砂袋のように重い体
アンネリーゼは男の体を引っ張る。
意識のない、動かない体だ。しかも、アンネリーゼよりもかなり大柄で筋肉質である。
ずっしりとした重みが、アンネリーゼの細い腕を軋ませる。
両腕を彼の腕の下に突っ込んで、中央で組む。組んだ指が圧力で変色するぐらい、アンネリーゼは力を込めて彼を川の中から引きあげようとする。
「頑張って、私ならできるわ……っ」
いつも重たい薬瓶を抱えて、街まで歩いている。
だからこれぐらいはなんてことないと、自分を励まし続ける。
額から汗がぽたぽた落ちて、呼吸が激しく乱れた。
それでも力を込める。諦めないと、自分を励まし続けた。
いつもよりも力が湧いてくる。彼を救いたいという強い気持ちが、体中を炎のように燃やしていた。
アンネリーゼは川の中から男の体をなんとか引きずり出すと、その場に座り込んではあはあと荒い呼吸を繰り返した。
この体を、家まで運ばなくてはいけない。とても無理だという気持ちと、それでもやらなくてはいけないという気持ちがせめぎあう。
「助けなくちゃ、私が、頑張らないと……っ」
叱責するように、自身に言い聞かせる。
セゾンリーブスの森には、アンネリーゼの他に誰もいない。助けを求められるものは、誰も。
小鳥たちが励ますように、アンネリーゼの周囲を飛び回る。
助けてあげて──と、言われているような気がした。
「大丈夫、あなたを、助ける」
自身を叱咤しながら、アンネリーゼは男の両肩の下に手を入れて背後から抱きしめるようにしながらなんとか立ちあがる。
ちょうどよく、男の長いマントが彼の体を支える形で草の上を滑ってくれる。
一歩一歩踏みしめるように、途中で休憩を繰り返しながらアンネリーゼは男を家の方向へと運び続ける。
川が見えなくなり、高い木々ばかりの景色に変わっていく。家の方向を間違えないように、途中に目印の紐を結びながら小鳥のあとを追った。
それを見失わないように慎重に、アンネリーゼはよろめきながらもなんとか進んでいく。
(私は強い。ひとりきりでも、なんでもできる)
アンネリーゼは何度も呪文のように、そう繰り返す。
ケイオスが亡くなってから、狩りはアンネリーゼの役割になった。
アンネマリーはケイオスを失った悲しみが深くあまり動けなくなり、次第にベッドから起きられなくなってしまった。
アンネリーゼはケイオスの代わりに鹿を狩って、縄で足を結んで運ぶこともできるようになった。
アンネリーゼはどうやらケイオスに似て頑丈に生まれたようで、森の中を走り回るのも、重い荷物を持って歩くのも、獲物を射るのも得意だった。
だからこれぐらい、なんてことない。
ひゅうひゅうと、呼吸を乱しながらようやく家の前までたどりつく。
体は汗にまみれ、衣服はところどころ破れて汚れてしまった。扉をあけると、男と一緒に玄関に勢いよく倒れ込んだ。
「ぃた……っ」
強く体を床に打ち付けて、痛みに顔をしかめる。
自分の痛みよりも、男は無事かとがばっと顔をあげて、床に倒れた男を覗きこんだ。
ぴくりと、男の瞼が動く。衝撃に目を覚ましたのか、やがてゆっくり、黒い睫の並ぶ瞼が開かれていく。
男の双眸が露わになる。
あまりに綺麗な緋色だ。
血を流したような真紅の瞳は、虚空を見つめている。
それは徐々に焦点を結び、彼を覗き込むアンネリーゼと目があった。
「お前は……?」
不躾な質問に、アンネリーゼは安堵の溜息をつく。
ケイオスとは違う。ケイオスは──最期の言葉を伝えることさえできなかった。
だが、彼は意識を取り戻し、話をすることができる。
安堵のあまり腰が抜けて、アンネリーゼは彼の横にぺたんと座り込んだ。
「無事で、よかった……」
「……っ」
アンネリーゼの呟きに、男は何故か息を呑んだ。
緋色の瞳が驚きに見開かれている。
彼は思いのほかしっかりとした動きで上体を起こして、まじまじとアンネリーゼを見つめる。
もしかして彼は、自分は死んだのだと思っているのかもしれない。
「ここは、死後の世界ではありません。あなたは生きています。川で倒れていたので、私の家まで運びました。私は、アンネリーゼです。はじめまして」
アンネリーゼと名乗ると、男の眉間に深い皺が寄る。
まだどこか痛むのかもしれない。アンネリーゼは男に待っていてくれと告げて、這いずるように起きあがると、救急箱をとりに部屋の奥へと向かった。




