イライザと熱病
薬草畑の手入れをしていると、アンネリーゼはひととき悩みを忘れることができる。
フュリアとミヒャエルが、最近は一緒にいてくれる。
レイチェルも薬草畑が見たいというので、今日は案内をすることにした。
「これは、アンネリーゼが一人であつめたものなの?」
「ええ。森には多くの恵みがあるのですよ。薬草もそうですが、食べられるものも、水も。そこにはすべてがあります」
レイチェルは目を輝かせて「行ってみたいわ」と言う。
アンネリーゼが笑いながら「虫も危険な動物もいます」と言うと、彼女は青ざめて震えながら「やっぱりいい」と首を振る。
「多くの薬草を集めていたのですね。鎮痛に、咳止め、血のめぐりをよくするものもあります」
「ミヒャエルさんも、詳しいのですね」
「ええ、少し。なにかの役に立つかと、薬草学も学んでいますが、騎士団ではあやしげなものとして、あまりそちらは重要視されていません。アンネリーゼ様の薬が認められれば、皆の考えも変わるのでしょうが」
「アンネリーゼの薬はすごいのよ。マリーシャの命を助けたもの」
悩ましげなミヒャエルに、レイチェルが大きな声で言う。
マリーシャは、レイチェルに命じられたものの毒の知識などはなかった。王家の禁じられた書庫に忍び込みあれこれと探して、ムラサキアザミの痺れ薬に辿りついたのだ。
自分で調合して紅茶にいれたものの──罪の意識と加害者になる恐怖にかられて、紅茶を飲んだ。
罪人になるぐらいなら、死んでもいいとさえ思ったそうだ。
もしアンネリーゼが死んでしまったら、マリーシャの家族たちも一生白い目でみられる。
毒は、ミドラー夫人やレイチェルのカップの紅茶にも仕込まれていた。
アンネリーゼの紅茶だけに毒を仕込むような器用なことは、マリーシャにはできなかった。
だから、自分で飲み干した。彼女は恐慌状態にあり、そうする以外に選択肢がないように感じられていた。
そんな話を、アンネリーゼは彼女を尋問したフュリアから聞いた。
命が無事で、よかった。罪の意識は消えないだろうが、いつかは立ち直ることができるはずだとアンネリーゼは思う。
「アンネリーゼ様の才能を、埋めてしまうのは惜しいですね。パーシヴァル様の寵姫でなければ、騎士団の医師として働いていただくのに」
「陛下がお許しになりませんよ」
フュリアがミヒャエルにくぎを刺す。アンネリーゼは曖昧に微笑んだ。
「まだ、皆に認められたわけではありません。ラングフォードでは、薬草の類があまり信用されていないのなら、なおさらでしょう」
「ラングフォードでは、傷を切ったり縫ったり、悪い部分を取り除いたりはよくありますが、何かを飲んで病気を治すというのは、あまり一般的ではありませんね。呪いの類と思われているので」
「でしたら……マダムが私の薬を信じて飲んでくださったのは、とても勇気のある行動だったのですね」
それに──パーシヴァルも。
彼はアンネリーゼの治療を素直に受けてくれた。
こんな自分でも誰かを救えるのだと思うと、ほんの少し心が軽くなる。
数多の命の犠牲の上に生きている。それを考えると、前を向いて歩けなくなってしまう。
石像にでもなってしまったかのようにその場から動けなくなってしまいそうになる。
それでもできることがあるのだと、誰かを救えるのだと──自分に言い聞かせなくては。
呼吸さえ、ままらなない。
「こちらにいたのですね。今日は、ダンスレッスンの一貫として、イライザ様をおつれしましたわ。どうぞ、広間にいらしてくださいましね」
薬草畑に水をあげ終わると、ミドラー夫人がアンネリーゼたちを呼びにやってくる。
ミヒャエルは礼をしてさがっていく。レイチェルは大きな目をさらに大きく見開いた。
「イライザを? どうしてあんな人を」
「アンネリーゼ様、イライザ様はパーシヴァル様の妃候補だった方です。妃になるために厳しく育てられた、淑女の鏡と言われる方です。結局、パーシヴァル様が拒絶なさいましたが」
フュリアがイライザについて教えてくれる。アンネリーゼは頷いた。貴族名鑑にのっていた、イライザ・エルクデリア公爵令嬢。
かつて血の粛清の際にパーシヴァルにつき他貴族たちをまとめあげた、公爵家の娘だ。
「どのみち、会うことになるのです。先に会っておいたほうがいいでしょう。所作もマナーも、ダンスも、若い世代では彼女が一番ですから」
「それなら私も行くわ」
フュリアとレイチェルと共に、ミドラー夫人に従い蒼月宮の広間に向かう。
すでにイライザが待っており、スカートを摘まんで礼をしてくれる。
彼女は燃えるような赤毛の美しい、吊り上がり気味の大きな瞳が猫に似た女性だ。その所作はミドラー夫人が言うように確かに洗練されており、流れるような優雅さがある。
「はじめまして、イライザ様。アンネリーゼともうします」
「トルクメニアの姫でありパーシヴァル様の寵姫であるご自分の立場をお忘れですか? 私に様づけも敬語もいりません。リゼットと名乗ったらいかがでしょうか」
