薬草園
皇城の一角、日当たりのよい広い空間に、鉄の枠組みとガラス張りでできた温室が作られている。
背が高く、神殿のように広い。無骨でありながら優美さも兼ね備えている建物である。
セゾンリーブスよりも北に位置するラングフォード皇国は、冬の寒さが厳しい。
セゾンリーブスに自生していた薬草は、越冬できないかもしれない。
そのために、皇国の技術者たちが相談しあって作られた巨大な温室だ。
着工から完成まであっという間で、ラングフォードの技術力の高さを思い知らされる。
こんな国に戦争をしかけて勝てるわけがないと、アンネリーゼはあらためて感じた。
そもそも──ラングフォードには他国を侵略するような気配はなかったはずだ。
ルドベキア三国、これはルドニア・ベルニーニャ・キアヌグランの三国のことだが、これらの国がトルクメニアを攻めなければ、戦争は起こらなかっただろう。
何故人と人は争うのだろうと、アンネリーゼは最近よく考える。
それはほんの些細なことからなのかもしれない。
たとえば、前皇帝が側妃を多く作ったことで、パーシヴァルは毒を飲まされた。
たとえば、トルクメニアが連合に賛同しなかったことで、両親は殺された。
セゾンリーブスの街に、アレックスが愛らしい妹の好きな花を沢山植えたことで、馬が暴走して死人がでるところだった。
レイチェルはアンネリーゼを嫌い、マリーシャに命じて意地悪のために薬を使わせたが、それは人を死に至らしめるものだった。
イザベラはアンネリーゼを疎み、侮辱した。あのままイザベラがアンネリーゼを見下し続けていたら──きっとよくないことが起こっていただろう。
パーシヴァルとイザベラの公爵家が敵対し、再び血の粛清が起こっていたかもしれない。
ニコルのことはよく知らないが、皇帝の血筋に生まれたというだけで担ぎあげられて、若くして命を落とすことになった。
パーシヴァルのもう一人の弟であるアルバートが隠棲を決め込んでいるのは、ニコルの二の舞にならないため。本人の気質もあるが、処世術でもあるのだと、ランディスが言っていた。
大なり小なり諍いの芽は、そこここに転がっている。
人が人を憎まない世界というのは、これほどまでに難しい。
それでも──希望はあると信じていたい。
アンネリーゼがそれを失えば、執政者を信じるしかない多くの民から光が消えてしまう。
思えば、トルクメニアに伝わるおまじないとは、希望そのものだった。
空を見あげればいつも星がある。星々は皆を守護してくれている。それは死者の残した導きの光だ。死者は皆を見守る星になる。
そして──精霊とは、星屑から生まれる。
それは死者の残してくれた、誰かを守りたいという強い思いだ。
誰かの幸福を願いながら、人は最期を迎える。
どんなに辛くても苦しくても、人は一人では生きられない。
そんな教えが、今は失われてしまったトルクメニアには息づいていた。
「本当に素晴らしいですね、見事な温室です」
「ええ。皆様のお力が素晴らしく、私は圧倒されるばかりです」
フュリアの感嘆に、アンネリーゼは頷く。
温室の中には様々な薬草が植えられている。国中に治療薬を届けるとなると、この規模の薬草園ではとても足りない。この温室での栽培が上手くいけば、将来的にはもっと大規模なものにするつもりだとパーシヴァルが言っていた。
外は肌寒いが、温室の中は春の陽気のように温かい。セゾンリーブスの森林のような香りがそこには充満している。アンネリーゼは肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「本当に、素晴らしい。トルクメニアにはない技術ですね。トルクメニアは国力ではラングフォードに劣る小さな国です。あるのは神秘ぐらいでしょうか。精霊つきのものはごく少数ですが、雨を降らせたり、自分が知らない物事を言い当てたり、災害から人々を守ったりしたそうですね」
珍しく、いつもは寡黙なミヒャエルが饒舌に言葉を紡ぐ。
トルクメニアについてよく知っているのは、アンネリーゼの出自を知って調べてくれたからだろうか。
彼は穏やかで勤勉で、確かな強さもある兵士だとランディスが評価していた。
彼の出身である子爵家は、その名を誰にも知られていないぐらいに小さな貴族だ。かつてはニコル派についたらしいが、目立った行動はなにもしていない。
その名さえ、ミヒャエルが士官してくる前は把握してなかったぐらいであるとランディスは言う。
パーシヴァルは貴族について関心を示さない。それを把握するのはランディスの役目だが、そんな彼でも知らなかったぐらいである。本当に、皇国の片隅で生きている目立たない家の出なのだろう。
『皇国には吐いて捨てるほどに貴族の家がありますもの。把握していないのも無理はありません。多すぎたのですよ、今までは。かつての粛清でかなり数は減りました』
そう、イザベラも言っていた。彼女もミヒャエルのことは知らなかったという。
ランディスやフュリアは以前からの顔見知りだったが、ミヒャエルの家はよほど困窮していたのだろう、社交界にも顔を出したことがなかったと、ミドラー夫人も言う。
ここまで来るには相当の努力があったのだろう。
仕官してからほんの少しの期間で、パーシヴァルの護衛に抜擢されている。
これは、兵士の実力を試す選抜試合を勝ち抜いた功績への評価であり、出自がきちんとしている、品行方正であるということを踏まえてランディスが選ぶものだ。
数多の護衛たちの中でアンネリーゼの護衛に抜擢されたのも、彼の仕事に対する勤勉さと誰とも揉め事を起こさない穏やかさへの評価である。
兵士というのは基本的に血の気が多いものだ。だが、ミヒャエルほどに礼節をわきまえていて優しく冷静で、感情を乱さない者は少ないという。
私心がないのかというほどに、彼は兵としてパーシヴァルに仕えていた。
トルクメニアについて調べてくれたことに、彼の努力の一端が垣間見えた気がした。
ラングフォードの貴族でありながらそうしてトルクメニアに興味を持っていることを、アンネリーゼは素直に嬉しく思う。
薬草畑の奥で、ミヒャエルは立ち止まる。そこは休憩所になっている。
円形の広場で、側面に長椅子が並んでいる。中央には天井にあるステンドグラスから、星と月をかたどった光が降り注いでいる。
昼でも夜空を見ることができるように。
星と月は、アンネリーゼとパーシヴァルを結びつけてくれた、大切なものだ。
「──精霊の神秘も、国を守るにはなんの役にも立ちませんでしたが」
足を止めたミヒャエルが、振り返ることなく呟いた。




