血の粛清
夕暮れの庭園を、ゆっくりと手を繋いで歩く。
皇帝としての彼は多忙なのだろう。その精悍な横顔に疲れが滲んでいる。夜は長い時間をかけてアンネリーゼを抱いていた。あまり眠っていないはずだ。
彼もまた、追い詰められていたのだと、ようやく気づいた。
アンネリーゼは慰撫するように優しく、パーシヴァルの手に指を絡める。
リゼットの身代わりだとしても、彼の妻として相応しい身分の者ではないとしても、こうして共に歩くことはできる。
「懐かしいですね、セゾンリーブスでは二人でよく歩きました」
「そうだな。恋しいか」
「恋しくないといえば嘘になりますが、贅沢をさせていただいています。豪華な食事に、部屋に、ドレス。侍女たちまでいます。まるでどこかのお姫様のような暮らしです」
「慣れないだろう」
「はい。正直あまり……ですが、ありがたいと思っています」
しばらくぶりに、こうして言葉を交わしている。
淡々とした落ち着いた物言いと、アンネリーゼの言葉を待っていてくれる、ゆったりとした口調が好きだ。
こうして話をしていると、心が落ち着く。そしてそれだけではない、胸の疼きもある。
絡めた指が熱く、まるで──恋人のようで、胸の奥に花が咲く。
亡くなったリゼットに対してもうしわけなさはあるが、もう気持ちを抑えなくていい。
隠す必要もなくなった。これからどうなるのかわからないが、彼の傍にいようと、アンネリーゼは決めた。
自分で決めたことだ。なにが起こったとしても、きっと後悔はしない。
彼の忘れられない人に、アンネリーゼは似ている。
そういえば確かに彼は、アンネリーゼに尋問するかのように、色々と尋ねてきた。
あれは──アンネリーゼがリゼットではないか、確認をしていたのだろう。
彼はリゼットについて、多くを語りたがらない。
きっと尋ねないほうがいいのだろう。それはとても深い傷だ。守れなかったと口にするとき、彼の心はずたずたになっているかのように、激しい苦しみを感じた。
喪失の傷は塞がっていない。だからこそ、容姿の似ているアンネリーゼを渇望するように、求めている。
「パーシヴァル様、こちらに。今日はなにもなさらないでください。縛らなくても、私は逃げません。あなたが眠るまで、髪を撫でてさしあげます」
「……何故?」
「お疲れでしょう」
「お前を抱くことに、疲れたりはしない。だが……お前がそうしたいのなら、それでいい」
夜になり、寝室のベッドに座ったアンネリーゼは、自分の膝の上にパーシヴァルの頭を乗せる。
大きな子供のように素直に膝枕をされたパーシヴァルの髪を、優しく撫でる。
彼が時折身じろぐのがくすぐったく、どこか恥ずかしそうに眉を寄せているのが可愛らしくて、くすくす笑った。
「お前の笑い声を、久々に聞いた」
「そうでしたでしょうか」
「あぁ。……薬草畑をこちらに作れば、笑顔が戻るかと期待していた」
「そんな風に、考えていたのですね」
不器用な人だ。戦いと支配しか知らないような。でも、それだけではない。
彼はリゼットという少女をきっと心から大切にしていたのだろう。
だからこそ、面影が似ているアンネリーゼをこれほど深く求めてくれている。
愛情深い人だ。それほどまでに大切だった少女が彼にいたことに、ほんのすこしの切なさを感じる。
亡くなった少女に憐憫以外の感情を抱くのはいけないと、アンネリーゼは自分を戒めた。
「パーシヴァル様には異母妹が何人かいると、お聞きしました。もしかして複雑な事情を抱えていらっしゃるのでしょうか」
もう少しなにか話したいと思い、アンネリーゼは今日フュリアに聞いたことを口にする。
レイチェルにはもう会っているが、他にも何人かというと──彼の父には妻が多くいたということになる。
パーシヴァルはアンネリーゼの空いているほうの手に、甘えるように自分の手を絡める。
「複雑と言えば複雑で、単純といえば単純だ。異母妹は三人、異母弟が二人。俺の父、今は亡きオリヴァーには、正妃の他に側妃が五人いた」
「五人も」
