リゼット・トルクメニア
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『あなたはきっと、すごくすごく、こわい思いをしたのですね』
ふと目覚めると、新雪のように美しい銀の髪をした少女が、パーシヴァルを覗き込んでいた。
まるで妖精か天使のように愛らしい少女だ。澄んだ湖のような青い瞳に、パーシヴァルの姿が映っている。
『お前は、誰だ』
『リゼット。リゼット・トルクメニアともうします。はじめまして、パーシヴァル様』
パーシヴァルと同年代か、少し年下に見える幼い少女は、きっちりと淑女の礼をして、恥ずかしそうにはにかんだ。
パーシヴァルが物心ついたときには、すでに後宮には母ルーテ以外に、五人の側妃がいた。
後宮には、あまりいい思い出がない。
正妃の宮城である蒼月宮で、パーシヴァルはルーテと二人で暮らしていた。
二人きりであれば穏やかだったが、後宮の管理は正妃の仕事である。側妃同士の喧嘩を諫めたり、問題ごとを解決したりする必要があった。
王の愛を得られていないくせにと、ルーテはいつも側妃たちから馬鹿にされていた。
パーシヴァルは他の弟妹たちと比べられて、肩身の狭い思いをしていた。
誰よりも優秀でなくてはいけなかったが、幼いころのパーシヴァルは線の細い子どもで、ともすれば女児のようにさえ見えた。
これでは、武勇には秀でていないだろう。突出して賢いというわけでもない──などという陰口はいつも聞こえてきていた。そのために、さらに萎縮してしまい、うまく人と話すことさえ難しい。
それでもパーシヴァルは、皇妃の子である。
皇帝の座を継ぐ道が、パーシヴァルの前には常に敷かれていた。
側妃たちにとってパーシヴァルの存在は邪魔でしかなかった。
彼女たちは表立って目立った行動はしなかったが、パーシヴァルは常にそれを感じながら暮らしていた。
そしてある日、ルーテとパーシヴァルの食事に毒が混ぜられたのである。
それは、昼食のスープに入れられていた。ほろほろと崩れる柔らかい牛肉の入ったシチューを、パーシヴァルは好んでいた。
パーシヴァルは腹を空かせていた。ルーテが紅茶を口にしている横ですぐにシチューを口に含んでひと口飲み干した。
そこで──毒見が倒れたと狼狽しながら侍女が知らせに来た。
ルーテはまだ食事を口にしていなかった。けれどシチューを一口食べてしまったパーシヴァルは、それからしばらくして、ひどい吐き気と発熱に襲われて、数日、生死の境をさまよった。
犯人がみつかるまでは──と、ルーテはパーシヴァルを連れてトルクメニアに行くことを決めた。
トルクメニアの王妃とルーテは長年の友人であった。
ルーテは若いころ、トルクメニアに一年ほど留学していた。そのときに仲良くなったのが、王妃になる前の、公爵令嬢リノアンだった。
体から毒が抜けたものの、苦痛と恐怖はパーシヴァルの心にべっとりと汚泥のようにこびりついていた。
食が細くなり、一日の大半は眠って過ごした。
ルーテはパーシヴァルの変わり果てた姿に憔悴しきっていた。
トルクメニア城で暮らし始めたそんなある日、ルーテはリノアンに誘われて音楽鑑賞会に出かけた。
たまには外の空気を吸ったほうがいいと言われたからだ。
パーシヴァルはどこにも行く気になれず、動くことも億劫で、いつものようにベッドで丸くなっていた。
かといって、深く眠れるわけではない。現実と夢の境をいったりきたりしていた。
曖昧な眠りから目を覚ますと、リゼットがパーシヴァルの顔をのぞきこんでいたのである。
『ずっと、話をしてみたいと思っていました。お母様が、パーシヴァル様はご病気だから、近づかないようにって言うのですけれど』
『病気ではない』
『では、すごくこわい悪夢をみたのですね。そんな顔をしています』
『悪夢も、見ていない』
『小鳥たちが、パーシヴァル様は一人きりのときに震えて泣いているって教えてくれて。今日はお母様たちがいませんから、心配になって様子を見に来たのですよ』
