第17話 花「つみ」兆し
────────────────────
「……鎌田……くん?」
冷たいアスファルトの上で膝をついたまま、真央は涙で滲む視界を擦る。
立ちすくむ彼女の前に立っていたのは、今日、教室で自分に話しかけてきた鎌田琉生だった。その表情は、夜の闇に半ば隠れて読み取れない。
「大丈夫……? 真央ちゃん」
(……え?)
鎌田は優しく声をかけると、自分の着ていた上着を脱ぎ、破れたブラウスから覗く真央の白い肩へとそっと羽織らせた。
その手つきはどこまでも丁寧で、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
「鎌田くん……なんで、ここに……」
「学校で……君の様子がおかしかったから。心配で、後を追いかけてきたんだ。……酷いな、これ」
鎌田の指先が、真央の肩にそっと触れる。
その瞬間、鎌田の胸の底で、何とも言えない黒い感情が渦巻いた。
(この肩も、この首筋も……あのガキに汚されたんだね。僕がけじめをつけなきゃね……)
真央を汚した翔太への激怒。
そして、そんな男に一時期でも身を委ね、純潔を汚した真央に対する強烈な嫌悪と……殺意。
だが今はまだ駄目だと、鎌田はそれを完璧な「親切な同級生」の仮面で覆い隠した。
「怖かったよね。あんな奴に……薬まで飲まされて」
「私……私ね、もう逃げないって決めたの。現実から目を背けないって。……もう、あの人の言う通りにはならないって」
真央の瞳に宿る、かすかだが強い光。
それを見た鎌田の心臓が、じんわり冷え切っていくのを感じた。
(あ、あはは)
(今更……? 今更理性を取り戻して、綺麗な女に戻った気でいるのか……? 一度汚れたお前が……? 許せるわけがないだろうよ)
真央が自分を取り戻そうとすればするほど、鎌田の中で憎悪と殺意が膨れ上がっていく。
枯れた花は摘まなければならない。
そこにあっても見栄えが悪いだけだから。
真央が一番幸せな時に、光を取り戻したその瞬間に、この手で終わらせてやる。
それが、自分の純情を踏みにじったこの女への、唯一の「救済」だ。
「……そっか。真央ちゃんは強いね」
鎌田は満面の笑みを浮かべ、真央の手を優しく握りしめた。
ミシミシと真央の手が軋む。
(痛っ)
「一人で抱え込まないで。俺でよかったら、なんでも相談に乗るよ。あのクソガキから君を護るためなら、俺は何だってするからね」
(なんでだろう、私を助けてくれるの?)
「──う、うん。鎌田くん……ありがとう……」
真央の目から、ふいに涙が溢れ出した。
自分を理解し、味方になってくれる人間がまだいた。その事実が、傷ついた真央の心を強く支えていた。
◇◆◇
それからずっと、鎌田は完璧な「理解者」として真央に寄り添い続けた。
放課後、人目のつかない場所で、カフェで、公園で、真央の相談に親身に乗った。真央が薬の後遺症や脅迫の恐怖で震えるたび、背中を優しく撫で、温かく接してやった。
「真央ちゃん、顔色が良くなってきたね」
「うん……鎌田くんのおかげだよ。私、もう一度……ちゃんと前を向いて生きていけそう」
そう言って微かに微笑む真央を見つめながら、鎌田は胸の中で冷ややかに笑っていた。
(はは……。……最高だよ)
鎌田の「親切」が、すべて真央を油断させ、逃げ場を無くすための緻密な罠だったとしたら。
真央が前を向き始めるにつれ、鎌田の思考は一つの「真理」へと行き着いた。
ただ殺すだけでは物足りないと。
(真央ちゃんをここまで追い詰めた原因はなんだ? 一番の悪は、真央ちゃんを護れずに逃げ出した蓮見陸じゃないか?)
陸が頼りない奴だったから。引きこもりにならなければ、真央がこんな目に遭うことはなかった。
陸が真央の隣に立ち続けていれば、自分も二人の美しい純愛を遠くから見守るだけで満足できていたのだ。
それを……。
自分の世界を壊したのは、陸だ。
そして、汚れた真央だ。
(じゃあ……。蓮見の目の前で……殺そう)
鎌田の脳裏に、完璧で美しい「シナリオ」が鮮明に浮かび上がった。
不登校になり、今もなお、部屋の暗闇で震えているであろう陸。
その陸の目の前で、光を取り戻し、幸せを掴みかけた真央をぶっ殺そう。
そして、陸が手を伸ばし、真央を救おうとしたその瞬間に——陸の目の前で、命を奪おう。
愛する女が自分の目の前で殺される絶望を、陸に味わわせよう。
そして、汚れてしまった真央を、最高の美しさと希望の中でこの世から解放してやるんだ。
「ねえ、鎌田くん? どうしたの?」
怪訝そうに顔を覗き込んでくる真央に、鎌田は最高の優しさを込めた笑顔を向けた。
「ううん、なんでもないよ。……そろそろ、蓮見にも会いに行かないとね」
「え……、陸に……?」
「うん。君がこんなに頑張って前を向いたんだ。蓮見にもちゃんと伝えて、区切りをつけよう。俺が一緒について行ってあげるからさ」
(そうだよ、一切許してもらえないとしても、陸に今まで事を全て謝らないと。これは私が付けるべき、けじめだから)
「……うん。そうだね。私、陸にちゃんと謝りたい」
何も知らない真央は、鎌田の申し出に深く頷いた。とても哀れだ。楽しみだ。
(そうだ……謝るといいよ、真央ちゃん。あいつの目の前で、絶望しながら死んでいくんだ)
鎌田の握りしめられた手が、歓喜に震えていた。
狂気と秒針は、ついに引き返しのできない「絶望」へと向かって動き始めた。
そして、——蓮見陸は。




