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【全年齢版】あなたの愛は、きっと私のものじゃない  作者: 束原ミヤコ


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39/50

セゾンリーブスへ


 

 深い森の、豊かな生命の香りを肺いっぱいに吸い込んだ。

 その空気は優しく時に厳しく、アンネリーゼを包み込み、育んでくれたものだ。


 アンネリーゼが長年暮らした家は、そのまま残っている。

 ここに荷物をとりにきたときに、兵士たちが片づけをしてくれたのだろう。置き去りにしてしまった食事や洗濯物などは綺麗に片付けられている。

 薬草畑は引き抜かれ、両親の形見はもうないものの、アンネリーゼが心配していたよりもずっと綺麗に清潔に家の中は保たれていた。


 カヌレを家に残し、アンネリーゼはパーシヴァルと共に森の奥に向かう。


 カヌレに乗り、ここまで来た。馬車での移動よりもずっと早い。

 アンネリーゼがイライザについて相談すると、パーシヴァルはすぐに出立しようと言ってくれたのだ。

 彼には仕事がある。フュリアと行くから大丈夫だと言ったが、護衛の手配や宿の手配などを考えると、パーシヴァルと二人で馬を駆けさせたほうが早いと説得されてしまった。


 熱病の薬木は、パーシヴァルが倒れていた川辺にはえている。

 彼と二人で、懐かしい森の中を進んでいく。アンネリーゼが離れていても、森はきちんとここにある。

 自然の営みは、誰かが失われても常に行われている。落ち葉は枯れ、虫たちが食べる。肥沃な土がつくられて、再び植物が芽吹く。生も死も、すべてここにある。

 ワーグナーの民だったアンネマリーが、生きるために必要なことを教えてくれた。

 読み書きも食事のマナーも教養も。リノアンが士官してきた彼女に教育を施したのと同じように、アンネリーゼをどこでも生きることができるように育ててくれたのだ。


 ここには思い出がたくさん詰まっている。

 狩りの指導も、ケイオスにしてもらった。それはもしかしたら、アンネリーゼが一人でも身を守れるようにするためだったのかもしれない。

 小鳥たちが案内するように、アンネリーゼの周囲を飛び回っている。


『あなたには、ここでの暮らしのほうがあっている』

『城はこわいことばかり』

『ここにいていい、リゼット』


 アンネリーゼの心を代弁するように、小鳥たちが言う。

 それを、アンネリーゼは否定できない。森の香りは落ち着く。一人きりでいるほうが、多くの人に囲まれているよりも気が楽だ。

 悩む必要も、苦しむ必要もなくなるからだ。

 その声は、パーシヴァルには聞こえていない。アンネリーゼは、彼に声を伝えなかった。

 極力なんでもないような顔をして、目的地まで黙々と歩いていく。

 今は、熱病の薬を作ることだけを考えなくてはと、自分に言い聞かせる。


「ありました、ルヴァリスです」

「これが、薬になるのか?」

「はい。枝に、熱病の菌を殺す成分が含まれています。枝を切り時間が経つと成分が失われてしまうので、長期保存ができないのが難点ですが、採取自体はそう難しいものではありません」


 川辺にはえている棘のある低木が、ルヴァリスの木。棘のある枝に含まれる成分に、熱病の菌を殺す力がある。

 アンネリーゼは手早く、その木をナイフで切って、袋に入れていく。棘があるから注意が必要だとわかっているのに、小鳥たちの声に動揺したのか、棘で指先を刺してしまう。

 ぷっくりと血が膨らんでいく。痛みに軽く眉をひそめる。

 以前はこの程度の怪我はよくしていた。城での暮らしは快適で、怪我をするようなこともない。痛みに、少し弱くなったような気がする。


 隣で見ていたパーシヴァルが、その手を取って口に入れた。

 血を吸われ、指を舐められる。久々の感覚に、アンネリーゼは頬を染めた。


「大丈夫か?」

「は、はい」

「……お前を籠の鳥のように閉じ込めておくことができるのなら、お前を誰にも傷つけさせずにすむのに。アン、イライザに余計なことを言われたのではないか」


 イライザのために薬を作ると言ったとき、パーシヴァルは「あの女に会ったのか」と、眉間に皺を寄せていた。

 アンネリーゼは「ええ、彼女は病におかされています」と、状況を説明した。

 できるだけ早くセゾンリーブスに戻りたかったのだ。

 薬木さえあれば、薬は数時間でできあがる。イライザの病が悪化する前に助けられるだろう。

 すぐに出立となり、カヌレをずっと走らせてきた。

 パーシヴァルは余計なことを尋ねなかったが、ずっと気にしていたのかもしれない。


「パーシヴァル様。皇帝とは、多くの妃を娶るものと聞いています。イライザさんは、皇妃に相応しいのではないかと思います。私ではなく」

「……なぜ、そのようなことを言う」

「私は、リゼットには戻れない。アンネリーゼとして生きた時間が長すぎました。あなたは、私の中のリゼットを見ている。でも、いつか気づくでしょう。私がリゼットとは違うこと。あなたが求めている少女では、なくなってしまったことを」


 堰を切ったように、言葉があふれてくる。

 記憶を取り戻してからずっと考えていた。彼はリゼットを深く愛している。それはアンネリーゼと同じ血肉を持っている少女だが、アンネリーゼとは違う。

 彼が結婚を約束した無垢な姫は、もうどこにもいない。

 姫として育った時間はあまりにも短い。アンネリーゼがどれほど努力しても、リゼットに戻ることはできない。アンネマリーとケイオスに育てられた自分を、捨てることなどできないからだ。

