あなたのためにできることを
菓子作りと薬作りは似ている。分量を間違えると失敗してしまうところや、繊細な作業が必要なところ。料理はある程度大雑把でも問題ないが、菓子は違う。
どちらも、アンネリーゼは嫌いじゃないと思いながら、焼きあがったカヌレを確認した。
「フュリアさん、ミドラー夫人のお加減はどうでしょうか。ここ数日は、勉強会がお休みになっていますけれど」
「アンネリーゼ様のおかげで、すっかり元気をとりもどしていますよ。あと数日休んだら勉強会を再開するそうです。甘酒がとても美味しくて、薬が効いて胃の不調もなくなり、よく眠れるそうです。食欲も戻ってきましたよ」
「カヌレを焼いたのですが、まだ召しあがることは難しいでしょうか」
「大喜びします、きっと。おばさまはお菓子に目がないのです」
パーシヴァルのために焼いたものを、いくつか包んでミドラー夫人に届けてもらうことにした。
アンネリーゼはカヌレをナプキンで包んで手にして、フュリアの前にさしだした。
「フュリアさんも、よければ」
「えっ」
「お菓子は、嫌いですか?」
「い、いい、いえ、ですが、それは陛下のためのものでは……」
「たくさん作りましたから。どうぞ」
フュリアは顔を真っ赤にした。しばらく考えてから、口をあけてアンネリーゼの手にしていたカヌレをぱくりと食べる。
「おいしい」
手渡すつもりだったのだが、食べさせるような形になってしまいアンネリーゼは少し驚いた。
けれどいつも感情を表に出さないフュリアが嬉しそうに微笑むので、アンネリーゼもにっこり笑った。
ミドラー夫人の治療から、フュリアはアンネリーゼと以前よりも言葉を交わしてくれるようになっていた。
今日はカヌレと共に、夕食もアンネリーゼが作った。久々に料理がしたいと我儘を言ったのだ。
フュリアの手配で、それは許してもらうことができた。
パーシヴァルのために、セゾンリーブスで彼のために作ったような料理をつくる。兎肉のシチューに、ライ麦パン。蒸し野菜に、デザートのカヌレ。
アンネリーゼは食堂に夕食を準備してから、パーシヴァルを出迎えた。
「おかえりなさい、パーシヴァル様」
「……あぁ」
パーシヴァルは、戸惑ったように眉を寄せる。
彼の手を引いて、アンネリーゼは食堂に向かう。皿につまれたカヌレや、素朴な料理を彼はしばらく無言で眺めていた。
「お前が作ったのか?」
「はい。料理をすることも、薬を作ることも、あなたは駄目とは言わなかったでしょう?」
「あぁ。……俺の元から逃げなければ、それでいい」
「逃げません。約束しました。私は、あなたの傍にいると決めたのですから」
あなたがもういらないと言わないかぎりは──という言葉を、アンネリーゼは心の奥にしまった。
「どうぞ、座ってください。パーシヴァル様は毎日お忙しいのでしょう。ここにいるときぐらいは、気を楽にしていただければと思います」
「そんなに疲れて見えるか?」
「セゾンリーブスで一緒にいたときよりは、お疲れのように見えますよ」
「まだ、若い。仕事に疲れるような年ではない」
「二十一歳でしたね。私とそう変わりません。でも、私も疲れることがありますよ」
納得がいかないというように眉を寄せる彼が面白くて、アンネリーゼは笑いながら彼を椅子に座らせる。
「カヌレを、あなたに作ると約束しました。でも、まだ作っていなかったので。お好きなのですよね?」
「……食べたことがない」
アンネリーゼはきょとんと、目を見開いた。
馬にカヌレと名付けるぐらいなのだから、好きなのかと思っていた。確か彼もそう言っていたはずだ。
「では、今日試してみてくださいね」
「あぁ」
パーシヴァルと向かい合って、食事をする。彼はいつもよりも穏やかな表情で、シチューを口に運んでいる。
かつての、二人きりの生活を思い出す。あの場所でも、こんな風に静かで平穏な空気が流れていた。
「ミドラー夫人が、お前を褒めていた。お前は本当に、腕のいい薬師だと。あの偏屈な婦人にああも褒められるとは。お前の魅力は、俺だけが知っていればいいのだがな」
「偏屈? マダムは、優しい人ですよ」
「表面上はな。偏屈で、強情だ。ランディス……夫人の息子は、よく文句を言っている」
「そうなのですね。……マダムが元気になってくれて、よかったです。心の傷は、体の傷よりときに、悪さをすることがありますから」
ミドラー夫人は、眠れなくなるぐらいにルーテの死に心を痛めていた。
では、パーシヴァルはどうなのだろう。
彼の生い立ちを知れば知るほどに、アンネリーゼの胸は痛んだ。
パーシヴァルはそれをまるで表に出さないが、きっと──辛く苦しい心を抱えているはずだ。
一か月前に彼は突然皇城からいなくなったのだという。
