別れを惜しむように
皆の視線から逃れるように、外れてしまったヴェールを直し顔を隠すと、ほんの少しほっとした。
ありがとうと言ってくれるレヴィーナと、謝礼金をと言いつのるアレックスに礼をして離れる。
パーシヴァルは、別れ際になにも言わなかった。
ただ、いつもよりも寡黙で、あまり機嫌はよくないようだった。
市場の人混みから離れて、静かな路地に向かう。
パーシヴァルはその間、アンネリーゼの手を引いてくれていた。
心を落ち着けたかった。多くの人の前で言葉を話し、顔も見られた。
命を失いかけたからか、いつもよりも心が奮い立っている。興奮がなかなか抜けていかない。
二人きりになり、アンネリーゼはよろよろと座り込みそうになってしまう。
パーシヴァルがアンネリーゼの体を抱きしめて支えてくれる。大切なものを扱うように髪を撫でられる。
その手の優しさやぬくもりに、アンネリーゼは体温が上昇していくのを感じる。
好きだと──気づいてしまった。
こんな風に優しくされたら、その気持ちに歯止めがきかなくなってしまう。
「ありがとうございます、パーシヴァルさん。あなたがいなかったら私は、きっと……」
自分を律しながら、彼に礼を言う。パーシヴァルがいなかったらアンネリーゼは馬の下敷きになり、無残な死にざまを晒していただろう。
「無謀だ。なぜ、子供を庇った?」
「なぜ……? 人を助けるのに、理由はいりません」
「自分を犠牲にしてでも、か」
「いいえ、そんなつもりは……」
なかったとは言いきれない。それでもレヴィーナを助けなくてはと、アンネリーゼは使命感に突き動かされていた。
なにもできずに両親を失った無力感からなのか、それとも別の理由があるのか、自分自身にもよくわからない。
ただ衝動に突き動かされるように、無我夢中で動いていた。
「怖かっただろう。お前は、立派だった。よく頑張ったな」
「……っ」
純粋な誉め言葉に、アンネリーゼは息を詰まらせる。
褒めないで欲しい。優しく言葉をかけないで欲しい。
期待を、してしまいそうになる。
パーシヴァルはアンネリーゼのヴェールをあげて、素顔をじっと見つめる。熱を帯びた緋色の瞳に吸い込まれそうで、アンネリーゼは切なく眉を寄せた。
静かな路地が熱を孕む。アンネリーゼの豊かな胸が、彼の胸板に押しつぶされている。
硬い指先が背中を撫でる。
何度も撫でられると、なにかを求めるように唇が薄く開いてしまう。
唇が触れ合う──瞬間、明るい子どもたちの声が路地に響く。
荷馬車の事故があったんだって、見に行こうと、はしゃいでいる。それを咎める母の声も聞こえてきて、アンネリーゼはパーシヴァルの腕の中から離れた。
ヴェールを戻し「帰りましょう」と伝える。
心臓は、激しく脈打っている。口づけをしかけた。
でもそれは、アンネリーゼの考えすぎかもしれない。
パーシヴァルは路地から出ていくアンネリーゼの後に、従順な猟犬のように静かに従った。
いつものように空き瓶を抱えて帰路につく前に、パーシヴァルは厩に立ち寄った。
馬番が彼の馬を預かってくれている。見事な黒毛馬を馬番が厩から出してくる。
「無事に戻ってきてなによりだ。馬を預けたまま帰ってこない者も多いんだ。だから、代金は先払いにしていてね」
「セゾンリーブスで遭難しかけた」
「あっはは、そりゃあいい。兄さん、ずいぶん豪胆だね。あの森の奥に入り込んで生きて帰ってきた者はいないよ。魔女さんが助けてくれたのか?」
「あぁ。その縁で、夫婦になることにした」
「おぉ、そりゃあよかった。魔女さんも一人じゃなにかと心細いだろう。ご両親が亡くなったと噂で聞いたよ」
馬番の男が気さくに話しかけてくるので、アンネリーゼは曖昧に頷く。
一人きりでは誰も話しかけてくることはなかったのだが、パーシヴァルが共にいるともしかしたらアンネリーゼが纏っている排他的な雰囲気が和らぐのかもしれない。
「待たせたな、カヌレ」
「カヌレ?」
「馬の名だ」
「お菓子の名前ですね」
思いのほか可愛い名をつける。アンネリーゼはカヌレの艶やかな肌を撫でさせてもらいながら、「カヌレ」と名前を呼んだ。
荷馬車の事故やアレックスのことで緊張していたが、パーシヴァルと話しているといつもの日常へと戻っていくようだった。
「パーシヴァルさんの好きなお菓子ですか?」
「……そうだな」
パーシヴァルは言葉を濁す。なにか、思い入れがありそうだ。
それはアンネリーゼには話したくないことなのだろう。
一抹の寂しさを感じながら、アンネリーゼは極力それを隠すように明るく言う。
「じゃあ、お別れのときに作りますね。王都に戻る旅の途中で食べてください」
「あぁ。……アンネリーゼ、手を」
パーシヴァルはアンネリーゼに手をさしのべる。
その手を取ると、アレックスに握り締められたときの嫌な感覚が消えていく。
触れ合う肌に、胸が疼く。皮膚の硬い手だ。剣を持つために、剣ダコもできている。彼がよく鍛錬していることが、はっきりとわかる。
パーシヴァルはアンネリーゼの手をひいて、馬にのせてくれる。
馬に乗るのははじめてだ。馬上は、思いのほか高い。アンネリーゼは、高いところはあまり得意ではない。
パーシヴァルは馬の鞍に荷物を結んでから、アンネリーゼの後ろに乗る。
横乗りになっているアンネリーゼの腹に手を置くと、自分のほうに引き寄せた。
「落ちないように、掴まっていろ」
「は、はい」
「震えている。怖いのか?」
「はじめて、乗りましたので。高いところが、少し、怖くて」
「では、俺にしがみついて目を閉じているといい」
うるさいぐらいに高鳴る心臓の音が、聞こえてしまわないだろうか。
アンネリーゼの体を、パーシヴァルはさらに強く引き寄せる。馬がゆっくりと歩きだし、街を抜けて街道に入ると小走りに駆けはじめる。
いつの間にか、空には暗雲が立ち込めはじめている。雨が降りそうだ。彼は帰路を急いでくれている。
揺れる馬上では、会話をすることは難しい。アンネリーゼの体は、馬が地面を蹴るたびに上下に跳ねる。掴まる場所がパーシヴァルの体しかないので、両手でしっかりしがみつく。
呼吸の音も、血管の中を血液が巡る音さえ聞こえてしまいそうなほどに距離が近い。
パーシヴァルの心臓の音が、皮膚を通して響いてくる。
その音も早いような気がしたが、それはアンネリーゼの希望が、そう思わせているからかもしれない。
彼も、同じ気持ちでいてくれたらいい、なんて。
(もうお別れなのは、わかっている。でも、私は……)
好きだと自覚してしまった。でも、伝えるわけにはいかない。
森で出会った女のことなど、王都に帰ったら彼はきっとすぐに忘れるだろう。