 掴まれていた手を引き戻そうとする。

 パーシヴァルはそれを許さず、アンネリーゼの手を握りしめた。


 そのまま手を引き寄せられて、きつく抱きしめられる。


「このままずっと、ここにいよう」

「……そんなことは、できません。イライザさんに薬を届けなくては」

「どうでもいいと……思ってしまうんだ。俺にとって、命など……それが自分のものであっても、どうでも」


 なぜそんなことを言うのかと、アンネリーゼは咎めるようにパーシヴァルのマントを引っ張る。季節は冬を迎えようとしている。

 川の水は透き通っていて冷たく、森の木々の葉は落ちて、地面にふかふかと絨毯を作っている。

 冬の気配のする空気が肌を撫でる。雪が降れば、この辺りも全て白く覆われてしまう。


 小鳥たちはいつの間にか姿を消している。パーシヴァルを見つけた川辺で彼と二人きり。

 それはアンネリーゼを過去に引き戻していく。


 パーシヴァルは、やはりここに、死ににきていたのではないか。

 そんな確信が胸を締めつけて、アンネリーゼはマントを引っ張っていた手で彼の体を抱きしめる。


「それは、リゼットを失ったから?」

「あぁ。俺は無力で、なにもできなかった。リゼットの死を、ただ知らされただけだった。約束を果たせなかった。カヌレを食べることも、酒を飲むことも。……必ず迎えに行く、十五になったら結婚をしようと──愚かな子供だった」


 彼のリゼットに対する想いは、純粋で真摯でそれゆえに激しいものだった。

 だからリゼットを失ったことで、罪の意識からさらにその感情は肥大していった。


「トルクメニアを解放したのは、リゼットの住んでいた土地をルドベキアの者どもが穢すことが許せなかったからだ。三国連合を支配したのは、リゼットを殺したものたちに復讐したからだ。……それが終わり、俺には孤独だけが残った」


 弟皇子を殺したあと、パーシヴァルはいよいよ空虚になった。

 リゼットはいない。家族も手をかけた。パーシヴァルの周囲は、彼の権力を手に入れるために、己の娘を結婚させようという貴族であふれている。

 だから──彼は、城を出たのだと言う。


「トルクメニアに向かった。リゼットが俺に教えたからだ。トルクメニアには、入ったら最後、戻ってこれないほどに深い森がある。その奥で死んでしまえば誰にもみつからないと」


 ふと、その記憶が蘇ってくる。

 それはアンネマリーが教えてくれた知識だった。ワーグナーの薬師だったアンネマリーのことを知りたいと、リゼットは度々願った。

 リゼットはその知識を、得意げにパーシヴァルに話したのだ。


「あなたは、ここに……」

「死に場所を、求めていた。リゼットには会えないのに、生きていても仕方ない。やるべきことはすべて終わった。だから……と。だが、飲まず食わずでも、人は生きているものだな。空腹に負けて水を求めた。水を飲もうとして意識を失い、川に落ちてここまで流された」


 情けない、と、彼は呟く。

 そんなことはないと、アンネリーゼは首を振る。空腹に耐えていたら。もし川に落ちなかったら。アンネリーゼがそれをみつけなかったら。

 彼はセゾンリーブスの森の奥で、ひとり静かに死んでいただろう。


 死体はみつからない。獣が食べてしまうからだ。そうして森は、循環していく。


「お前が俺を助けた。……リゼットに、あまりにも似ているお前が俺を。だから俺は、生きようと思えた」

「あなたが……生きていてくれて、よかった。生きようと思ってくれて、私は嬉しいです」


 リゼットがいなくても、彼は生きるために、食事を口に入れてくれた。

 生きるとは、食べることだ。

 パーシヴァルと出会えてよかった。何かが少し変わっていたら、彼は助からず、アンネリーゼは一生彼に会えないまま、自分がリゼットだとも思い出せずに生きていたかもしれない。


「アン……お前は、俺の贈った髪飾りをつけてくれている」

「はい。私の、大切な宝物です。ケイオスとアンネマリーに連れられて城から逃げたとき、何も持っていくなと言われました。でも、どうしても……手放せなかったのです」

「お前は、俺を愛していると告げているように、その言葉でも態度でも感じるのに。なぜ、いつも俺を拒絶する? 俺が嫌いか、お前にひどいことをしたから」


 違う、と、首を振る。

 そうではない。拒絶をしたいわけではない。


「私は……リゼットの代わりにはなれません。リゼットは幼い頃に、死んだのです。私はアンネリーゼとして育ってしまいました。月日が私を別人に変えてしまったのです」

「アン、俺がなぜお前をそう呼び続けているのか、お前にはわからないのか?」

「そのほうが、私が安心するからでしょう」

「違う。お前はアンネリーゼ。リゼットが生きていたことは、当たり前だが、嬉しい。だが、俺にとってもはやそれは、どうでもよくなっていた。たとえお前ではない別の女としてリゼットが俺の前に現れても、俺はお前を選んだ」

「どうして、そんなわけが……」


 それ以上の疑問を口にできないように、彼の情熱的な唇が、アンネリーゼの声を奪った。



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