ミドラー夫人とフュリア
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アンネリーゼは庭園を歩きながら、庭園の奥にある林に生えている草や、庭園の花々などを観察していたらしく、ミドラー夫人が倒れるのを見たあとすぐに採取に向かった。
アンネリーゼを一人にできないので、フュリアも同行した。
ミドラー夫人──伯母の不調は、従兄のランディスからそれとなく聞いていた。
彼女は近頃、屋敷にこもりがちだった。ラミア、ソルディーナ姫の教育係として姫君たちを指導し、彼女たちが嫁いだあとにレイチェル姫の教育係になった。
だがあまりにもレイチェル姫の我儘と自分勝手さが目に余り、パーシヴァルが戦を終えて帰還し、血の粛清が起こったあとに──もう面倒みきれませんとパーシヴァルに言って、教育係を降りたのである。
あの気の強い伯母がそんなことを言うなんてと、フュリアは驚いた。
他人にも自分にも厳しい人だ。『偏屈でいう事を聞かない婆さん』などと、彼女の息子のランディスは言うが、フュリアにとっては尊敬できる伯母である。
それほどまでに、レイチェルの態度が悪かったのだろう。
だがそれだけではなく、体調が優れなかったのだ。
彼女の不調を、ランディスもフュリアもあまり重く受け止めていなかった。
なんせ気丈な人である。『余計な心配は無用よ』と、あれこれ尋ねると逆に臍を曲げてしまうようなところがある。
だから、気にしていなかった。年齢もあり、少し疲れている程度のことだろうと思っていた。
ルーテ妃の死が、伯母の心に影を落としていたことさえ、フュリアは知らなかった。
アンネリーゼにだけ、彼女ははじめて話したのだ。
アンネリーゼとは、なぜか心の内を話してしまいたくなるような、不思議な雰囲気を持つ女性である。
他者に対して献身的な気づかいをいつも向けてくれる。それは彼女が薬師として働いていたからなのかもしれない。
ラングフォードには薬師はあまりいない。いたとしても、怪しげな魔術の類だと思われて、信用されない。草や木の根を煮出したものが薬といわれても、馬鹿げていると思うもののほうがずっと多いのだ。
それなのに、伯母はすんなりアンネリーゼの薬を飲むと言った。
それほどまでに、もしかしたら伯母は辛かったのかもしれない。藁にも縋りたくなるほどに、その体は衰弱していたのに、誰もそれに気づかなかったのだ。
「アンネリーゼ様、それは」
「これは、エルシアードといって、こうして割くとどろっとした液体がでてくるでしょう? これが、胃の粘膜を保護してくれるのです。とても効き目のいい胃薬になるのですよ」
アンネリーゼが野草を集めるのを、フュリアは手伝う。
彼女は、フュリアにとってはなんだかよく知らない謎の草が、薬になるのだと教えてくれた。
草や根を綺麗に洗い、細かく切ったり煮出したりして、液状の薬を作る。
そのままでは苦いのだと言って、蜂蜜や薄荷を混ぜた胃薬は、フュリアも飲ませてもらったが飲みやすくて──むしろ、美味しいといってもいいぐらいだった。
彼女は胃薬と、精神を安定させる香炉を作った。それから、栄養価の高い飲み物も。
これは、甘酒という。これからの寒さにむけて生姜を入れた甘酒は、アンネリーゼの母がよくつくってくれたものだと、彼女ははにかみながら言っていた。
勉強会でミドラー夫人が倒れそうになってから数日後、フュリアはアンネリーゼが作った薬瓶を抱えてミドラー夫人の元に急いでいた。
ミドラー夫人こと、ミドラー・デュリエラの家は、皇城からほどちかい貴族街にある。
夫はすでに他界し、宮内卿の地位は息子のランディスが継いだ。
彼はパーシヴァルの側近の一人であり、年齢が近いことからも、ランディスとフュリアとパーシヴァルは幼馴染のような間柄である。
フュリアが城の侍女として働き始めたのは四年前。フュリアは騎士を志していたが、女であるが故に認められず、家の方針に従い侍女になった。
今から一か月前に突然城からいなくなったパーシヴァルがアンネリーゼを連れて帰ってきたときは驚いた。その世話をしろと言われたときにはもっと驚いた。
『余計な話をするな。アンネリーゼが逃げないように見張っていろ。彼女になにかしたら許さない。他の侍女のことも見ていろ。フュリア、頼んだ』