『泣いてなど……っ』
声を荒げたパーシヴァルに、リゼットは怯えもせずに傍にいた。
パーシヴァルの手を優しく握って、手の甲に星を指で描く。
『こわいことは、なにもない。星はあなたを見守っている』
『なんだ、それは』
『これは、トルクメニア王家につたわる魔よけのおまじないだそうです。お母様が、眠る前にいつもこうして、私の手に星を描いてくれるのです』
大丈夫、大丈夫──と、パーシヴァルよりも幼い少女が、子供をあやすように言う。
それから彼女はにっこり笑うと『なにか食べましょう? お腹がすくと、元気がでませんよ』と、明るく言った。
パーシヴァルはリゼットに手を引かれて、部屋を出た。
リゼットが傍にいると、不思議となにかを食べる気になった。
彼女が傍にいると、怖いことも嫌なことも忘れることができた。
リゼットには、不思議な力があった。彼女は小鳥の声を聞くことができるのだという。
リノアンは、リゼットの傍にいる小鳥たちは、本物の小鳥ではなく精霊なのだと言った。
トルクメニアにはときおり、精霊の加護を持つ人間が生まれる。
精霊は星のかけらから生まれる。精霊は加護を持つ人間を守り、助言を与え、傍にいる。
それはよき隣人のような存在である。
リゼットは『小鳥さんたち』と、精霊を呼ぶ。『今日のお夕飯がなにかとか、今日の天気がなにかとか、そんなことを教えてくれるのですよ』と、小鳥について彼女は言う。
どうやら、リゼットの精霊はリゼットに情報を与える存在らしい。
パーシヴァルははじめは半信半疑だったが、そのうち、その神秘を受け入れるようになった。
リゼットの傍にいると、そういうこともあるかもしれないと、思えるのだ。
『パーシヴァル様は、お菓子は嫌いですか?』
『あぁ』
『ご飯は食べるようになりましたね』
『少しは』
『お菓子も食べるといいですよ。甘いものを食べると元気がでます。私はお菓子が大好きです。パーシヴァル様、カヌレというお菓子を知っていますか?』
『知らない』
『それは、大人のお菓子なのだそうです。お酒が入っているから、私にはまだ早いのですって。お母様とルーテ様はめしあがっていました。私も食べたいのに』
『酒は、お前には早い』
『パーシヴァル様にも早いです。でしたら、大人になったら一緒に食べませんか? お酒の入ったお菓子を食べて、一緒にお酒を飲むのもいいですね』
『……あぁ』
『約束です』
『約束──』
結局──その約束は果たせなかった。
トルクメニアに一年滞在し、ルーテと共にパーシヴァルはラングフォードに戻った。
それからしばらくして、凶報が届いた。
ルドベキア三国連合によって、トルクメニアが陥落した。
国王も王妃も、そして姫君も、王家の者は一人残らず殺されたのだと。
ラングフォード皇国の周辺にはいくつかの小国がある。小国は手を組み、ラングフォード皇国に対抗しようとした。だが、トルクメニアはその誘いを拒否した。
ラングフォード皇国とトルクメニア王国は友好関係を結んでいる。ラングフォード皇国に逆らう意味はない。
それを不服として、連合を結びルドベキア三国連合という名になった三国が、トルクメニアを攻めて支配下に置いたのだ。
そんな話を──パーシヴァルはルーテから聞いた。
リゼットが、死んだ。
世界が、足元から音をたてて崩壊していく。
もう二度と、彼女に会えない。話すこともできない。触れることもできない。
共にカヌレを食べる約束をしたのに。なにもできなかった。
遠く離れた地にいて、守ることもできなかった。
この日から、パーシヴァルは変わった。
弱かった自分を捨て去り、皇帝の座を継ぐために研鑽を重ねた。
毎日体が痛くて眠れなくなるほどに鍛え抜いた。
十五歳で皇帝になり、ラングフォードに戦をしかけようとしていたルドベキア三国連合に、先に攻め入った。
全てはリゼットを殺したものたちに、同じ痛みを味わわせるために──。




