薬師アンネリーゼ
蒼月宮に戻ると、アンネリーゼは薬を作りはじめた。
典医のハルザインも、学ぶためにと同席した。菌を殺す薬の精製は慎重に行う必要がある。
全ての器具を熱湯で煮沸し、不純物が混じらないようにアンネリーゼも全てを綺麗にしてから精製するために、部屋には必要最低限の者しか入れない。
ハルザインもそれを承知で、静かにアンネリーゼの作業を見守っている。
薬木の皮を剥き、煮出して成分を抽出する。それを乾かして粉状にし、固めて丸薬にする。薬紙に包みできあがったものを眺めて、ハルザインは「これは、注射のほうが効きそうだ」と言う。
「注射……?」
「薬液を、直接血管に入れます。足りない血を補う手法ですが……薬を直接注入すればもっと効き目が……どちらにせよ、試す必要はありますが」
ハルザインは丸薬をいくつか持っていった。
アンネリーゼはイライザの元に、フュリアに頼み薬を届けてもらうことにした。
彼女は今、王都にある公爵家の別邸で寝込んでいるという。
王都の民の間にも、熱病が広まり始めていると聞き、アンネリーゼは数日調剤室にこもって、あるだけの材料で丸薬を作り続けた。
数日後、再びイライザがアンネリーゼの元を訪れた。
アンネリーゼは薬作りを終えて、レイチェルと共に休憩していた。レイチェルは「頑張りすぎよ、お義姉様。たまには休まないといけないわ」と、たくさん菓子を用意して、アンネリーゼを茶会に招いてくれていた。
フュリアが傍に控え、ミヒャエルが少し離れた位置からアンネリーゼたちを見守っている。
イライザは、線の細く背の高いやや神経質そうな男性を伴っている。「従兄のランディスです」と、フュリアが教えてくれた。
「アンネリーゼ様、此度は本当にありがとうございました。あなたにひどいことを言ったことを謝りたく思い、恥ずかしながら足を運ばせていただきました」
以前とは違い、イライザの表情からはアンネリーゼへの敵意は感じられない。
礼儀正しい公爵令嬢として、彼女はアンネリーゼの前に立っている。
「パーシヴァル様との結婚を、己の使命と思っていました。もちろん、恋愛感情ではありません。公爵家の娘として、陛下の伴侶にならなくてはと……必死になっていました。だから、あなたが突然城に現れて、自分が無価値になってしまったような気がしたのです」
「……私も、私が皆を戸惑わせていることは理解しています。ですが……それでも、パーシヴァル様を愛する気持ちを捨てて、彼の傍から離れたいとは思いません。ラングフォードの民のために、努力したいと考えています」
「ええ。……アンネリーゼ様はとても、凛々しい表情をなさるようになりました。自信に満ちたあなたは、以前よりもずっと魅力的です」
お辛いことがあったのでしょうにと、イライザはアンネリーゼの境遇に想いを馳せてくれる。
「きっと、深く、陛下に愛されているのでしょうね。私もそのような相手を、いつかみつけたいと願っています」
イライザはすっかり元気になったようだ。薬が効いてよかったと、アンネリーゼは安堵する。
彼女の謝罪のあとに、ランディスが口を開く。
「アンネリーゼ様、ご挨拶が遅れました。ランディスともうします」
「はじめまして、ランディスさん。フュリアさんにはいつも、よくしていただいています」
「フュリアは騎士を目指していました。姫君の侍女になれるのならば、彼女の本望でしょう」
「そうなのですね、どうりでフュリアは女性でありながらとても凛々しくて、素敵なはずです」
「アンネリーゼ様……そんなふうに思っていてくださったのですね。光栄です」
恥ずかしそうに、フュリアは礼をする。ランディスはそんな彼女を微笑ましそうに見つめたあとに、アンネリーゼに向き直った。
「アンネリーゼ様の薬のおかげで、王都に熱病が蔓延する前に、それを防ぐことができました。イライザ様とハルザイン医師を中心として、医師団が熱病の早期の治療にあたっています。丸薬などで治るのかと懐疑的だった愚かな民たちも、今では素直に信じるようになっています」
「愚かな民は余計ですよ、ランディス様」
「愚かだ。皆、迷信を信じている。得体のしれない薬を、毒を飲まされるのだと噂するものさえいる始末。まったく、蒙昧だ」
フュリアの注意に、ランディスが憤慨したように、語気を荒げる。フュリアは苦笑しながら「この人はいつもこうなのですよ」と、アンネリーゼに耳打ちした。
