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【全年齢版】あなたの愛は、きっと私のものじゃない  作者: 束原ミヤコ


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19/24

決別の朝


 

 朝日の中で目覚めると、一瞬ここがどこなのかわからなかった。

 空は晴れて、窓辺には小鳥たちが止まり愛らしい声で鳴いている。

 徐々に思考回路が焦点を結んでいき、昨日のことを思い出した。

 体に熱がまだ残っている。パーシヴァルで満たされたアンネリーゼの体はしっとりと潤み、大人びた気怠さを纏っている。


「……リゼットさん」


 噛みしめるように、呟いた。

 彼には大切な女性がいる。だから──愛された喜びに浸っていてはいけない。

 今までも、ひとりだった。またひとりに戻るだけだ。


 パーシヴァルをこの場所に引き止めるわけにはいかない。別れを告げる覚悟はしていた。

 その理由がより、明確になった。それだけのことだ。


 そう自分に何度も言い聞かせる。


「アンネリーゼ、起きていたのか」


 パーシヴァルが部屋に入ってくる。彼はゆったりしたガウンを羽織っている。

 心なしかいつもよりも雰囲気が柔らかい。

 体を起こそうとするアンネリーゼを、優しく支えた。

 頬に手を添えて、こつんと額を合わせる。彼の緋色は愛しいものを見つめるような熱を帯びていて、アンネリーゼの心を疼かせる。


 そうすることがごく自然であるかのように唇が重なる。重なりそっと離れて、もう一度重なる。

 指先に熱が集まり、体の芯が蕩けそうになってしまうほどに優しい触れ合いに、喜びと悲しみが綯交ぜになって、心が押しつぶされそうになる。


「おはよう。……昨日はよく、頑張ってくれた。今日はあまり、無理をするな」

「……おはようございます」


 アンネリーゼの陰る瞳と小さな声を、昨日の疲労が残るせいだと判断したらしく、彼は「全て俺に任せていろ」と言って、アンネリーゼを抱きあげた。


「パーシヴァルさん、私は、大丈夫……っ」

「俺がそうしたいと望んでいる。いい子にしていろ」

「私は子供では……」

「子供と思っていたら抱かない」


 パーシヴァルはアンネリーゼを裏庭に連れて行く。霧がまだ少し残る、柔らかな晴れの日だ。祝福するように小鳥たちが、薬草畑の上を飛び回っている。


 ガウンに包まれていたアンネリーゼを脱がせると、パーシヴァルは湯を張った浴槽の中にアンネリーゼを沈める。

 いつもはなんとも思わないのに、光の中で裸体を晒しているのは恥ずかしい。

 彼はアンネリーゼの髪を優しく洗った。


「美しい銀の髪だな。月の女神のようだ」

「ありがとうございます。……あの、私は自分で」

「お前は何もしなくてもいい。朝食も作った。不慣れだが……一応、形になったとは思う」

「あなたが……?」

「あぁ。だが……こうしてお前に触れていると、もう一度、抱きたくなってしまう。一度ではなく、何度でも」

「ん……」


 耳朶に背後から唇が触れる。首筋を吸われて、アンネリーゼは伏せた睫を震わせる。

 こんなに──情熱的な人だったのだろうか。

 今日という日は、昨日という日常と地続きになっている。

 けれど違う一日に迷い込んでしまったかのようだ。


 アンネリーゼが彼の心の中にいる人を知ってしまったことを、彼は知らない。

 彼には大切な人がいるはずなのに、アンネリーゼに向ける優しさも熱情も、すべて偽りではないように感じられてしまう。

 それが──苦しい。


 湯からあがり、清潔な服に着替えた。

 昨日の残滓が体から消えた。パーシヴァルはアンネリーゼの髪を拭き、櫛でとかした。

 彼を助けたとき、アンネリーゼは彼の世話をしたことを思い出す。

 あのときの逆だ。そして今日──彼と別れる。

 それを告げなくてはいけないのに、言葉が喉の奥から出てこない。


 食卓にはパンとスープが並んでいる。ブルーベリーのジャムとリコッタチーズがのせられたパンは、アンネリーゼの好きなものだ。

 スープには、不ぞろいに切られた野菜がごろごろ入っている。


「ありがとうございます。早起きを、してくれたのですね」

「あぁ。カヌレの世話もある。元々、あまり長く眠るほうではない。お前の寝顔をずっと見ていたかったが、お前は目覚めたら動こうとするだろうと思ってな」

「美味しいです。とても」

「よかった」


 どうしてそんなに優しくするのだろう。

 このまま、なにも知らないふりをしていたい。まるで夫婦か恋人のように、パーシヴァルが帰ると言うまで一緒に過ごして──。


 なんて、よくないことを考えそうになる。

 共にいる時間が長ければ長いほど、決意が鈍ってしまう。


