「守るための力」
谷底から這い上がるだけで二日かかった。
普通なら生きていることすら奇跡だった。
だがレグルスは歩いていた。
身体中が傷だらけだった。
腕も痛い。
脚も痛い。
それでも止まらない。
胸の中にあるのは一つだけだった。
ルカを助ける。
そのために前へ進む。
山道を抜ける。
森を越える。
そして三日目の夕方。
ようやく廃研究施設へ辿り着いた。
空は赤く染まっていた。
まるで血の色だった。
レグルスは入口の前で立ち止まる。
嫌な気配がする。
前に来た時とは比べ物にならない。
空気そのものが重い。
まるで何か巨大な存在が呼吸しているようだった。
レグルスはゆっくり中へ入る。
静かだった。
だが奥から何かの音が聞こえる。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
心臓の鼓動のような音。
それが施設全体へ響いている。
レグルスは急ぐ。
廊下を駆ける。
階段を飛び越える。
そして。
あの広間へ辿り着いた。
そこで息を呑む。
中央に黒い繭が浮いていた。
以前より大きい。
三メートル近くある。
表面には無数の亀裂が走っている。
そして。
その前にルカがいた。
黒い光に包まれている。
顔色はさらに悪い。
立っていること自体が不思議なほどだった。
「ルカ!」
叫ぶ。
ルカがゆっくり振り向く。
目が合う。
だが違和感があった。
瞳の奥が暗い。
まるで眠っていない人間のようだった。
「また来たのか」
掠れた声。
レグルスは頷く。
「迎えに来た」
ルカは笑った。
乾いた笑いだった。
「まだそんなこと言ってるのか」
「言うよ」
「俺はもう戻れない」
「戻れる」
「無理だ」
「無理じゃない」
ルカは目を閉じた。
少しだけ苦しそうだった。
そして。
「帰れ」
静かに言う。
レグルスは首を振る。
「嫌だ」
「帰れ」
「嫌だ」
「帰れ!」
轟音。
黒い衝撃波が放たれる。
床が吹き飛ぶ。
壁が砕ける。
レグルスは避けない。
右腕を前へ出す。
銀色の腕輪が光る。
インフィニティレガリア。
そして。
初めて能力を発動する。
「スパイラルディフュージョン!」
銀色の回転が生まれる。
空気が渦を描く。
衝撃波が回転へ触れる。
その瞬間。
黒い力が逸れた。
轟音と共に天井へ直撃する。
コンクリートが崩落する。
ルカが目を見開いた。
「何だそれ」
レグルスも驚いていた。
成功した。
本当に受け流せた。
だがルクスの言葉を思い出す。
守るための力。
攻撃するためじゃない。
だから再び前へ出る。
「ルカ」
「帰ろう」
ルカの表情が歪む。
「帰れるわけないだろ!」
今度は自分から飛び出した。
黒い光を纏った拳。
凄まじい速度。
レグルスは再びスパイラルディフュージョンを展開する。
拳が回転へ触れる。
衝撃が逸れる。
ルカが横へ流される。
だが。
レグルスは反撃しない。
そのまま立っている。
ルカが叫ぶ。
「何で攻撃してこない!」
「戦いに来たんじゃない!」
「お前を助けに来たんだ!」
その言葉にルカの身体が震えた。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
昔のルカへ戻ったように見えた。
だが。
次の瞬間だった。
黒い繭が脈動する。
ドクン。
空気が震える。
ルカが苦しそうに頭を押さえる。
「ぐっ……」
膝をつく。
呼吸が乱れる。
レグルスは駆け寄ろうとする。
だが。
繭の表面が割れた。
パキッ。
小さな音だった。
しかし施設全体が揺れる。
黒い光が噴き出す。
レグルスは本能で理解した。
まずい。
何かが出てくる。
ルカも顔を上げる。
繭を見ていた。
そして。
絶望したような表情になる。
「……嘘だ」
掠れた声。
レグルスも繭を見る。
亀裂が増えていた。
一つ。
二つ。
三つ。
止まらない。
まるで中から何かが押し出しているようだった。
その時。
繭の内部から声が聞こえた。
低く。
重く。
世界そのものを震わせるような声。
「……あと七日」
レグルスの背筋が凍る。
ルカも震えている。
声は続く。
「あと七日で我は蘇る」
施設全体が揺れる。
空気が悲鳴を上げる。
そして。
黒い繭の中心に巨大な眼が一瞬だけ開いた。
レグルスは動けなかった。
見ただけで理解してしまった。
あれは人間じゃない。
生物ですらない。
もっと別の何かだ。
そして声が最後に告げる。
「待っていろ」
「世界よ」
ドクン。
鼓動が響く。
繭は再び静かになる。
だが。
残り七日。
ゼルクロノス復活までの時間が、ついに示されてしまった。
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