「届かなかった手」
雨が降っていた。
灰色の雲が空を覆い、街全体を静かな湿気が包んでいる。
レグルスは病院の廊下を歩いていた。
昔から通い慣れた場所だった。
虚弱体質。
幼い頃から何度も入退院を繰り返してきた。
そのたびに隣にいたのはルカだった。
同じ病室。
同じ検査。
同じ薬。
二人はその共通点だけで仲良くなった。
だから病院は嫌いなのに、少しだけ懐かしい場所でもあった。
診察を終えたレグルスは帰ろうとしていた。
その時だった。
廊下の向こうに見覚えのある背中を見つける。
黒い髪。
少し痩せた身体。
間違えるはずがない。
「ルカ……?」
思わず立ち止まる。
ルカも病院に来ていた。
レグルスは驚く。
考えてみれば当然だった。
二人とも元々身体が弱い。
だが最近のルカは以前にも増して顔色が悪かった。
レグルスは迷った。
だが足は自然と動いていた。
「ルカ」
呼びかける。
ルカが振り返る。
その瞬間。
レグルスは言葉を失った。
顔色が異常に悪い。
目の下には濃い隈。
頬も少し痩せている。
まるで別人だった。
「……何しに来た」
ルカが言う。
いつも通りの冷たい声。
だがどこか弱々しい。
レグルスは答える。
「それはこっちの台詞だよ」
ルカは目を逸らした。
「関係ない」
「関係ある」
「ない」
「ある」
短いやり取り。
以前なら笑って終わった。
今は違う。
沈黙が重い。
レグルスは拳を握る。
「身体どうしたんだよ」
「別に」
「別じゃないだろ」
「放っておけ」
ルカが歩き出す。
レグルスは追う。
「待てよ」
「追いかけるな」
「嫌だ」
「嫌だじゃない」
ルカの声が少し強くなる。
レグルスは立ち止まらない。
「検査結果どうだった」
「普通だ」
「嘘だ」
ルカの肩が震える。
レグルスには分かった。
嘘だ。
絶対に。
昔からそうだった。
ルカは苦しい時ほど平気な顔をする。
「ルカ」
レグルスは言う。
「もうやめよう」
ルカの足が止まる。
「何をだ」
「その力」
静寂。
空気が張り詰める。
ルカの表情が変わった。
明らかな拒絶。
「余計なお世話だ」
「余計じゃない」
「余計だ」
「違う」
「違わない!」
ルカが叫ぶ。
廊下に声が響いた。
通行人が驚いて振り返る。
だが二人は気付かない。
「俺はやっと強くなれたんだ!」
ルカの拳が震えている。
「やっとだ!」
「ずっと弱かった!」
「何も出来なかった!」
「なのに今さら捨てろって言うのか!」
レグルスは叫び返す。
「その代わりに壊れてるじゃないか!」
「壊れてない!」
「壊れてる!」
「壊れてない!」
「じゃあ何で病院にいるんだよ!!」
沈黙。
その一言が刺さった。
ルカの顔が歪む。
レグルスは続ける。
「顔色も悪い!」
「咳もしてる!」
「身体だって震えてる!」
「それでも大丈夫だって言うのかよ!」
ルカは何も言わない。
言い返せない。
だが認めることもできない。
認めた瞬間。
失うからだ。
力を。
強さを。
憧れたものを。
レグルスは一歩近付く。
「もうやめよう」
静かな声だった。
怒っていない。
本気で心配している声だった。
「僕はお前に消えてほしくない」
ルカの瞳が揺れる。
ほんの少しだけ。
昔なら。
ここで終わっていた。
昔の二人なら。
だが今は違う。
ルカは後ろへ下がる。
「もう遅い」
小さく呟く。
レグルスは首を振る。
「遅くない」
「遅い」
「遅くない!」
レグルスはルカの腕を掴んだ。
その瞬間だった。
インペリアルレリックが反応する。
黒い光。
一瞬。
本当に一瞬だった。
ルカ自身も気付かなかった。
「離せ」
「離さない」
「離せ!」
ルカは反射的に手を振る。
ただ払おうとしただけだった。
そのはずだった。
空気が爆発する。
轟音。
病院の窓ガラスが震える。
次の瞬間。
レグルスの身体が吹き飛んだ。
人間とは思えない速度だった。
廊下を一直線に飛ぶ。
壁へ激突。
嫌な音が響く。
床に叩き付けられる。
静寂。
誰も理解できなかった。
何が起きたのか。
ルカも理解できなかった。
だが一つだけ。
視界に映った。
床に転がるレグルス。
血。
折れ曲がった腕。
動かない身体。
「……え?」
ルカの声が震える。
レグルスが微かに動いた。
「ぁ……」
呼吸が乱れている。
涙が溢れている。
「いたい……」
その声がルカの耳に届く。
「ルカ……」
震える声。
助けを求める声。
「いたいよ……」
涙が零れる。
「やだ……」
呼吸が乱れる。
「こわい……」
そして。
レグルスは泣き崩れた。
「いやだああああああああああ!!」
病院中に響く叫び。
ルカの身体が凍り付く。
頭が真っ白になる。
自分がやった。
親友に。
助けたかった相手に。
その事実だけが突き刺さる。
周囲が騒ぎ始める。
医師。
看護師。
患者。
人が集まる。
だがルカには何も聞こえない。
レグルスの叫びだけが残っていた。
「ルカ……」
その声に耐えられなかった。
ルカは後退する。
さらに後退する。
そして逃げた。
病院から。
現実から。自分自身から。雨の中へ。一人で。
残されたレグルスは緊急搬送される。
誰も知らない。
この事故が。
二人の運命を決定的に変えてしまったことを。
そしてルカも知らない。
インペリアルレリックが今この瞬間も、静かに自分の命を奪い続けていることを。
面白かったらブックマーク、評価お願いします




