手負いの獣
今はもう誰も着る者がいないケイオスの服を持ち、救急箱を抱えてアンネリーゼは男の元に戻る。
小走りに玄関に向かい、アンネリーゼは驚きに目を見開いた。
彼は壁を背にして、座り込んでいる。
「まだ起きあがってはいけませんよ、あなたは怪我をしているのですから!」
思わず大きな声を出してしまったアンネリーゼを、彼は真紅の瞳でじろりと睨む。
すでに濡れたマントは外され、同じく体に張りついていたシャツを脱いで上半身を晒している。長い足を投げ出して壁に背を預けているので、どこか痛むのかもしれない。
彼の男の剥き出しの体には、いくつかの古傷がある。
ケイオスの上半身を何度か見たことがある。父は逞しい男だった。
男もまた、ケイオスと同じぐらいかそれ以上に筋肉質で大柄な体つきをしている。
彼のほうが背が高いぶん、ケイオスよりも大きいだろうか。
男の鋭い視線が、観察するようにアンネリーゼを不躾にじろじろと見据える。ぱちりと目があって、アンネリーゼは気恥ずかしさを感じて視線を逸らした。
無意識の内に、彼の裸体を目にしてしまった。ケイオス以外の男がこんなに近くにいるなんて。
それどころか家族以外の人間が家の中にいるのは、アンネリーゼにとってはじめての経験だ。
こんな状況とはいえ、あまり見てはいけないだろう。アンネリーゼは持ってきた衣服の中からゆったりとしたつくりのガウンを彼の肩にかける。
「亡くなった父のものでもうしわけないのですが、着てください」
「……父親は死んだのか」
男は訝しげに尋ねてくる。もしかしてケイオスの知り合いかとも思ったが、男はそれ以上なにも言わない。純粋に家族の死について尋ねられている気がした。
「父と母は、二年前に亡くなりました。この家には今は私、一人です」
「女性が一人で、森の中に? 不用心だ」
「生まれたときから、ここにいます。だから慣れているのです」
彼はアンネリーゼを心配してくれているようだ。その低い声に詰問されているような響きがあるものの、そういう話しかたをする職業に就いている可能性はある。
ともかく、彼の傷を確認したい。それが薬師として、アンネリーゼのするべきことだ。
「怪我の具合が知りたいので、体を見させていただきますね」
「お前は、医師か」
「いえ、私は薬師です。この森に住み、街で薬を売って暮らしています」
男は猟師なのだろうか。それにしては纏う雰囲気が漁師のそれではないような気もする。
男は名乗らず、事情も話さない。
見ず知らずのアンネリーゼを警戒しているのだろう。
まるで、手負いの獣のようだ。
それでも抵抗をせずに座っている男の横に、アンネリーゼは膝をつく。
まずは頭の傷を清潔な布で拭い、消毒してから傷薬を塗り包帯を巻いた。
上半身には古傷だけ。頭の傷はもう塞がっている。瘤ができているが大きなものではない。それ以外に新しい傷はなさそうだ。
彼の両手に触れて、その動きを確かめてみる。指も腕も問題なく動く。腫れも痛みもなさそうなので、骨も無事だろう。
アンネリーゼは握っていた男の手から、ぱっと自分の手を離した。
男の瞳がアンネリーゼの動作ひとつひとつを追いかけている。顔をあげるとあまりに近く男の顔があり、羞恥心から頬が染まる。
怪我の確認をしているだけなのに、どうしても、慣れない。
赤く染まる顔を隠すために、アンネリーゼはうつむいた。
肌を突き刺すような視線を、感じ続けている。
アンネリーゼの中にあるなにかを探るような視線だ。それがなにかはわからないが。




