「あれは参考にするようなものではありません。素人の僕でもわかります。描写がほとんどありません。同じような言葉が、だらだらつづくだけの」
「おっしゃる通りかもしれませんね」僕の言葉を遮ったベッキーは、笑顔のままつづけた。
「でもわたしがいいたいのは、そのことではありません」
来たぞ、と思った。身構えたが、違う方向からの攻撃だった。
「あの中には、我々バーシュウレインと似たような集団がでてきます。プロジェクトEDOです。それに、個人タクシーの運転手、郷土史家、トリエステという正体不明の女の子、」
「ちょっと待ってください」
無意識のうちに、話を遮っていた。
あれを書いたのは、僕だといいたいんですか? それを僕の口からいわせようと思っているのなら、回りくどい言い方はやめて、単刀直入に。
それを心の中でいった僕は、椅子から立ち上がった。自分の目で確かめてやる。でも、その結果は、誰にも教えない。
「晩飯の準備がありますので、これで」
そのやりとりを見ていたカモシンが、わざとらしく時計に目をやった。
「あら、もうこんな時間?」
そんなことはない。今、三時のおやつを済ませたばかり。
アパートに戻った僕が真っ先に向かったのは、パソコンデスク。
ノートパソコンの電源を入れるのは、数年ぶり。でも難なく立ち上がった。
久しぶりの画面を見て、初めて知った。
僕のノートパソコンのOSは、ウインドウズでもなければ、Macでもなさそうだ。
でもこの際、そんなことはどうでもいい。
自分の勘が正しいのかどうかを確認するだけ。
僕は画面中央にあるアイコンをクリックした。
思った通りだった、そこから先に進むには、六桁の暗証番号を打ち込まなければならない設定になっていた。
「ふーん、やっぱりね」
それだけつぶやいた僕は、そのままベッキーに電話した。
「文章を書くためのノートパソコンを用意してください。音声入力ソフトはいりません。キーボードで十分です」
「ねぇ、なにをしているところなの?」
切羽詰まった状態での間延びした声に、心が和むのを感じた。
「君からは見えないと思うけど、途方に暮れているところなんだ」
「それは、ここにいてもわかるわ」くすっと笑ったカロンは、適切なアドバイスをくれた。
「あなたの場合、コーラを飲めは気分がすっきりするんじゃなかったっけ?」
自分の余裕のなさを改めて知った。
「ありがとう。すっかり忘れていたよ」
いつものレギュラーサイズを、半分ほど飲んだところで、ふたたびカロンの声がした。
「まだ何も思いつかないみたいね」
僕は素朴な質問を返した。
「どうして、きみの位置からそれがわかるの?」
「だって、頭の中の動きに、なんの変化もないんだもん」
「なるほどね」僕はコーラを飲みながら訊いた。
「なんかいい方法があったら、教えて欲しいんだけど」
「いわなかったかしら、頭の中の整理は、あなたには無理だって」
即座に返ってきたちょっといらついた声に、僕は慌てた。
「いや、それじゃないんだ。今日中に、ネットにあげなきゃならないんだ」
「ネット? なにそれ」
締め切り時間が迫る中、その経緯を説明した。
みんなから聞いた話、シロワンミ氏から手渡されたデーター、腹式呼吸七回で浮かんできた映像、アパートの住民から聞いた摩訶不思議な話をシャッフルして、ひとつの物語に仕上げるつもりでいたけど、それが、形にならない。時間がない。
しばらくして、納得したような声が返ってきた。
「そっか、そっか。だからこんなふうに、頭の中がこんがらがっているわけね」
どんなふうに? といおうとしてやめた。無駄な質問のために、貴重な時間を使いたくない。
「ストーリー展開は決まっていたんでしょ?」
これも時間の無駄。笑われるだけ。そう思いつつも、藁にもすがる気持ちで、正直に打ち明けた。
「もちろんだよ。神隠しにあった娘さん、嫁姑問題、初恋の乙女心に、女好きな男を絡ませたサスペンスタッチ。それだけじゃ面白くないから、さらに輪廻転生」
言い終えないうちに遮られた。
「無理無理。それって、プロでも無理」
言わなきゃよかった。でも遅い。
「それは自分でもわかっている。でも、そのことに気付いたのは、つい最近なんだけどね」
言い訳にもならない言葉の途中で、気がついた。急に頭の中が静まりかえった。耳を傾けても、なにも聞こえない。呆れ果てて言葉もない。たぶんいまのカロンの気持ちは、そんなとこ。
これで万事休す。あとは延長を願い出るしかないと覚悟したとき、カロンの声が降ってきた。
「他人のことなんて、どうでもいいんじゃない?」
「どういうこと?」
「わたしだったら、自分の好きなことを書く」
その瞬間、僕の頭の中で何かが光った。




