別れの日と、暴れ馬
──パーシヴァルと暮らし始めて、およそ一週間。
まるでずっと昔から共に暮らしていたような安らぎと、そして不意に彼が見せる仕草や、触れ合う体に心臓が跳ねあがるような落ち着かなさを感じながら、アンネリーゼは過ごした。
けれどそれも、もう終わりだ。
彼の足の腫れは、快癒した。
もう問題なく歩くことができる。馬に乗っての長旅も大丈夫だろう。
パーシヴァルが森で失くした荷物は見つからなかったために、アンネリーゼは王都に帰るための路銀と必要なものを彼に渡すことにした。
「入用なものは、私が用意します。王都までは長くかかるでしょうから。もしよければ、弓やナイフもありますので、持っていって構いませんよ」
「そこまでしてもらう義理はない。だが、助かることは確かだ。せめて、お前の仕事を手伝おう。その手伝い料を、もらうことにする」
「そんなに気にしなくてもいいのに。でも……手伝ってくれるのなら助かります。よろしくお願いしますね」
彼の提案に頷いてしまったのは──彼との時間をもう少しだけ享受したいという、甘えた気持ちからだったのだろう。
自分のずるさを自覚しながら、アンネリーゼはパーシヴァルの申し出を拒絶することはできなかった。
もう少しだけ、一緒にいることができる。
そんな風に考えてしまう。
両親を亡くしてからの生活は、それほど寂しかったのだろうか。
それとも、パーシヴァルと共に過ごす時間が特別で、この特別がもっと続いて欲しいと願ってしまったからなのか。
パーシヴァルに薬瓶などが入った荷物を持ってもらい、アンネリーゼはセゾンリーブスの街に向かった。
ヴェールで顔を隠した黒いドレスの魔女姿のアンネリーゼについて、パーシヴァルは「よく似合っている。まるでどこかの姫のようだ」と褒めてくれた。
そんなわけがないと恥ずかしがるアンネリーゼに、彼は極めて真剣な表情で「本当にそう思っている」と続ける。
彼がアンネリーゼに向けてくれる親しみは、命の恩人だから、という理由からなのだろう。
ありがたいが、同時に切なくもある。
お別れだとわかっているのに、彼の言葉に乱されてしまう自分が、情けなくも感じる。
ひとりでも、大丈夫だったはずなのに──。
パーシヴァルは、すっかり綺麗になった自分の服を着ている。
黒いシャツにウェストコートにマント。腰には狩り用のナイフをさしている。立派な兵士の姿だ。
さぞ名のある兵士なのだろうとアンネリーゼは尋ねたが、「無名な一般兵だ」としか、彼は言わなかった。
「これは、セルニアの花。一週間前にはありませんでしたが……」
「その花がなにかあるのか?」
「いえ、なんでもありません。考えすぎですね」
街に辿りつくと、市場から続く大通りへの馬車道の両脇にある花壇に、小さな青い可憐な花が植えられている。
その花で花壇は統一されている。誰かの意向で植えられたものなのだろう。
多少の興奮作用が含まれている花だ。だが、それも煮出して成分を抽出した場合である。人体には大きな影響はないだろう。
「花が、好きか」
「ええ、好きです。植物と共に暮らしているようなものですから。薬にならない植物のほうが少ないのですよ。不思議ですよね、人間と植物は違う存在なのに、互いに大きな影響を与えあって生きています」
「……そうだな。お前になにか、花を贈ろう。なにがいい?」
「花……? どうして……」
「感謝の気持ちとして。といっても今の俺は無一文だが。今日の給金をもらえたら、それで買おうか」
アンネリーゼは、それではパーシヴァルの路銀がなくなってしまうと、明るく笑う。
そんな話をしていると、市場についた。
花が欲しいと、アンネリーゼは言わなかった。
そんなことをされては──彼と、よけいに離れがたくなってしまう。
いつものように市場で開店の準備をするアンネリーゼの傍には、パーシヴァルがまるで護衛のように佇んでいる。人々はあれは誰だと噂した。
「魔女には兄がいたのか」
「なんだか怖いけれど、美しい人ね」
「魔女の家族だろうか」
そんな密やか声が聞こえてくる。パーシヴァルは気にしていないようだ。
アンネリーゼも、森で助けた兵士だ──などと、話ができるような、個人的に親しい相手はいない。
人々は薬を買いながら、好奇の視線をパーシヴァルに向けている。
アンネリーゼには、羨望の眼差しを。
それぐらい、パーシヴァルは見栄えのいい男だ。
今日は特に、女性客が多かった。あっという間に薬が売り切れ、アンネリーゼの手元には金だけが残った。
「お前の薬は、評判なのだな」
「ありがたいことに、よく買っていただいています。でも、今日はいつもよりも売れ行きがよかったです。パーシヴァルさんがいたおかげですね」
「俺はなにもしていない」
「隣に立っていてくれるだけで、十分貢献してくださっています。王都では、きっとあなたは女性から人気なのでしょうね」
アンネリーゼは店じまいをしながら言う。
今の言葉は、あまりよくなかっただろうか。
純粋に彼の美貌を賛辞したつもりだったのだが、なんだか拗ねているようにも聞こえてしまう。
「……妬いているのか?」
案の定、パーシヴァルにもそれが伝わってしまったらしい。
興味深げにそんなことを尋ねられたので、アンネリーゼはヴェールで隠れている顔を振った。
顔が隠れていてよかった。表情を見られていたら、動揺が悟られてしまう。
そんなつもりはないはずだ。
たった一週間、共に暮らしただけ。でも──本当に、それだけなのだろうか。
「危ない!」
違う──と否定しようとしたとき、誰かの声が鋭く空気を引き裂くように広間に響く。
がらがらとなにかが倒れる音、ばきばきとなにかが壊れる音が、アンネリーゼの体を揺らす。
視線を向けると、馬車道から荷馬車が市場に向かって突っ込んできている。
馬車道には、御者が腰を抜かしてへたりこんでいる。なにが起こっているのかわからないというような表情で、唖然と暴走する馬を凝視していた。
一頭引きの、小さな荷馬車だ。荷馬車に乗っていたのだろう林檎が、道に散乱している。
市場のテーブルや椅子、小さな露店などにぶつかり大きな破壊音を立てて壊しながら、馬は目を興奮にぎらぎらさせて、口からは涎を垂らしながらひたすら真っすぐに突き進む。
その先に──大きなくまのぬいぐるみを抱えた、幼い少女がいる。
上質な青いエプロンドレスを着た、十歳程度の可愛らしい子供である。
彼女はきょとんとした顔で、暴走する馬を見ている。まだ、目の前の光景に理解が追いついていないのだ。
「駄目……っ」
アンネリーゼの脳裏に、冷たくなっていくケイオスの記憶が蘇る。
そして、病床で静かに息を引き取るアンネマリーの記憶も。
次の瞬間、頭の中でセゾンリーブス大森林が、ごうごうと炎をあげて真っ赤に燃える。
呼吸が早まり、背筋に冷や汗が滲む。
まるで世界がゆっくりと動いているかのように感じられる。
少女が馬にひき殺される情景が、燃える森に重なる。
アンネリーゼは考える前に駆けていた。転がるように少女の元に向かい、小さな体を両手に抱くと自分の体で彼女を庇う。
きっと──ここで、死ぬのだろう。
暴走する馬に踏まれたら、無事でいるほうが難しい。
痛みと衝撃を想像して、きつく目を閉じる。腕の中にある少女のぬくもりを感じた。