「いえ、私は……」
「アンネリーゼは、アンネリーゼよ。今日から違う名前ですと言われたら、私だって困るわ」
アンネリーゼを庇うレイチェルを、ミドラー夫人は優しい瞳で見つめた。
イライザはそんなレイチェルに、冷たい視線を向ける。
「パーシヴァル様を困らせてばかりの妹姫が、どうしてこちらに?」
「お義姉様の傍にいて、なにが悪いの? イライザ、余計なことを言わないでさっさとダンスレッスンをはじめなさい。そのためにあなたはここに呼ばれたのでしょう」
ミドラー夫人は、イライザに男役を命じた。そうしたほうが、アンネリーゼの練達度をより感じられるだろうという計らいである。
レイチェルが「頑張って」と、応援してくれる。アンネリーゼは「ありがとう」と微笑んで、イライザの前に進み出るとダンス前の挨拶をした。
スカートを摘まみ礼をするアンネリーゼを、値踏みするようにイライザが見ている。
大勢の貴族の前に出たら、このような目を向けてくるのはイライザだけではない。
多くの貴族たちが、アンネリーゼが皇妃に相応しいかどうか疑うだろう。
それを自分が求めているのかさえ、わからないのに。
ミドラー夫人が手を叩き、アンネリーゼはイライザの肩に手を置いた。イライザがアンネリーゼの腰をぐっと自分のほうへと引き寄せる。
彼女は男役も完璧に演じることができる。美しい顔が近くにあり、緊張しているアンネリーゼを苛烈な瞳が睨みつけている。
ステップを踏み、ミドラー夫人に教えられたとおりに踊る。
ふと、違和感に気づいた。イライザの体が妙に熱い。呼吸が乱れている。近づくとわかる程度だが、気道が狭くなっているような音がする。呼吸の合間に、ぜえぜえと、耳障りな音が聞こえてくる。
踊り終わり、礼をして離れるアンネリーゼを、イライザは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「いくらパーシヴァル様のお気に入りといっても、所詮はとっくの昔に滅びた国の姫。マナーもダンスもお粗末ですね。このような方が皇妃になるとは、ラングフォードも落ちぶれたものです」
「イライザ、言いがかりはやめて。お義姉様のダンスはとても美しかったわ! まるで妖精が踊っているようだったわよ。あなたよりもよほど、お義姉様のほうが綺麗だわ。あなたなんて、お兄様に歯牙にもかけられなかったくせに!」
アンネリーゼが口を開くより前に、レイチェルが激高した。
フュリアもイライザを睨んでいる。ミドラー夫人は呆れたように笑った。
「と、まぁ、このように──皆の前に出ると、嫉妬してくる女があとをたちませんわ。ですが、アンネリーゼ様には味方もいます。わたくしの目にも、アンネリーゼ様のダンスは完璧だと映りました。リゼット様の記憶がそうさせるのもあるのでしょうが、アンネリーゼ様の努力がとても感じられましたわ」
この場には、イライザの味方はいない。彼女は鼻白み「私を馬鹿にするために呼んだのかしら」と、忌々しそうに口にする。
アンネリーゼは、彼女の額に浮き出る不自然な汗に気づいた。
やはり彼女は──。
「イライザ様は、熱病にかかっておいでです」
アンネリーゼは、断定する。間違いはないだろう。この病気は何度も見た。アンネマリーと共に治療薬も作った。
自信がない姿を見せれば、イライザの不安を煽るだけだ。
だからアンネリーゼは、淡々とした口調で続ける。
「おそらくそれは、かつてセゾンリーブスでもはやったもの。体の芯の熱が消えず、手足は冷たい。冷や汗をかき、体は震えますが、寝込むほどに辛くはない。放置すれば、熱病は悪化し肺炎となり、死に至るものです。頭が割れるような頭痛がおありではないですか?」
「……わ、私は、病気などではないわ」
「体が怠いと感じる程度なのです。頭痛も、じっとしていればすぐにおさまるものです。それは初期症状で、一週間から二週間程度で悪化します」
「私を脅しているの? あなたを馬鹿にしたから」
「いいえ。……私は、姫には戻れそうにありません。ですが、薬師であることはできます」
やはり、リゼットには戻れない。
アンネリーゼは、セゾンリーブスで育った過去を捨てられない。アンネマリーとケイオスが、どんな想いでアンネリーゼを育ててくれたのか、今となっては尋ねることはできない。
けれど、彼は確かに父だったし、彼女は確かに母だった。
「薬を届けます。飲んでいただけますか?」
「……っ、私、死ぬの? 公爵領では、肺の病で死ぬ人がこの一年、とても多いわ。私も同じ……?」
「大丈夫、必ず治ります。薬さえあれば、治せる病気です」
ただ──城の薬草畑には、熱病の薬を作るための薬草がない。
あれは少し特殊なもので、植え替えができないのだ。セゾンリーブスにしか生えていない薬木が必要だ。
森に、帰らなくては──。




