トルクメニアからの派遣兵
揺れる蝋燭の炎に照らされて、二人で食卓を囲む。
身ぎれいにして服装を整えたパーシヴァルは、アンネリーゼの支えがなくても歩けるようになっていた。鎮痛剤を飲んでもらったためもあるのだろう。
彼はアンネリーゼが渡した薬を素直に飲んだ。
その真意は知れないものの、与えられた薬を飲むというのは信頼がないとできない行為だ。
多少は信じてくれたのかもしれないと、アンネリーゼは思う。
しばらく眠るかと尋ねたが、「空腹だ」と言われたので、アンネリーゼは彼を食卓に誘い、鹿肉のスープを用意した。
透きとおったスープの中に、柔らかくなった鹿肉がごろごろはいっている。
あたたかな湯気がたちのぼり、それだけで肌寒さが和らぐようだ。
自家製のパンも添えると、彼はじっと料理を眺めたあとに、スプーンを手にして無言でそれを食べ始める。
本当に空腹だったのだろう。ハーブ水を飲みほして、顔の形が変わるほどに口の中にパンを押し込み、スープで流し込む。
「あまり慌てると、喉につかえてしまいますよ。まだたくさんありますから、食べたかったら言ってくださいね」
「……もっと、欲しい」
「はい、もちろん」
体の大きな幼い子供を相手にしているように感じて、アンネリーゼはくすぐったい気持ちになる。
パンとスープのおかわりを彼の元に運ぶ。アンネリーゼも彼の正面に座ってスプーンを手にした。
「うん、おいしい」
我ながらよくできている。思わずそう口にしてしまい、アンネリーゼは慌てて顔をあげる。いつもの癖の、独り言だ。今日はパーシヴァルが一緒にいるのだから、余計なことを言わなければよかった。
自分の料理を自分で褒めるのは、少し恥ずかしい。
アンネリーゼよりも幾分か年上の、見栄えのよい青年と食卓を囲んでいることも、アンネリーゼの気分をやや落ち着かなくさせた。
思えば、誰かとこうして共に食事をするのは二年ぶりだ。
パーシヴァルは先ほどよりもゆっくり味わうように食事をとりながら、じっとアンネリーゼを見ている。彼の視線は目を覚ましてからというもの、アンネリーゼを追い続けている。
疑っている以外の理由がそこにあるのか、それとも単純にアンネリーゼを値踏みしているのだろうか。
「──礼が、まだだった。助けてくれたのだな。ここまで、俺を運んだのか」
「え……ええ、はい」
思わぬ言葉に、面食らう。
空腹が満たされて落ち着いたからだろうか、彼の口調は幾分か穏やかさを増していた。
死んでもよかったなどと言っていた彼が礼を言ってくれことに、アンネリーゼは安堵した。なにか事情があって、死にたがっているのかとも考えていたのだ。
もしかしたら一人で森の奥に行ったのは、死のうとしていたから。川に落ちたのも、そう。
そんなおそろしいことを考えかけて、アンネリーゼはその思考を頭の中から追い払う。
「その小柄な体で、よく運んでくれた。お前がいなければ俺は死んでいた。感謝する」
「気にしないでください。人を助けるのはあたりまえのことです」
助けられて、よかった。
ケイオスのように──なにもできずに、その命がアンネリーゼの両手からこぼれていかなくて、本当に。
「あなたが無事で、よかったです、パーシヴァルさん」
アンネリーゼはパーシヴァルを見つめて微笑む。
どんな事情があるのかは知らないが、彼が死を求めないようにと祈りながら、彼の無事を喜んだ。
パーシヴァルはしばらく逡巡したあとに、口を開く。
「俺は──ラングフォードからトルクメニアに派遣された兵士だ。お前たちの土地を侵略したラングフォード人を恨まないのか?」
彼が自分の出自を言わなかったのは、言えなかったからかとアンネリーゼは思う。
侵略した引け目があったのだろうか。
アンネリーゼはそんなことはないと、首を振った。
正直な話、アンネリーゼにはよくわからない。
森の奥は世俗と切り離されている。ルドベキア三国連合の圧政も、その前のトルクメニア王国のことも、よく知らない。
気づけば土地を支配する王が、ラングフォード皇帝に変わっていた。それだけだ。
けれど、そんなアンネリーゼにもわかることはある。
「人々は、ラングフォードの支配を、支配ではなく解放と呼んでいます。それほど、ルドベキアの圧政が酷かったようです。感謝する人はいますが、恨む人はいないのではないでしょうか」
実際、ラングフォードのおかげでトルクメニアは復興を果たすことができた。
ラングフォードの資金で街は整備され、ラングフォードと共通硬貨の流通もはじまった。
その前までは、食べることにも困るほどに税の取り立てに苦しみ、言論の弾圧に誰もが怯えていた。
トルクメニア語を話すことさえ、ルドベキアは禁じていたのだ。
ルドベキア三国連合の悪口を言っている人間を密告した者には、報奨金が与えられる。
貧困にあえぐ人々は、生きるために密告を行う。隣人さえ疑う疑心暗鬼の中で、人々の心はすさみ続けていた。
「皇帝陛下には、皆、感謝していますよ。血の皇帝なんて名がついてるようですけれど、それほどに強いのでしょうね、きっと」
パーシヴァルはアンネリーゼの返答に一瞬驚いたように目を見開いたあと「どうだろうな」と言って視線を逸らした。
「皇帝陛下のことは、ご存じですか?」
「あぁ、多少は……。直接会ったことはないが、兵士として働いている。いやでも話は耳に入ってくる」
「そうなのですね。トルクメニア兵のパーシヴァルさんでも、皇帝陛下というのは雲の上の人なのですね」
「そうだな」
そういうものなのかもしれないと、アンネリーゼは考える。
ルドベキアの支配が終わったが、アンネリーゼはルドベキアの支配時代に誰が国の中心にいたのかよく知らない。
知っているのは、一時期はルドベキアの官吏に支配されていたセゾンリーブスが、解放後は伯爵家の土地に戻ったことぐらいだ。
ルドベキアに取りあげられていた土地が、ラングフォードの治世になってから、トルクメニアの貴族に返されたのである。
どうしてかは知らないが、ラングフォードはトルクメニアに対してとても配慮してくれている。
過去、友好関係にあったからだろう、皇帝陛下はトルクメニアを助けてくれた──と、人々は言っている。
誰も、ラングフォードを恨んでいない。むしろ、今は安心して生活することができている。
トルクメニア王家は滅び、もう誰も残っていないそうだ。
だから余計にラングフォード皇帝に頼りたいのだろう。
ケイオスもアンネマリーもこの話はあまりしたがらなかった。
ワーグナー家は世俗とできるだけ関わらないようにしている。
権力者を、二人とも嫌っていたようだった。