「我が領地の民たちの治療に、私も今、あたっています。薬を飲んで私の病気が治ったのです。民たちも、私の姿を見れば信じるでしょう。父も母も同様に、アンネリーゼ様に感謝しています。あなたがいなければきっと、公爵領にはもっと多くの亡骸であふれていたでしょうから」
「私を信じて、薬を飲んでくれてありがとうございます、イライザさん。薬は足りますか? もっと必要なら……」
ランディスがそれについてですが、と、居住まいを正した。
「アンネリーゼ様お一人では、ラングフォード皇国の民全ての薬を作るのには無理があります。ハルザイン医師や陛下と相談しました。アンネリーゼ様の知識を皆に伝えてもらい、医師たちがその技術を身につける必要がある、と。もしくは、薬師として新たに学ぶものが必要だと」
「知識を、皆に伝える……」
「はい。それは、セゾンリーブスの森に住む、ワーグナー家の人々に伝わってきた知識なのでしょう。外部に漏らさなかったのは、おそらく、危険なものでもあるためです」
「はい。薬と毒は紙一重だと、母……アンネマリーは、いつも言っていました」
「陛下の名の元に、きちんと管理をするとお約束します。ですからどうか、皆の師になっていただけませんか?」
アンネリーゼは、すぐに頷いた。
ひとりでできることには限りがある。ひとりきりでは、できないこともある。
パーシヴァルと共にいるようになり、アンネリーゼはそれを強く実感している。
それに、アンネリーゼははじめからひとりなどではなかったのだ。
たくさんの命に支えられて、こうして生きている。
救われてきたぶん、皆を救いたい。できることなら、なんでも協力したいと思う。
「ありがとうございます、アンネリーゼ様。陛下も了承してくださっています。皆に、あなたを見せるのは以前は嫌がっていましたが……安心しました」
「お兄様のアンネリーゼに対する愛情は、おそろしいほどだったものね。私はお兄様が好きだったけど、今は少し怖いもの。結婚するなら、もっと、穏やかな人がいいわ」
レイチェルが肩を竦めて言う。
イライザは「そうですね、本当に。ところでランディス様とフュリアは結婚しないのかしら?」と、尋ねて、フュリアを困らせ、ランディスを真っ赤にさせた。
アンネリーゼは、アンネマリーの残してくれた薬草について書かれた手書きの本を教本にして、薬草の知識を集まった医師たちに教えるようになった。
アンネリーゼの薬草畑から、もう少し大規模な薬草園を城の一角に作る計画も一緒に立てた。
セゾンリーブスにしか自生していないと考えていた薬木も、ラングフォード内で探すことになり、アンネリーゼが直接動かなくても、広まった知識で皆が協力し、努力してくれているのを肌で感じた。
『薬師の姫君と皇帝陛下の結婚を、ラングフォードの民は祝福する』
そう──民は、一足早く祝うようになった。
ミドラー夫人が訪れて、アンネリーゼにもうすでに作られている祝いの品を見せてくれたのだ。
それは、薬瓶の形をした香水である。赤い色をしているのはパーシヴァルの瞳の色。銀の瓶は、アンネリーゼの髪の色だ。
瓶には繊細な文字で、祝いの言葉が書かれている。
「気の早いこと。婚礼の準備も、もうすぐ終わりますわ。アンネリーゼ様はわたくしの芸術品。今やどこに出しても恥ずかしくない、立派な淑女ですのよ。リゼット様の記憶も、もちろんあるでしょうけれど」
「ありがとうございます、マダム。マダムのおかげで、自信がつきました。リゼットとしての記憶は曖昧なものです。マナーもダンスも、皇妃の心得も、マダムが全て教えてくださいました」
「あなたをわたくしの娘にできなかったことが、とても悔やまれますわ。でも、あなたの生みの親と育ての親に、あなたを養子にしたら、もうしわけないですものね」
旧トルクメニアの姫が生きていた──と、今はもう、皆が知っている。
反発は起きなかった。トルクメニアはラングフォードの一部になっている。トルクメニアの姫がパーシヴァルに嫁げば、トルクメニアの支配は盤石なものになるからだ。
トルクメニアはラングフォードに併合される。きっとそれでいいのだろう。
アンネリーゼ一人で、トルクメニアを復興することはできない。それをしたいとも考えていない。ラングフォードの庇護下におかれていたほうが、トルクメニアは安全だ。
いつかアンネリーゼの血筋のものが、トルクメニアもラングフォードも他国の侵略から守ってくれる。民が安寧に過ごせるのであれば、王が誰でも構わない。