 食事が終わり、パーシヴァルが片づけをしてくれている間、アンネリーゼはソファに膝を抱えて座っていた。

 片づけを終えてアンネリーゼの隣に座り、「もう少し寝ていたほうがいい」と言って手を取ろうとするパーシヴァルから、アンネリーゼは身を引いた。


「どうした?」


 彼は不思議そうに尋ねる。その、僅かに傷ついたような表情に心が痛む。

 それでも、言わなくてはいけない。このままずるずると、流されるわけにはいかないのだから。


「あなたの足は、治りました」

「あぁ、そうだな。お前のおかげだ」

「今日、昨日の手伝いをしていただいたぶんのお金をお渡しします」

「そういう話だったが、今は、そんな話をしなくていい」


 アンネリーゼの硬い声と表情になにか気づいたのだろう。彼の眉間に皺が寄る。

 部屋に満ちていた柔らかい雰囲気が、凍える冬のように変わっていく。


「足が治ったのですから、帰ってください。あなたとずっと一緒にいることはできません。あなたには、あなたの生活があります。私にも。私は、一人の生活に戻りたい」

「……何故?」


 低い声で、パーシヴァルは尋ねる。

 隠しきれない冷たい苛立ちが滲んでいる。彼を怒らせてしまうのも仕方ない。

 アンネリーゼは彼を傷つけようとしている。


「この森であなたと出会ったのは、束の間の夢のようなできごとでした。夢はいつか、醒めます。私もあなたも、元の生活に──」


 どうしても、声が震えてしまう。胸が締めつけられて息ができない。

 体が熱を失い、冷えていく。愛情に満ちた朝が、冷ややかな拒絶に変わっていく。

 それでも伝えなければと、膝の上に置いた手をきつく握りしめた。


 リゼットさんの元に帰って、とは、言えなかった。

 パーシヴァルが、女にだらしない男とは思わない。けれど彼は、アンネリーゼに救われて一緒に暮らすうちに、絆されてしまったのだろう。

 セゾンリーブスを覆う深い霧のような、夢の中にいるような生活に、現実をほんの少しだけ忘れてしまったのかもしれない。


「俺は、お前に拒絶されて尻尾を巻いて逃げるような、殊勝な男ではない」


 怒りに満ちた声が、冷酷に空気を震わせる。


「ですが、あなたは……」

「お前は俺のものだ、アン」


 その言葉には激しい執着がある。パーシヴァルはアンネリーゼの頬を撫でた。酷薄な笑みで唇が歪み、獲物を前にした獣のように瞳孔が収縮している。

 恐怖に、背筋が凍えた。


「どうして、その呼び名を……」

「お前の母が、書き残していた。薬草の知識をまとめた書物に、『大切な、アン』と」


 アンネマリーの声が脳裏に響いた気がした。『アン、私の大切な可愛い子。どうか、強く生きて』病床で、彼女は何度もそう言った。


 強く生きるとは、どういうことなのだろう。

 パーシヴァルに身を任せた選択に後悔はない。そのはずなのに。それは、間違っていたのかもしれない。自分自身も彼も傷つける結果になってしまった。

 過去は変えられない。昨日に戻って、パーシヴァルの触れる手を振り払いたい。

 でも、そんなことはできないと、自分自身が一番よくわかっている。


 情熱的な瞳で見つめられて、触れたいと乞われたら、アンネリーゼは何度繰り返しても彼を受け入れてしまうだろう。


「俺に抱かれたのは、同情からか? 一夜の慰めを与えるつもりだったのか。だが、お前の心がどうであれ、俺はお前を逃がさない」


 そんなわけがない。あなたが好きだから、身を任せた。

 あなたの心には別の女がいるのだろう──と、アンネリーゼは唇を噛む。

 どうしても、言えない。怖いのだ。

 真実を知ることは──怖い。


 パーシヴァルはアンネリーゼを抱きあげる。なんの荷物も持たないままに、強引に家の前に繋がれていたカヌレの上に乗せられる。


「離して……っ、お願いです、離してください……っ」

「黙っていろ。お前に拒否権はない」


 抵抗したが、パーシヴァルの腕は力強く、その体は硬く、びくともしなかった。


「どこに行くというのですか……っ」

「元の日常に帰れと、お前は言ったな。そのつもりだ。ただし、お前も連れて行く」

「そんな……困ります、私は……」

「ここにひとりでいる意味は? 守らなくてはいけない立場があるわけでもあるまい。薬師の仕事など、どこでもできる。薬草の類は運ばせる。本と弓、両親の遺品もな」

「運ばせる……誰に……?」

「なんだ。お前は、俺の立場に気づいたわけではないのか?」


 どういうことだろうと疑問を口にする暇もないまま、パーシヴァルはカヌレに跨り、アンネリーゼを片手に抱いて走らせはじめる。

 セゾンリーブスの森に、アンネリーゼの今までの生活を置き去りにして。




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