過去と今と、二人分
顎を持ちあげられ、何度も角度を変えられながら深く激しく口づけられる。
自分がリゼットだと思い出してから、はじめての口づけだ。
それほど長い間、彼はアンネリーゼに触れなかった。
リゼットだから、大切にしてくれている。きっとそれもあるだろう。だがそれ以上に彼は、アンネリーゼの心の傷を慮ってくれていたのかもしれない。
傷つけないように、丁寧に慎重に扱ってくれていた。強引に抱かれた夜も、彼の熱に翻弄された日々も──彼の与えてくれるものはずっと優しかったのだ。
そんな毎日を、アンネリーゼは心の奥では愛しく思っていた。彼の執着や情熱を向けられることに喜びを感じてしまっていた。
それを認めず受け入れず、いつかは離れる日がくるのだと言い訳を繰り返していたアンネリーゼに、パーシヴァルはずっと気づいていたのだろう。
パーシヴァルの心にささくれのような傷を、作り続けていた。
でも、もう──そんなことはしなくていい。
アンネリーゼは彼を受け入れていい。
この感情を、否定する必要はもう、ない。
「お前と暮らした静かな日々に、久しく忘れていた安らぎを感じた。ただの兵士と嘘をついて、お前とずっとこの場所で暮らそうとさえ考えていたほどに。リゼットに恋をしたのは確かだ。彼女が大切だった。だが、俺が男として欲しいと思ったのはお前だ、アン」
とろりと蕩けた瞳に、パーシヴァルの獰猛な瞳が映る。視線が絡み合う。
もう一度、ゆっくりと唇が触れて、離れていく。彼の指がアンネリーゼの唇を優しく撫でる。
「リゼットの面影を求めていたが、リゼットは俺の記憶の中では、幼い少女のままだ。抱きたいとは思わない。体だけでも俺のものにしたい、心を堕としてしまいたいと感じたのは、お前にだけ。お前の名は、アンネリーゼだ」
「本当に……?」
「記憶を取り戻し混乱しているお前を、傷つけたくなかった。毎夜、耐えていた。お前に触れたいと考えない日はなかった。愛している、アン。愛しているから、抱きたい」
「パーシヴァル様、私……」
彼の激しく狂おしい愛情が、血液のように体を巡る。
瞳に涙の膜がはる。こんなに愛されていたのに、アンネリーゼは彼を疑ってばかりだった。
それに、まだ告げていない。アンネリーゼは、彼に──心からの、気持ちを。
伝えてしまえば、離れることができなくなるかもしれない。
彼に溺れて、二度と自分の足で立ちあがることさえできなくなるかもしれない。
けれど──それはきっと違うのだろう。その危惧は、根本が間違っている。
愛することは弱くなることではない。
誰かと共にいて、誰かを愛して、誰かのために生きるのは──強くなるということだ。
両親はアンネリーゼを守ってくれた。
アンネマリーとケイオスもまた、同じように。そこには両手では抱えきれないほどの愛があった。
ひとりきりで閉じた世界でも幸福は得られるだろう。
けれどアンネリーゼは、彼と、生きたい。
名も知らぬ少女を犠牲にしてまで生き延びた身だ。
その罪を抱えながら──せめて、誰かのために生きていきたい。
暗い部屋で一人きりでうずくまっていては、なにも、できない。なにも変わらないのだから。
「私は、あなたが好き」
不安にさせてしまった。苦しめてしまった。
なによりも喪失を恐れている彼を、アンネリーゼは、ずっと。
だから、伝えたい。心からの、嘘偽りない言葉を。
「本当は、恋をしていました。二人でここで暮らしたときに、あなたのことを好きになりました。あなたを知るほどに、私はあなたを……好きに。リゼットだったときも、アンネリーゼになってからも」
幼い少女は淡い思慕を抱いた。城から逃げるときにも、彼からもらった宝物は、どうしても手放せなかった。
孤独な森の魔女も、彼に惹かれた。その不器用な情熱を知るほどに、愛しさが募った。
今なら、わかる。この感情は──。
「私は……あなたに、二度、恋を」
パーシヴァルが息を呑む音が聞こえた。
抱きしめる力が強くなる。痛いぐらいに強く、彼はアンネリーゼを抱いている。
そうしないと、その両手からアンネリーゼが失われてしまうかのように。
首筋に、彼は顔をうずめる。アンネリーゼは両手で金の髪を撫でて、目を伏せた。
「あなたは、昔も今も変わらない。リゼットのために怒り復讐を果たしましたが、トルクメニアのラングフォードの統治は正しいものです。民は、喜んでいます。ありがとう、パーシヴァル様。あなたがずっと清廉なままでいてくれて、嬉しい」
復讐のためだった──と、彼は言う。
しかし、トルクメニアの解放によって、多くのトルクメニア人が安心して暮らせるようになったのだ。
復讐に目が眩んでいたら、その後の統治などひどいありさまになっていただろう。
しかし、そうはならなかった。
彼は命などどうでもいいという。しかし根底にある彼の優しさや皇帝としての正しさは、失われていない。戦争は、リゼットのためだったのだろう。
しかし、それだけではないのだ。彼は民のために戦い、弟皇子までその手にかけた。
「……清廉などではない。俺の手は、取り返しがつかないほどに血に染まっている」
「あなたの手は、民を守るためにある。本当はどうでもいいなんて、思っていないはずです。ラングフォードの民のために、弟殿下を処断する必要があったのでしょう。トルクメニアの民のために、この地をルドベキアの支配から解放してくださったのでしょう」
アンネリーゼの中にいるリゼットが、アンネリーゼの中で一つになっていく。
リゼットもまた、アンネリーゼの一部だ。リゼットとアンネリーゼ、二人分、彼を愛している。
心の中のリゼットが、会えて嬉しいと、無邪気に喜んでいる。
アンネリーゼも──彼と、セゾンリーブスで出会えてよかったと、心から思う。
「……アン、帰ろう。どの道、今日はもうラングフォードには戻れない。今すぐ、抱きたい。悪いが、清い少年のままではいられない」
長い沈黙のあと、パーシヴァルは密やかな声で言う。その抑えた声音からは、激しい熱が滲んでいる。
アンネリーゼは「私も」と、小さな声で呟いた。
パーシヴァルの咽頭が大きく動くのを感じて、体の奥が切なく疼いた。