「あぁ。一度孕んだ女を、オリヴァーは抱かない。母が身籠りすぐに側妃を後宮に入れ、立て続けに五人に増やした。異母弟妹たちは、だから俺とそう年齢が変わらない。ラミア、ソルディーナはすでに嫁がせた。レイチェルだけは残っている」
皇帝には多くの妻がいる。それは血を存続させるためだ。
アンネリーゼもそれぐらいは知っているが、あらためて聞くと壮絶な話だ。
後宮に六人もの妻がいて、ひとりにひとりずつ子がいる。
和気あいあいと仲良く──とは、いかないだろう。パーシヴァルの口調からそれを感じる。
弟妹について話す彼からは、倦んだような疲れが滲んでいた。
「アルフレードは生きているが、末の弟、ニコルは死んだ」
「……ご病気か、なにかで?」
「そのうちお前の耳にも入るだろう。それは、血の粛清と呼ばれている。俺が殺した」
アンネリーゼは気づけば強く、パーシヴァルの頭を抱きしめていた。
彼の痛みが皮膚を通して伝わってくる。
彼は他人事のような口調でそれを語っているが、その心の奥には隠しきれない苦渋がある。
立場故に、どれほどのものを失くしたのだろう。どれほどのものと、戦わなくてはいけなかったのだろう。
想像することしかできないが、皇子として生まれてしまったことの代償が大きすぎる。
「トルクメニアからルドベキア兵を全て追い出すことができたのは、三年前。そのまま三国連合まで進軍して、三つの国の王を殺した。三国連合はラングフォード皇国に比べたら小さく弱い。戦争が終わるまで五年と、長い時間はかかったが──全員、殺した」
パーシヴァルは膝枕から姿勢を変えて、アンネリーゼを抱き枕のように抱きしめる。
胸のあたりにある彼の頭を抱いて、アンネリーゼは再び髪を撫でた。
「皇国を長らく留守にしていた。帰還すると、ニコルを担ぎあげた貴族どもが、ニコルを玉座に座らせていた。俺は──皇帝の座など、どうでもよかった。だが、ニコル派の者どもが国を混乱させれば、再び混沌とした戦争が起こる。だから、粛清した。……そうするしか、なかった」
「……そんなことが、あったのですね」
「あぁ。……俺の手は血に染まっている。だから、お前の傍で身分を隠してただの男として生きるのは心地がよかった。お前を手放したくなくなるほどに」
それはアンネリーゼが、リゼットに似ているからだろう。
そうでなければ、パーシヴァルはアンネリーゼの元に留まらなかった。
足を捻ったぐらいなんでもないと言って、立ち去っていたはずだ。
彼の想う少女に似ていたことは、アンネリーゼに僅かな胸の痛みと、小賢しい歓びを齎した。
この感情は、綺麗なものではない。
それでも──アンネリーゼは彼にぬくもりをわけあたえたかった。
「あなたの手は、綺麗です。トルクメニアの人々は、パーシヴァル様に感謝しています。……あなたの手は、人々を守るためにある。あなたの剣も、同じ。だから……大丈夫です。私は、あなたの傍に」
パーシヴァルがセゾンリーブスで迷ったのは──孤独と絶望に、心が壊れそうになっていたからなのではないだろうか。
戦争で多くの血を流し、それからさらに肉親をその手にかけたのだ。
傷ついていないはずがない。
「ニコルはまだ、十五歳だった。……素直な子供でな。周囲に担ぎあげられ、お前こそ皇帝に相応しいと吹き込まれて、そう信じ込んでしまった。ここはそういう場所だ」
皇城とは、安全な場所ではないと彼は言っている。
ここに閉じ込めたのはアンネリーゼが逃げないようにするため。そして、アンネリーゼを守るためでもあったのかもしれない。
「それでも俺はお前を手放せない。アン、俺はお前を失いたくない。庭園までは、出ていい。だが、遠くにはいくな。なにが起こるかわからない」
「はい。ありがとうございます、それで十分です。……パーシヴァル様。可能でしたら、私に教育係をつけていただけませんでしょうか。私には、知らないことが多すぎます。あなたの傍にいるために、学びたいのです」
自分の身を守るためにもそれが必要だ。
トルクメニアのことでさえ知らないことが多い。ラングフォードなど、吟遊詩人の詩の中にしか出てこない異国である。
アンネリーゼが頼むと、パーシヴァルは僅かな沈黙のあと「わかった」と頷いた。