誰にも告げずに、姿を消した。その間皇国は、ランディスと、彼の弟であるアルバートがなんとか治めていた。
パーシヴァルの不在を多くの者に知られないようにしながら、彼を捜索し続けていたらしい。
パーシヴァルはトルクメニアに向かい、どういうわけかセゾンリーブス大森林の奥地で迷っていた。
見つからないはずである。
ただ迷っただけとは、彼の事情を知ってしまったアンネリーゼにはどうしても思えなかった。
彼の心にも深い傷がある。少しでも、それを癒やしたい。薬師として。そして──彼に、恋をする一人の女としても。
「お前の料理を、久々に食べた。……旨いな、やはり」
「よかった」
「アン、フュリアに、カヌレを食べさせたらしいな。ランディスが、フュリアが自慢してきたと言っていたが」
「えっ、あ……それは」
そういうつもりではなかったとは言えない。フュリアが喜んでくれたのだ。
そんなに嬉しかったのだろうかと思うと、なんだかとても微笑ましい気持ちになる。
「……セゾンリーブスに、戻りたいな。お前と二人きりで。お前が微笑みかけるのも、優しくするのも、俺にだけであればいい。顔を隠して生きる魔女の美しさを知ることができるのは、俺だけであればよかったのに」
アンネリーゼは、フィンガーボウルで指を洗ってカヌレを手にする。
パーシヴァルの口元にそれをさしだすと、彼は緩慢な仕草で口を開いて、一口大のそれを口の中に入れる。
ついでのようにアンネリーゼの指を舐めてから、離れていった。
アンネリーゼは舐められた指を引き寄せて、頬を染めた。
食べさせることでさえ恥ずかしさを堪えているのに──舌が触れた指先が熱を持っている。
この数日は穏やかな夜を過ごしていたために、余計に意識してしまう。
「……思ったよりも、甘くない」
「大人のお菓子なのですよ。ラム酒が入っているので、子供は食べることができません」
「あぁ。……子供ではない、俺も、お前も」
パーシヴァルは視線を落として、呟いた。
アンネリーゼもカヌレを一つ口に入れる。ラム酒の風味が鼻に抜けていく。茶色一色の素朴な菓子だが、ラム酒のおかげで豊かな風味がある。
馬にカヌレと名づけているのに、食べたことがない。
ふと、アンネリーゼはその理由に思い当たる。ためらいながらも、彼に質問することにする。黙っていたら、距離が開いていくばかりだと思い知った。
いつまで彼の元にいられるのか、わからない。
立場故に、アンネリーゼを捨てなくてはいけなくなる日がくるかもしれない。
別れが来るまで、アンネリーゼは自分にできることを探したい。
傷ついたパーシヴァルが、再び深い森の奥で迷わないように。
「リゼットさんとの、思い出なのですね。彼女は、幼いころに亡くなられています。だから、カヌレは食べることができなかったのですよね……?」
「お前は、聡いな。あぁ、そうだ。俺とリゼットが出会ったのは、俺が十歳、リゼットが七歳のとき。リゼットは、カヌレはまだ早いから食べることができないのだと、不満そうにしていた。大人になったら一緒に食べようと、約束した」
「……そうだったのですね」
アンネリーゼは頷いた。それはとても可愛らしく、そして悲しい思い出だ。
その約束は果たされることなく、リゼットは亡くなってしまったのだ。
「カヌレとは、悪くない菓子だな。酒の味が強い」
「お口にあうようで、よかったです」
パーシヴァルはいくつかカヌレを食べた。彼は酒に強いのだろう。
アンネリーゼは、二、三個食べただけで体がふわふわして思考がおぼつかなくなってしまうが、彼は平然としている。
「残りは仕事の合間に食べる。……アン、また作ってくれ」
「喜んでいただけて嬉しいです」
「料理も、感謝する。久々にまともなものを食べた。料理人たちの料理は、どうにも味がしない。お前の作るものは、違う」
「料理人さんたちのご飯も、美味しいですよ」
「俺には、そう感じられない」
それは、かつて料理に毒が入れられそうになったことと関係があるのだろうか。
パーシヴァルは立ちあがり、食事を終えたアンネリーゼを抱きあげる。
「俺を癒やしたいのだろう。菓子も食事も嬉しいが、もっと欲しいものがある」
「……お疲れでしょう?」
「時間が惜しい。湯あみをしようか、共に」
「ま、待ってください、それは、恥ずかしいです」
「お前は誰かに見られるかもしれないのに、屋外の風呂に入っていただろう」
「それはそうですけれど、そういうことではなくて……っ」
アンネリーゼを両手に抱いて歩くパーシヴァルに、フュリアが遠慮がちに「お手伝いは」と声をかける。彼は「必要ない」と短く言った。
フュリアは他の侍女たちとともにさがっていく。彼女たちの頬は、わずかに赤く染まっていた。




