「修行の始まり」
黒い塔の内部は静寂に満ちていた。
音はないはずなのに、空間そのものが脈打っているようだった。
レグルスはその中心に立ち、ただ周囲を見渡していた。
塔の壁には無数の線が走り、それぞれが違う方向へと伸びている。
そのすべてが何かを繋ぎ、何かを切り離しているように見えた。
そのとき、空間が揺れた。
揺れというよりも、記憶が浮かび上がるような感覚だった。
目の前に光が滲み、形を持ち始める。
それは映像ではなく、存在そのものの再現だった。
レグルスは息を呑む。
そこにいたのは男だった。
まだ“ゼルクロノス”ではない。
かつて英雄と呼ばれた存在、ザレジェンド。
その姿は確かに若く、迷いを持ちながらも戦っていた。
誰かを救うために動いている目だった。
だがその周囲は崩れていた。
守ったはずの星が壊れていく。
助けたはずの人間がまた争いを始める。
止めようとしても止まらない現実だけが残っていた。
英雄の理想が少しずつ崩れていく。
レグルスは動けなかった。
その光景は“過去”ではなく“原因”だった。
なぜゼルクロノスが生まれたのか。
なぜ世界がここまで壊れたのか。
その始まりが、目の前で進んでいる。
やがて場面は変わった。
宇宙をひとり漂うザレジェンドの姿。
星を救えなかった後の時間。
何も救えなかったという事実だけが積み重なっていた。
その沈黙の中で、男の思考が変わっていく。
「人類は変わらない」
その言葉が、何度も繰り返されていた。
救っても繰り返す。
止めても戻る。
ならばどうすればいいのか。
答えはひとつに収束していく。
“支配すればいい”。
その瞬間、レグルスは理解する。
これは堕落ではない。
思想の最終到達点だ。
ザレジェンドの姿が揺らぐ。
光が黒へと変わっていく。
英雄の輪郭が、別の何かへ書き換えられていく。
それがゼルクロノスという存在の始まりだった。
ただの変質ではなく、確信による変化。
レグルスの胸の奥が重くなる。
ルカの死とも違う感覚だった。
これはもっと根本的な“世界のルール”の話だった。
救いも復讐も、その下にあるもの。
そこに触れている感覚だけが残る。
そして映像が途切れた。
塔の内部に再び静寂が戻る。
何もなかったように、空間が元に戻っていく。
だがレグルスの前に、新しい扉のようなものが現れていた。
それは時間ではなく“層”の境界だった。
その向こうから声がした。
言葉ではない。
意思そのものが押し寄せてくる感覚。
「ここから先は時間が意味を失う」
そんな理解だけが頭に残る。
レグルスは一歩近づく。
踏み込んだ瞬間、世界が崩れた。
音も光も消える。
身体の感覚だけが残る。
だがその感覚すら薄れていく。
自分がどこにいるのか分からなくなる。
そして時間が流れ始めた。
正確には“時間の中に落ちた”。
一日が過ぎる。
一年が過ぎる。
その感覚すら曖昧になっていく。
レグルスはそこにいる。
何もない空間で、ただ存在だけを保っている。
身体は変わらない。
傷も癒えず、老いもない。
ただ“理解”だけが積み重なっていく。
これは修行だと気付くのに時間はかからなかった。
力を鍛えるものではない。
世界そのものの構造を理解するための場所。
繋ぐとは何か。
切るとは何か。
存在とは何か。
そのすべてを問われ続ける空間だった。
そしてレグルスはまだ知らない。
ここで八年が流れていることを。
現実では一瞬も経っていないことを。
自分の身体が何も変わっていないことを。
ただ、意識だけが深く沈んでいく。
そして修行は、まだ始まったばかりだった。
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