妻という嘘
パーシヴァルがアンネリーゼの隣にやってきて、「お前は無事か」と尋ねる。
彼を見あげて、大丈夫だと微笑んだ。
御者は涙に瞳を潤ませながら何度も頭をさげて、馬と共に散らばった林檎の片付けに戻っていく。人々もちらほらと、事故の跡片付けをしはじめている。
「君は、魔女と呼ばれているワーグナーの薬師だろう。以前から君のことは気になっていた。……これほど美しい人だとは、驚きだ」
アレックスが一歩前に進み出て、アンネリーゼの顔をまじまじと見つめる。
周囲に残っている人々からも「本当に綺麗だ」「魔女がこんなに美人なんて」「強引にでも、一晩相手をしてもらえばよかった」などと、品のない声さえあがりはじめる。
アレックスはアンネリーゼの手を取った。突然のことに、アンネリーゼは大きく目を見開く。振り払うことはできない。妙に距離が近く馴れ馴れしい仕草だ。
パーシヴァルは共に暮らしていても、こんなに唐突に距離を詰めてくるようなことはしなかった。
だから、彼の傍では安らぎを感じていたのだろうか。
アレックスに触れられると、なんとも言い難い居心地の悪さがある。
「それにとても賢い。前々から君を森の魔女にしておくのは惜しいと思っていた。君さえよければ、我がルーゼデニア家で働いてくれないか? できることなら、僕の隣で。以前から僕は、君のような人を妻に迎えたいと考えていた」
「え……」
「おにいさまは、このおねえさんが好きなの?」
「あぁ、レヴィ。こんなに美しく、優しく賢い人ならば、僕の妻として相応しいとは思わないか?」
あまりにも──唐突過ぎる。
だが、アレックスは冗談を言っているわけではなさそうだ。
そこには打算がある。しかしそれは、領主を継ぐものとして当然だろう。
それに──アンネリーゼの見た目が、単純に彼の琴線に触れたのかもしれない。
パーシヴァルにも何度か美しいと言われてきた。
美醜の判断は自分では難しいが、顔を隠してきた怪しい魔女にしては、自分の見目は整っているのだろうかと、アンネリーゼは思う。
自分では、よくわからない。両親どちらにも似ていない銀の髪が、あまり好きではなかった。
アンネリーゼはアンネマリーのような優しい栗色の髪に生まれたかったと、何度か思ったことがある。
「悪いが──彼女は俺の妻だ」
どうしようと戸惑うアンネリーゼを、パーシヴァルが自分のマントに隠すように背後から抱きしめる。
緋色の瞳が、アレックスを冷たく見据えている。
そしてアンネリーゼに欲望の視線を向ける男たちも、冷酷な瞳で睨みつけて彼らを萎縮させた。
「確かに、アンネリーゼは美しい。だが、邪な気持ちは抱かないことだ。彼女は、俺のものだ」
妻だと、彼は言った。
どくんど、大きく心臓が跳ねる。それはアンネリーゼを守るための嘘だとわかっている。
けれどその逞しい腕に守られると、とても安心できる。
もう、別れは目前に迫っているというのに。
どうして、気づいてしまうのだろう。
気づかなければ、少しの寂しさを感じる程度で、すんでいたかもしれないのに。
アンネリーゼは、自分ではどうにもできないほどに──彼に惹かれている。
「君は、いったい? 君も森に住んでいるのか?」
「お前たちには関係のないことだ。余計な詮索はするな。求婚している暇があるのなら、事故の後処理をするがいい。それがお前の役目だ」
「な……っ、なにを、偉そうに……!」
「おにいさま、怒らないで、こわい」
パーシヴァルは、アレックス相手にも臆した様子なく、威厳のある口調で言う。
眉間に皺を寄せ怒鳴ろうとするアレックスの腕に、レヴィーナがしがみついた。
「……あ、あぁ、そうだね、レヴィ。すまない。確かに君の言うとおりだ。二人とも、感謝している。そうか、夫がいたのか。妻に求婚されたらいい気持ちはしないだろう。怒らせて、悪かった」
きっとアレックスは悪い人間ではない。
レヴィーナに声をかけられてすぐに反省できるぐらいには、素直なところがある。
ただ、少々直情的なのだろう。
彼はアンネリーゼにも「不躾に触れて、すまなかった。あまりに美しかったので魅了されてしまったようだ」と謝罪した。
「二人とも、あとで謝礼金を渡したいので、伯爵家まで足を運んで欲しい」
「いいえ、大丈夫です。お金には困っていませんから」
アンネリーゼは彼の申し出を断った。
皆が無事だとわかった以上、ここにとどまりたくない。早く、顔を隠してしまいたい。
人前では顔を出さない。それは両親との約束だったのだから──。




