ふたりぐらし
ふと、アンネリーゼはパーシヴァルを見つめる。
顔も知らない皇帝の話ばかりをしてしまった。
彼もまた、ラングフォード兵としてトルクメニアの解放のために戦ってくれたのだろう。
「パーシヴァルさんも、戦ってくれたのですよね。危険なことなのに、この国のために。ありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていない」
「皇帝陛下と同じ名前のパーシヴァルさんも強そうですね」
「そうでもない。兵として働き、空き時間には狩りをしていた。セゾンリーブス大森林は、格好の狩場だ。だが、森の奥に入り込みすぎてしまい、道に迷った。足を滑らせて川に落ちた。間抜けだろう」
あっさりと、彼はなにがあったか話してくれた。
彼の事情とは、そんな単純なものだったのかと、アンネリーゼは安堵する。
なにか深い悩みがあるわけでも、死に場所を探しているわけでもなかった。
よかった──と、ほっと胸をなでおろす。肩の力が抜けていく。
「間抜けではありません。森は危険な場所ですから。あまり、深く入り込んではいけません。迷いますし、おそろしい獣もいます。私の父も、おそらくは……大熊にやられて帰らぬ人になってしまいました」
「大熊?」
「はい。普通の熊よりもずっと大きいのです。炎のような毛並みをもっています。でも、森の奥にいかなければ出会うことはまずありません。普通の熊に父は負けるはずがありませんから、きっと大熊に出会ってしまったのです」
たぶん、そうなのだろう。
ケイオスの怪我はひどいものだった。熊ならば、狩ることができる。
もっと大きくて危険な個体と出会ってしまったのだろうと、アンネリーゼは母と話したことを覚えている。
実際見たわけではないものの、他に理由が考えられなかった。
「父を見つけられたのは幸運でした。森の奥で大怪我をしたら、命を落とすのが普通です。そしてその遺体は誰にも気づかれないまま森の一部になってしまう。セゾンリーブス大森林は豊かですが、入り込みすぎてしまうと二度と戻ってくることができないぐらい、怖い場所なのですよ」
アンネリーゼが森の危険性を説明している間、パーシヴァルはどうしてか、どこか懐かしそうに目を細めてそれを聞いていた。
その表情に含まれる意味は、アンネリーゼにはわからない。ただ、彼の手負いの獣のような警戒心は消えた。
信用してくれたのかもしれない。
アンネリーゼは、心の奥に小さな花が咲いたような喜びを感じた。
「パーシヴァルさんは、どこに住んでいるのですか?」
「……王都に」
彼の返答に、ぱちぱちと目をしばたかせる。
てっきり、セゾンリーブスの街に住む派遣兵かと考えていた。
旧トルクメニア王都は、セゾンリーブスからは馬で数日かかるほどの距離がある。
「馬は、街に預けてある。しかし……」
パーシヴァルは言葉を濁した。彼の足の腫れ具合からして、一週間程度の療養は必要だろう。
「怪我が治るまでは、ここにいてもかまいません。馬に乗るのも、今はまだやめておいたほうがいいかと思います。もちろん、あなたに急ぐ用があれば別ですが」
「いや。世話になる。……アンネリーゼ、感謝する。スープもパンも、旨い。久々に、旨い料理を口にした」
「それほどでもありませんよ。でも、ありがとうございます」
誉め言葉に、アンネリーゼは気恥ずかしくはにかんだ。
二階には、アンネリーゼの部屋のほかに両親の部屋がある。
長らく使用していなかったが、掃除だけはしていた。両親の部屋にパーシヴァルを通して、アンネリーゼは「では、おやすみなさい」と挨拶した。
「家の中にあるものは、自由に使ってください。遠慮せず、好きなように過ごしてくださいね」
「ああ。おやすみ、アンネリーゼ」
パーシヴァルは、ゆっくりと噛みしめるようにアンネリーゼの名を呼ぶ。
彼の真紅の瞳は熱心にアンネリーゼを見つめていて、思わずきゅっと、口を結んだ。
若い男性と、夜を共に過ごすのだ。
そんな事実をあらためてはっきりと自覚して、アンネリーゼは心を落ち着けるために自分の服を軽く掴む。
警戒心を解いてくれたパーシヴァルは、兵士らしい筋肉質な体と、そこにいるだけで人目を惹くほどに整った美しい顔をした、若く魅力的な青年だ。
そんなことに気づいてしまった。
人助けをしただけなのに、彼を意識してしまう自分が恥ずかしい。
家族以外の人間と共に過ごしたことがない。だから、不慣れなのだ。そのせいで必要以上に過敏になってしまう。
パーシヴァルが、そんなアンネリーゼの様子に気づかないことを祈りながら扉を閉めると、急いで自分の部屋に向かった。
ベッドに座り、両足を抱える。心臓の鼓動がやけに早い。
「おやすみなさい……なんて、久しぶりだわ」
両親が生きていたとき以来だ。
ひとりきりではないことは、アンネリーゼを落ち着かなくさせる。
けれど同時に、体があたたかいものに包まれるような温もりもある。
きっと──ひとりで、寂しかったのだ。
でも、数日後にはパーシヴァルはいなくなる。そんなことはわかっているのに、彼が隣の部屋で眠っていることを思うと、なんだかとても嬉しかった。




