茶会での事件
アンネリーゼたちが中庭に向かうと、テラスのガーデンテーブルにはすでに茶会の準備がされていた。
天使のような風貌のレイチェルが、にこやかにアンネリーゼたちを待っていた。
「アンネリーゼ、ミドラー、来てくれて嬉しいわ」
彼女はアンネリーゼたちを出迎える。フュリアが椅子を引き、アンネリーゼは彼女と向かい合って、ミドラー夫人はその隣に座った。
マリーシャはレイチェルの隣に控えている。どこか浮かない表情をしているが、マリーシャはいつもそんな顔をしている。
エマがケーキスタンドを運んできて、マリーシャはカップに紅茶をそそいだ。
「レイチェル殿下、おひさしぶりですわね」
「ええ。あなたが私を、手に負えないと言って見捨てて以来かしら」
「そんなこともありましたわね。けれど、殿下は大人になられましたわ。自らアンネリーゼ様と親しくなろうとするなんて、わたくし、殿下を見直しましたわ」
ミドラー夫人とレイチェルの間には色々あったのだと、ここに来るまでにアンネリーゼはかいつまんで聞いている。
数年前にミドラー夫人がレイチェルの教育係になったとき、彼女はひどい癇癪持ちだった。
軽く叱ればそれ以上に激怒し、泣きわめいて物まで投げたのだという。
だからミドラー夫人は、戦地にいるパーシヴァルに何度か手紙を送った。面倒見切れない、手に負えない、と。
結局、ミドラー夫人は「もうわたくしにはどうすることもできませんわ」と言って、教育係を降りたそうだ。
「褒めてくれて嬉しいわ。アンネリーゼ、お兄様との暮らしはどうかしら?」
「とてもよくしていただいております」
「そう? お兄様はあまり話をしないでしょう。それに、冷たい人だわ。アンネリーゼが辛い思いをしているんじゃないかって、私、心配で」
「ご心配、ありがとうございます。大丈夫です。パーシヴァル様には優しくしていただいていますよ」
レイチェルは、パーシヴァルと同じで不器用なだけなのかもしれない。
感情を相手に伝えることは、アンネリーゼだって得意というわけではない。
十六歳の子供であれば、余計にそうだろう。
はじめてここに来た日に彼女がアンネリーゼに向けてきた悪意も、見知らぬ女に戸惑い警戒していただけなのかもしれない。
「アンネリーゼ、それはラングフォードの南でとれる紅茶よ。甘くてとても美味しいの。飲んでみて?」
アンネリーゼはすすめられるままに、カップに手をかける。
その手を──マリーシャが払った。
「マリーシャ……?」
「どうしたの、マリーシャ」
「なにをするの、アンネリーゼ様に……っ」
アンネリーゼは払われた手を引き寄せて、戸惑いながら彼女の名を呼ぶ。
フュリアもエマも、彼女の突然の行動に驚き戸惑っている。
アンネリーゼはマリーシャの真っ青になった顔を見た。その指先は真冬の川に手を突っ込んだときのように、かたかた震えている。
尋常ではない様子に、嫌な予感が襲い掛かってくる。
いつの間にかアンネリーゼの周囲に、セゾンリーブスからやってきた小鳥たちがぱたぱたと飛び回っている。まるで、何かを教えようとしているかのように。
「マリーシャ、なんなの、いったい!」
アンネリーゼが彼女に声をかける前に、レイチェルががたりと椅子から立ちあがった。
椅子が倒れて重たい音を立てる。レイチェルは怒りの形相でマリーシャを睨みつける。
茶会を台無しにされたから──という理由だけではなさそうに見える。
ミドラー夫人も皆の様子がおかしいことに気づいたのだろう、「この紅茶に、なにか?」と、カップを手にしようとする。
マリーシャは、アンネリーゼのカップを震える手で握りしめて、その中身を一気に飲み干した。
「……っ、ぐ、ぅう……っ」
飲み干した途端に、彼女は奇妙なうめき声をあげてその場にがくりと膝をつく。
手から取り落とされたカップが地面に叩きつけられて、パリンと音を立てて割れた。
カップの中は空になっている。マリーシャは紅茶を全て飲み干していた。
「マリーシャ!」
地面に倒れ込んだマリーシャは、口の端から泡を噴き出しながら小刻みに痙攣している。
尋常ではない様子の彼女をフュリアが抱えて、何度も名前を呼んだ。
アンネリーゼもすぐに彼女に駆け寄る。マリーシャはアンネリーゼを薄く開いた瞳で見つめると、振り絞るように言葉を紡ぐ。
「こうちゃ、に、どくを……わたしは、ゆるされないことを……」
唇が動かないのだろう。マリーシャの声は不明瞭だが、なんとか聞き取ることができる。
ミドラー夫人は紅茶のカップから手を離した。エマが夫人を守るように、立ちあがる夫人を背後に庇う。
「なんてことを……あなた、ニコル派の残党とつながりが……? ミドラー夫人やレイチェル様を暗殺しようとしたの!?」
「ちがう、レイチェル様の、指示で……」
「レイチェル様の!?」
フュリアの問いに、マリーシャは最期の力を振り絞るように答える。その瞳は焦点を失い、ひゅーひゅーと、不自然な呼吸をしはじめる。
立ちあがり逃げようとするレイチェルを、ミドラー夫人が睨みつけた。
「レイチェル殿下、まさかアンネリーゼ様を殺そうとしたのですか!? あなたの母君が、ルーテやパーシヴァル様を殺そうとしたのと、同じように!」
「ち、ちがう、ちがうわ……っ、それはただの、痺れ薬よ、死んだりはしないわ!」
「痺れ薬……」
アンネリーゼは、素早く、けれど慎重にマリーシャの状態を確認する。
呼吸はできている。全身が小刻みに震えている。口の端から唾液が流れているのは、唇が麻痺して閉じることができないからだ。だらんと垂れた指には力が入っていない。
「レイチェル様、いったいなんの薬を使ったのですか」
「よく知らないわ。マリーシャに全てまかせたもの。アンネリーゼに痛い目をみせるために、痺れ薬を飲ませなさいって命じたのよ」
がたがたと震えながら、レイチェルが言う。
彼女はようやく目の前の出来事の重大さに気づいたように、大きな瞳に涙をためて、必死に弁解をしはじめる。
「アンネリーゼは薬師なのでしょう? だから、私の紅茶に薬を混ぜてようとして、間違えて自分で飲んだのだとお兄様に言って、アンネリーゼを追い出してもらおうと思ったのよ……でも、でも、殺してなんて、私、言ってない……っ」
「一過性に体に麻痺を生じさせる薬というのは、とても危険なものです。分量を少し間違えるだけで、人を死に至らしめます。マリーシャさんは薬に詳しいのですか?」
厳しい口調で、アンネリーゼはレイチェルに問う。
それはどう考えても危険な薬だ。アンネリーゼでさえそんなものを作ることはまずない。
人の体に害になるような薬は毒と同じである。分量を少し間違えただけで、簡単に人を殺すことができてしまう。
「いえ、そんなことはないと思います。城の書庫には膨大な本がありますから、調べて齧った程度の知識で薬を調合したのか、どこからか買ってきたのか……ともかく、医者を呼びましょう……っ」
ただ首を振るだけで話せなくなってしまったレイチェルの代わりに、フュリアが答えてくれる。
フュリアはマリーシャを一先ず地面に寝かせる。アンネリーゼは吐物を飲み込まないように、彼女を横向きにした。




