侍女マリーシャ
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後宮の一角にある美しい庭園で、レイチェルが優雅に紅茶を飲んでいる。
マカロンを摘まんで食べる彼女の前に、マリーシャは緊張の面持ちで立っていた。
まだ十六歳の姫君であるが、言い知れぬ迫力があるのは彼女の母の影響からなのか。
レイチェルが物心つく前に、彼女の母はルーテとパーシヴァルを毒殺しようとした罪で処断をされている。
見た目は可憐だが、まるで毒のある花のようだったとかつての彼女を知る人々は言う。
十八歳のマリーシャは、彼女の存命時まだ子供だった。だからレイチェルの母を直接見たことがないが、レイチェルの背後に毒のある花といわれた女が常に亡霊のようについてまわっているように感じられる。
マリーシャは、パウエル子爵家の次女である。あまり裕福ではない家の出身で、金を稼ぐために城の侍女になった。
およそ一年前の血の粛清で、パウエル子爵家はパーシヴァルについた。そのために処断を免れて貴族籍は剥奪されなかった。
あの粛清で、貴族ではなくなったものは多い。
おそろしい血の皇帝パーシヴァルよりも、愛らしく御しやすいニコルを皇帝に──と、画策する貴族の一派がいたのだ。パーシヴァルが戦争のために五年も不在にしていたことも、貴族たちを増長させる一因になった。
ともかく、マリーシャは血の粛清を乗り切り侍女として真面目に働いた。そして、フュリアの指示でアンネリーゼの侍女になったのである。
フュリアはこれは、という人材を選んだらしい。だが、アンネリーゼの世話については不満に思っている者のほうが多い。
アンネリーゼはどこの馬の骨ともわからない女だ。それにひきかえ、城の侍女とは貴族の子女がほとんどである。フュリアは伯爵家の人間で、マリーシャは子爵家。年配のエマも、男爵家の出身だ。
だから一人きりになったとき、ついぽろりとこぼしてしまったのだ。
『どうして私が、庶民の面倒をみなくてはいけないの? 城勤めしていれば皇帝陛下に見初められる日もあるかと思っていたのに……あぁでも、それもおそろしいわ。血の皇帝の妻なんて。皇帝陛下は獣だわ、女性にあれほど乱暴をするものかしら。アンネリーゼ様も受け入れているように見える。あぁ、はしたない。嫌だわ』
それを、レイチェルに聞かれた。
誰もいないと思っていた裏庭のガゼボに座って、レイチェルはアンネリーゼの様子を監視しようとしていたのである。兄に近づく不埒な女だ、気に入らないと彼女は言う。
『お兄様に今の発言をきかれたら、あなたはクビよ。子爵家も困るでしょうねぇ、なんたって貧乏だもの。あなたはお兄様の寵姫を罵った女として生きていくのよ。きっと皆から嫌われるわ』
レイチェルに脅されて、マリーシャは真っ青になって震えることしかできなかった。
『ねぇ、マリーシャ。協力してちょうだい。あの庶民を、ここから追い出すの。お兄様に嫌われるように仕向けてね。あなたは私に、今日から従うの』
無邪気に彼女は言う。そこに悪意はないのだ。彼女は善意から、兄に近づく悪い虫を排除しようとしている。
それが余計に、マリーシャにとってはおそろしかった。
アンネリーゼの世話をしながら、常にマリーシャの頭にはそれがちらついていた。
表立って意地悪をすることはできない。フュリアの監視の目が常にあったからだ。もしそんなことをしようものなら、マリーシャはすぐに追い出される。
だから他の侍女と同じように、不安や不満を心の奥に隠しながらアンネリーゼの世話に勤しむふりをしていた。
アンネリーゼが外出したいと言ったときは、レイチェルのいいつけを守るよい機会だと感じた。パーシヴァルとの約束を破りアンネリーゼが外に出れば、彼女はパーシヴァルの怒りをかうだろう。
そうすれば、寵愛の熱も冷めるだろうなんて、簡単に考えていた。
けれどそうはならず、むしろあの一件からアンネリーゼとパーシヴァルの距離はより近づいたように見えた。
「なにをしているのかしら、マリーシャ。まだあの女は、城の中に居座っているじゃない」
「はい。アンネリーゼ様は優秀だと、ミドラー夫人からも気に入られています」
「なんですって! あの鬼婆に? 信じられないわ! ミドラーは私のことは怒るのよ。つきあいきれないとまで言われたわ!」
「それは、ひどいですね」
憤慨するレイチェルに同情するふりをしながら、マリーシャは心の中でそれはそうだろうと思う。彼女は今まで何度も問題を起こしている。
侍女を苛めて追い出したり、護衛に我儘を言って困らせたり。パーシヴァルにも注意を受けている。次に問題を起こしたら、城を追い出すとまで言われたこともある。
「アンネリーゼ様のおつくりになったカヌレを、パーシヴァル様はめしあがったのです。夕食も、手作りのものを。パーシヴァル様は、毒殺事件があってから温かい料理は口にせず、菓子の類は一切めしあがらなかったのに」
パーシヴァルは、十歳で殺されそうになっている。
食事の毒で毒見が死んだ。その毒は遅効性のもので、毒見が死ぬまで時間がかかったのだ。
パーシヴァルは毒見が食べたあとのあたたかい料理を口にした。二口目を口にしようとする前に、毒見が死んだとの知らせが入り、致死量を口にすることは免れたが、生死の境をさまよった。
だから、トルクメニアにルーテともども避難させられた。
それ以来、パーシヴァルの食事は毒見を終えて数時間後の、冷えたものしか出さないことになっている。あたたかいものは口にしないはずだ。
それなのに彼は、アンネリーゼの手料理を残さず食べた。
菓子を見ることも嫌っていたが、カヌレも美味しいと言って喜んでいた。
「アンネリーゼ様を追い出すことは不可能です。私にはなにもできません。レイチェル様も、おあきらめになったほうがよろしいかと……」
「いやよ。お兄様は、私のお兄様なのよ!?」
手にしていたマカロンを、レイチェルはマリーシャに投げつける。
癇癪を起した彼女を前におろおろしているマリーシャを、レイチェルは鼻で笑った。
「では私に協力なさい、役立たず」
なにかを思いついたらしく、悪事など考えそうにないほど愛らしい表情で笑うレイチェルに、雪原に投げ出されたようにマリーシャの背筋は凍り付いた。