パーシヴァルは、そんなことをフュリアに命じた。
彼が、アンネリーゼの体に残酷なほどの所有の跡を残しているのを見て、フュリアは内心激しく動揺していた。
騎士として訓練してきたフュリアは、感情を隠すのが得意だ。
けれど──アンネリーゼという妖精のような美しい人に、こんなに無体なことをしたのかと、フュリアは己の主であり昔馴染みでもあるパーシヴァルのことが怖くなった。
女性になど興味がないような顔をして生きていたのに、これほど深く激しい執愛をその心に住まわせていたのか。そして、パーシヴァルを獣のようにさせるアンネリーゼは、どれほど魔性の女性なのか、と。
乱心をしたのか──と、思った。
彼の人生には苦痛が多すぎる。毒殺されかけ、他国に逃げた。戻ってきたら皇帝が死に、十五歳で即位した。それから戦争をはじめ、周辺諸国を平定したと思ったら、弟による反乱。
心も、病むだろう。パーシヴァルが行方知れずになったとき、フュリアは彼はもう戻らないかもしれないと思ったのだ。
まるで、手負いの獣だ。死に場所を求めてどこかに消えた。
乱心していたとしても、アンネリーゼがパーシヴァルをこの世に繋ぎとめているのなら──と、フュリアは覚悟を決めた。アンネリーゼの侍女として、彼女を守るのだ。
彼女がどんな人間であっても受け入れようと、思っていたのに。
(あんなに可愛らしく、誠実で努力家で、健気で博識なんて……幽閉されて心を病まれるかと心配していたのに、今はそれを受け入れていらっしゃる)
姫君たちや、パーシヴァルの妻になりたいと名乗り出る令嬢たち。彼女たちに比べると、アンネリーゼは無垢で純粋だ。けれどそれだけではない強さもある。
それら全てが、フュリアの目には快く映る。
見知らぬ土地で、心細いばかりだろうに。
「おばさま、ご加減はいかがですか? アンネリーゼ様からのお届けものです。おばさま? おばさま……っ」
デュリエラ家に入ると、しんと静まり返っていた。
ミドラー夫人を探すフュリアは、ふと廊下に倒れている女性をみつける。
フュリアの大声に気づいて、使用人たちも慌ててやってくる。フュリアは青ざめる使用人たちに囲まれながら、ミドラー夫人を両腕で抱きあげた。
男のランディスよりも力があることは、フュリアの微かな自慢だ。
ベッドに寝かせると、ミドラー夫人は薄く目を開いて「また眩暈がしたのよ、ちょうどよいところに来たわね、フュリア」と、気丈な口調で言った。
ミドラー夫人の悪い癖だ。人に頼りたからず、辛い時も平気なふりをする。だから彼女の不調に誰も気づかない。ランディスも『そのうち元気になるだろう』とあっさり言っていた。
彼女を本気で心配したのは、アンネリーゼがはじめてだろう。
「まずは、胃薬を飲むように、と。それから甘酒を少しずつ飲んでください。眠れていないのなら、昼間からでもいいので香炉を焚いて、よく眠るようにとのご指示です。おばさま、薬を飲んでいただけますか?」
いつもは、ここで拒否することをフュリアは知っている。いうことを聞かないのだ、この人は。
けれど、思いのほかあっさりと「ええ」と、彼女は頷く。
「おばさま……?」
「なんなの、その、お化けをみるような顔は。アンネリーゼ様がわたくしをあれほど心配してくれたのよ。薬は、ありがたくいただくわ。息子だって、あんな風には心配しないわ。医者だってそのうち元気になると言ってばかりよ」
人を見る目があるのだ。ミドラー夫人は昔からそうである。
アンネリーゼのことはすぐに気に入ったのだろう。いくつか彼女を試すような質問をしていたとき、フュリアはひやひやしたが、アンネリーゼはミドラー夫人のお眼鏡にかなった。
これはとても、珍しいことである。
胃薬を飲ませて、少ししてから甘酒を飲ませた。美味しいと言いながら彼女は瓶をひとつあけた。それから、フュリアは香木を焚いた。
「これは、ルナローズの木です。私にとってはただの木なのですが、安眠効果がとても高いそうですよ」
「……ありがとう、フュリア。アンネリーゼ様にも、お礼をいっておいて。……こんなに穏やかな気持ちになったのは、ルーテを失くしてからは、久々よ」
やがて静かな寝息が、部屋に響き始める。
フュリアは使用人たちにあとを任せると、部屋を退室した。




