第14話 穢れ、あやまつ
鎌田琉生の手は、激しく震えていた。
夕暮れの街路樹の影に身を潜めながら、鎌田は数十メートル先を走っていく背中に目を凝らしていた。
黒髪のボブカット。放課後になっても乱れることのない、折り目の正しい紺色のスカート。
いつも通りの白石真央だ。
(どこへ行くんだ……? 何をしに行くんだ……?)
教室で真央に冷たく突き放され、その首筋に刻まれた生々しい噛み痕とキスマークを目撃してから、鎌田はまともな思考力を失っていた。
頭の中で、何かがずっと警報を鳴らし続けていた。
真央は陸と不器用で清らかな関係を築いていたはずだった。自分はその完璧な関係を影から羨み、二人の「純愛」を遠くから見つめることしかできなかったはずだった。
それなのに、どうして陸が不登校になった途端、あの冷酷な顔を真央は見せたのか。
かつての親友であろう陸を「弱くて惨めな奴」と切り捨て、その肌には別の男の暴力的な所有印を刻み込んでいる。
(嘘だ……嘘だろ……。真央はそんな女じゃない。あいつは……あいつはそんな、男に簡単に肌を許すような汚い女じゃない……!)
鎌田は激しい憎悪の渦の中、自分に言い聞かせるように、必死に胸の中で呟いた。
きっと何か理由があるはずだ。悪い奴に脅されているのかもしれない。あるいは、陸にいなくなれと言われて自暴自棄になっているのかもしれない。
(そうだ……、別に彼女を恨む必要なんてないんだ。俺が何とかしてやらないと……)
自分が彼女を救い出さなければならない。そう思うことで、鎌田はかろうじて自分の崩壊しそうな理性を保っていた。
ある程度、距離を保ちながら尾行を続ける。
真央の足取りは、学校周辺の閑静な住宅街を抜け、歓楽街の路地裏へと向かっていた。
ネオンサインが不気味に明滅し、パチンコ店や風俗店の多いこの場所は、女子高生が一人で立ち入っていいような場所ではない。
この時も真央は一度も後ろを振り返らなかった。
その足取りは、恐怖に怯えているというよりは——どこか吸い寄せられるように、迷いなく進んでいた。
(なぜ、こんな場所へ……?)
鎌田は雑居ビルの物陰に身を隠した。
真央が足を止めたのは、看板の明かりも届かない、薄暗いコインパーキングの敷地内だった。
アスファルトの端に、一台の黒塗りの高級セダンがエンジンをかけっぱなしで停められている。フルスモークが施された窓ガラスは内部の様子を一切伺わせず、排気ガスだけが夜の冷気に白く混ざり合っていた。
真央が車の横に立つと、カチャリと内側から後部座席のドアが開いた。
そこから、男の腕が伸びてくる。そして、そのまま真央の腕を掴み、車内へと力ずくで引きずり込んだ。
「ッ……!」
鎌田は息を飲み、思わず声を上げそうになって自分の口を両手で強く塞いだ。
事件だ。連れ去りだ。警察に連絡しなければ——スマホを取り出そうとポケットに手を突っ込んだ、その時だった。
セダンの後部座席のドアが、完全に閉まりきらず、拳ひとつ分だけ隙間が開いていた。
車内から、男の声が漏れ聞こえてきた。
『遅かったな、真央』
『……ごめなさい、翔太くん』
鎌田の指が凍りついた。
真央の声だった。
恐怖に怯える悲鳴でも、助けを求める叫びでもない。
甘く、どこか濡れた、従順な声。
(一体何なんだ、あの餓鬼は……)
見たところ自分よりも年下の男に、これまでに味わったことのないほどの嫌悪感を抱く。
あんな中坊が、陸よりも、自分よりもいいというのか?なぜ真央は身を委ねる?
しばらく様子をみていると、その男は真央に何かを飲ませていたのを見た。確信したわけではないが、もしかしたら抵抗できずに媚薬漬けされているのかもしれない。
だからそこまで従順なんだろう。
鎌田はどうにかその状況を理解しようと試みたが、一度抱いた憎悪により真央を可哀想だとは思わなくなった。
必要であれば、彼女が一番幸せな時に殺してやって、このやるせない気持ちを晴らしてやるのもいいと、そんな狂気じみた発想すらも頭によぎる。
時に歪んだ恋心はこのように人をおかしくする。そんなことも知らずに鎌田は一線を踏み越えようとしていた。




