第13話 今更……
「鎌田……だっけ。うっとうしいな」
学校の校門を抜け、夕暮れの街へと踏み出した白石真央は、小さく毒を吐いた。
第一ボタンまで留めたブラウスの襟元を、指先で少しだけ探る。爪が首筋の噛み痕に触れると、ズキリと鈍い痛みが走った。
鎌田に見られたあの醜い紫色の痕。普通なら死にたくなるほどの羞恥に襲われるはずなのだろうが、今の真央の心を満たしていたのは、奇妙なまでの全能感と、底なしの虚無感だった。
(みんなバカみたい。何も知らない癖に)
真央は知っている。学校で自分に向けられる男子生徒たちの視線が、いかに浮ついた純情の目で満ちているかを。
「綺麗な白石さん」「おしとやかな優等生」。
彼らが勝手に作り上げた「理想の優等生」の幻想に、以前の自分は一生懸命応えようとしていた。陸と一緒に放課後を過ごしていたあの頃は、それが世界の全てだと本気で思っていたのだ。
だけど、知ってしまった。
桐島翔太と交わした行為の最中。
カメラを向けられ、服を破られ、泣き叫びながら抵抗したあの夜。絶望の果てに翔太から与えられたのは、陸の甘い優しさなど一瞬で吹き飛ばすほどの、狂暴で容赦のない「肉体の快楽」だった。
恐怖で身体が震えるのに、翔太の手が胸に触れると、子宮の奥が熱く疼いてしまう。
痛いのに、苦しいのに、翔太に乱暴に突き上げられるたび、頭の中が真っ白になって、陸のことなどどうでもよくなっていく。
ビッチと言われようがどうでもいい。自分は、もう壊れてしまったのだ。
陸が差しのべてくれた手を取る資格なんて、最初からなかった。だから、あの日、雨の中で縋りついてきた陸を冷たく切り捨てたのだ。
本当は陸のことが好きだった……なんて言ったって今更なのに。
『私、もう陸じゃ満足できないの』
あの言葉は、陸を絶望させるための嘘などではない。翔太の暴力によって開けられた快楽の深淵を知ってしまった真央の、紛れもない本音だった。
ヴヴヴ……。
スカートのポケットの中で、スマートフォンが激しく振動した。
液晶画面に表示された文字を見た瞬間、真央の息が止まり、足がピタリと止まった。
『翔太』
たった2文字の表示。それだけで、全身の皮膚が一気に逆立ち、冷や汗が背中を伝い落ちる。
真央は震える指先で通話ボタンを押し、素早くスマホを耳に当てた。
「……はい、翔太くん」
『おい、真央。遅えぞ』
スピーカー越しに聞こえる、低く冷酷な声。バックにはガヤガヤとした繁華街の騒音と、下品な男たちの笑い声が交ざっていた。
「ごめんね……学校がちょっと長引いちゃって……」
『言い訳なんて聞いてねえんだよ。10分以内にいつものコインパーキングに来い。遅れたら、あの動画、お前の学校の掲示板に全部流すからな』
プチッ、と一方的に通話が切れた。
「ッ……!」
真央の顔から、一瞬で血の気が引いた。
恐怖。圧倒的な恐怖だ。
あの日撮られたハメ撮り動画。自分が翔太の前で淫らに喘ぎ、カメラに向かって醜い表情を晒しているあの映像が世に出れば、自分の人生は完全に終わる。親も、学校も、世間の評価も、全てを失う。
だが、恐怖と同時に——真央の体の奥底から、ドロリとした甘い痺れが駆け巡った。
(また……翔太くんに抱かれる……)
(めちゃくちゃに犯してくれる……!)
脅迫されている被害者であるはずなのに、翔太の元へ向かうという事実だけで、真央の下腹部は疼き始めていた。
清楚な制服を着たまま、暴君の手によって惨めに暴かれ、玩具のように扱われる瞬間を、自分の肉体が狂おしいほど求めてしまっている。
真央は走った。
第一ボタンまで留められた綺麗な制服を乱さないように、しかし必死の思いで、夕暮れの街を駆け抜けた。
十分後。
繁華街の路地裏にある、薄暗いコインパーキング。
そこに停められた黒塗りの高級セダンの後部座席のドアが、内側からガチャリと開いた。
スモークガラスの奥から覗く、凶暴な肉食獣のような眼光。桐島翔太だった。
「遅かったな、真央姉」
「……ごめんなさい、翔太くん」
真央は息を乱しながら、吸い込まれるように車内へと乗り込んだ。
重いドアが閉まり、外の喧騒が遮断される。車内に満ちていたのは、煙草の匂いと、翔太がつけている強いコロンの香水、そして濃厚な「暴力」の気配だった。
「顔見せろ」
「ん……っ」
翔太の手が伸ばされ、真央の顎を強く掴み上げた。肉を潰すほどの強い力。真央は痛みに顔を歪めたが、目を逸らすことは許されなかった。
「ふん……相変わらず、学校じゃ清楚な面してんだろ? そのブラウスも、一番上まで留めてさぁ。誰が見ても『清らかな女子高生』だもんな」
翔太はニヤリと下品な笑みを浮かべると、真央の制服の第一ボタンに手をかけた。
パツッ
ボタンが千切れ飛び、真央の白い首筋と胸元が無造作に晒される。
そこには、数日前に翔太が刻みつけた噛み痕が、毒々しく残っていた。
「あ……んっ……」
翔太の手が、真央のブラウスの中に遠慮なく滑り込む。
真央は恐怖で瞳を揺らしながらも、翔太の体に自ら擦り寄るようにして身を委ねた。
「陸の奴、学校に来てねえんだってな。家で部屋に引きこもって泣いてるらしいぜ? お前が俺に抱かれてることも知らずになぁ」
翔太が耳元でそう囁くと、真央の背筋にゾクゾクとした快感が走った。
陸。真面目で、優しくて、自分を純粋に愛してくれた男。
その陸の存在を踏みにじり、翔太という悪魔の腕の中で汚されていく感覚。それが、真央にとって何よりの「脳内麻薬」となっていた。
「陸のことなんて……どうでもいいの(あれ……?)」
「翔太くん……私を……もっと壊して…… (違う……、私は今でも陸のことが……)」
(もう、もどれないの……?)
真央は清楚な服を着たまま、翔太の首に細い腕を回した。
その瞳には、かつて清楚と呼ばれた少女の清らかさなど欠片もなく、ただ快楽と恐怖の泥沼に溺れる、破滅した女の狂気が濁って揺れていた。
それもきっと、あの日から飲まされた薬のせい。
だが、この時、真央は知る由もなかった。
コインパーキングの物陰から、スマホの画面越しに、自分たちのこの破滅的なやり取りを狂気的な眼差しで見つめている「別の男」が存在していることを。




