「立ち上がる理由」
街全体に避難警報が鳴り響いていた。人々は必死に走り続ける。車は渋滞し、道路は混乱している。空を見上げれば赤く燃える光が見えた。第三の火球。その進路は明らかだった。この街だ。誰が見ても分かるほど真っ直ぐこちらへ向かってきている。
病院の中も騒然としていた。医師たちは患者を避難させようと必死になっている。看護師たちは泣きそうな顔で走り回っていた。レグルスは少女の手を握ったまま立ち尽くしていた。少女は震えている。恐怖で声も出せないらしい。
「お母さん……」
その言葉が小さく漏れる。
レグルスは返事ができなかった。
何を言えばいいのか分からない。
必ず会えるなんて保証できない。
大丈夫だとも言えない。
今の空を見ればそんな言葉は嘘になる。
だが少女はレグルスの服を握り続けていた。まるで離したら消えてしまうかのように。
病院の外で爆発音が響く。窓の外を見ると遠くの建物が崩れていた。火球そのものではない。落下中に飛び散った破片だ。それだけでビルが崩壊している。もし本体が落ちれば街など残らない。
人々は絶望していた。
テレビでは専門家が避難を呼び掛けている。軍も出動していた。しかし誰も期待していない。ミサイルが効かないことは既に分かっている。世界中が見ている中で何百発もの兵器が弾かれた。あの怪物は止まらない。
レグルスは空を見た。
赤い光。
まるで世界の終わりだった。
その瞬間、頭の中に別の光景が浮かぶ。
ルカだった。
病院の屋上。
まだ幼かった頃。
二人で空を見上げていた。
「将来どうする?」
ルカがそう聞いた。
レグルスは少し考えた。
「分からない」
「じゃあ俺は警察官」
「なんで?」
「困ってる人助けたいから」
ルカは笑っていた。
レグルスもつられて笑った。
今思えば子供らしい夢だった。
だが眩しかった。
何の打算もなく誰かを助けたいと思えるその気持ちが。
記憶はそこで途切れる。
現実へ引き戻された。
少女が泣いていた。
周囲にも泣いている人がいる。
助けを求める声が聞こえる。
レグルスは唇を噛んだ。
胃が痛む。
身体も重い。
今の自分は戦える状態じゃない。
それは分かっている。
だが。
このまま何もしなければ。
また同じになる。
また助けられない。
また後悔する。
ルカを失った時と同じように。
その考えが頭をよぎった瞬間、レグルスは震え始めた。
恐怖だった。
戦うことが怖い。
負けることが怖い。
誰かを失うことが怖い。
自分が無力だと知ることが怖い。
だが。
それ以上に怖かったのは。
何もしない自分だった。
少女の手が服を握る。
「お兄ちゃん……」
レグルスはゆっくり振り返った。
少女の瞳は涙で濡れている。
助けを求めている目だった。
その瞬間。
レグルスの中で何かが決壊した。
ずっと閉じ込めていた感情。
怒り。
悔しさ。
悲しみ。
全部が一気に溢れ出す。
「くそっ……!」
拳を握る。
身体が震える。
涙が滲む。
「なんでだよ……」
誰へ向けた言葉なのか分からない。
ゼルクロノスか。
Zティターンか。
世界か。
自分自身か。
ただ感情だけが溢れていた。
そしてレグルスは決断する。
逃げるのをやめる。
苦しくても。
怖くても。
立ち上がる。
ルカならそうしたはずだから。
少女の頭を優しく撫でる。
「大丈夫」
久しぶりに言った言葉だった。
自分でも驚くほど自然に出た。
「絶対に守る」
少女は目を見開いた。
レグルスはゆっくり病室へ戻る。
ベッドの下へ手を伸ばす。
そこには銀色の腕輪があった。
インフィニティレガリア。
長い間触れていなかった。
見たくもなかった。
これを見るたびにルカを思い出したから。
だが今は違う。
レグルスは腕輪を握る。
冷たい感触が伝わる。
その瞬間。
銀色の光が溢れた。
病室全体が輝く。
看護師たちが驚いて振り向く。
レグルスの瞳にも光が宿る。
完全ではない。
まだ迷いはある。
まだ弱い。
それでも。
止まっていた心が動き始めた。
空では火球がさらに接近していた。
あと数分。
それで街は消える。
誰も止められない。
そう思われていた。
だが病院の屋上へ続く階段を、一人の少年が歩き始める。
足取りは重い。
身体も限界だった。
それでも止まらない。
一段ずつ登っていく。
守りたいものがあるから。
屋上の扉が開く。
猛烈な風が吹き付ける。
空には巨大な火球。
まるで太陽が落ちてくるようだった。
レグルスはその光景を見上げる。
そして静かに呟く。
「今度こそ……」
銀色の光が腕から広がる。
インフィニティレガリアが完全展開を始める。
人類最悪の災厄と。
一人の少年の戦いが。
ついに始まろうとしていた。
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