第11話 裁きの門
夢殿が鳴っていた。
それは警報というより、巨大な生き物の悲鳴だった。
白い聖域を赤い光が染める。
眠りの座を取り巻く封印管が震え、壁面に刻まれた女帝紋が明滅し、床下を流れる魔導炉直結の光が脈打つ。夢殿最深部は、神殿であり、制御室であり、ひとつの心臓だった。
その心臓が、乱れている。
『警告』
『裁きの門座標、現世投影準備』
『外部召喚術式、進行率九十七パーセント』
『セーフィエル系列血統反応』
『ノイン残響座標、照合中』
『ヨムルンガルド結界外層、臨界接近』
シグレは、眠りの座の前でムラサメを握っていた。
青白い刃が勝手に伸びている。彼自身が起動したのではない。夢殿の警報に、裁きの門の座標に、そしてセーフィエルの術式に、ムラサメが反応している。
胸が痛い。
シオンの痛みなのか。
ノインの残響なのか。
自分自身の恐怖なのか。
もう、区別がつかない。
目の前には、眠りの座に安置されたヌル本体がいる。白い花のような装置の中心で、女帝ヌルの本体は眠っている。閉じた瞳。細い指。無数の魔導管。帝都全域へ伸びる光の糸。世界を支配する神というより、世界に縫い止められた少女のようだった。
そして、彼らの前に立つ女帝義体は、赤い警報の中で微笑んでいた。
小柄な少女の姿。
白と金の女帝装束。
退屈そうな目。
だが、その奥にある光は、今までよりも硬い。
「始めたね、セーフィエル」
ヌルは、どこか懐かしむように言った。
「キミは昔から、準備だけは丁寧だった」
ズィーベンが膝をついたまま、観測盤へ視線を走らせる。
「陛下。裁きの門召喚術式、九十八パーセントへ進行。座標は死都東京外縁、旧湾岸貨物駅跡から中心方向へ投影。ヨムルンガルド結界外層に、強制位相転換が発生しています」
「セーフィエルの血筋だけでは門は開かない」
ヌルはシグレを見た。
「でも、シグレ。キミがいる」
マナが短杖を握る。
「シグレを使わせるつもり?」
「アタシは使わせたくないよ。使われると困るからね」
「だったら止めなさいよ!」
「止める」
ヌルの声が低くなった。
「ただし、もう通常の女帝義体で止められる段階じゃない」
アリスの胸元の円環が、激しく光っている。
彼女は両手でそれを押さえながら、震える声で言った。
「裁きの門召喚条件が照合されています。セーフィエル系列血統。ノイン残響。門座標。タルタロス接続圧。私は……補助鍵として参照されています」
マナがアリスの肩を抱く。
「切れる?」
「試行しています。ですが、夢殿側、セーフィエル側、門側、三方向から参照されています。私一人では、完全切断は困難です」
「無理しないで」
「無理をしています」
「だから自白が早い!」
「マナ様が、怖い時と無理な時は言うようにと」
「言ったけど、言えばいいってものじゃない!」
シグレは二人のやり取りを聞きながら、呼吸を整えようとした。
夢殿の空気は重い。
赤い警報が、脈拍を狂わせる。
ムラサメの刃が、手の中で知らない剣筋を思い出そうとしている。
ノイン。
アインにそう呼ばれた剣筋。
シオンが残した響き。
それが今、裁きの門の呼び水になっている。
シグレはヌルを見る。
「行くしかないんだね」
「そうだね」
ヌルはあっさり答えた。
「ここでじっとしていても、セーフィエルは門を開く。キミの残響は、距離に関係なく引かれる。夢殿の奥に隠しても無駄。なら、現場へ行って止めるしかない」
「止められる?」
「わからない」
「神様でも?」
「神様だから、わからないことが多いんだよ」
ヌルは笑った。
「人の子は、神を便利な答え合わせ機だと思いすぎだね」
「便利じゃない神様だなぁ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「褒めてない」
マナが鋭く言う。
「くだらないこと言ってる場合じゃない!」
「緊張してる時ほど、くだらないことを言うのがシグレだよ」
ヌルは、まるで昔から知っているように言った。
シグレは少しだけ眉を寄せる。
「ボクのこと、詳しいね」
「ノインのことは知っている。キミのことは、今見ている」
その違いを、ヌルはきちんと分けた。
そのことが、シグレには少しだけ意外だった。
ズィーベンが立ち上がる。
「陛下、転移路を開きます」
「うん。アインは?」
「すでに現地へ向かっています。フィーアは市民統制を開始。アハトは死都観測最大。機動警察および帝都警察には、怪異対応優先の指令を送信済みです」
「闘神義体は?」
ズィーベンが一瞬だけ沈黙する。
ヌルは目を細めた。
「まだ起こしてないの?」
「陛下、本体負荷が」
「わかってる」
ヌルの声は、先ほどまでとは違った。
軽さが消えた。
女帝としての声だった。
「でも、セーフィエルは門を開く。通常義体で抑えられる段階は過ぎた。準備だけ進めて。起動命令は、アタシが出す」
「承知しました」
ズィーベンが手を上げると、夢殿最深部の床に白い転移円が開いた。
目的地は、旧湾岸貨物駅跡。
D∴C∴が儀式を行い、裁きの門の座標が一瞬だけ浮上した場所。
そして今、セーフィエルが門を現世へ呼び出そうとしている場所。
マナがアリスの手を握る。
「アリス、行ける?」
「怖いです」
「うん」
「ですが、行きます」
「よし」
「よし、ですね」
「よし」
シグレはムラサメを握り直した。
ヌルが彼を見た。
「シグレ」
「なに?」
「セーフィエルを止めるなら、迷わない方がいい」
「迷うよ」
シグレは即答した。
「たぶん、ずっと迷う」
「人の子らしいね」
「褒めてる?」
「少し」
ヌルは笑った。
「でも、迷うなら落ちないようにね。裁きの門は、迷っている者ほど深く引き込む」
「嫌な門だねぇ」
「裁く門だからね」
転移光が強くなる。
赤い警報が白い光に飲まれる。
シグレ、マナ、アリス、ズィーベン。
そして、女帝ヌル義体の思念が、彼らの転移路へ重なる。
次の瞬間、夢殿最深部は消えた。
旧湾岸貨物駅跡は、もう夜ではなかった。
空が割れていた。
正確には、死都東京方面の結界上空が、内側から押し広げられるように裂けている。青白いヨムルンガルド結界の膜に、黒い亀裂が走り、その向こうから赤とも紫ともつかない光が漏れていた。
地面には古い線路が残っている。
錆びたレール。
崩れたホーム。
壊れた貨物コンテナ。
D∴C∴の儀式跡。
砕けた黒水晶。
そして、その中心に立つ白い女。
セーフィエル。
月光の魔女は、血を流していた。
彼女の左手首から滴る血が、空中に文字を描いている。赤い魔導式。月相術式。血統認証。裁きの門を開くための血の鍵。
その周囲には、白い月光の糸が無数に伸びていた。
糸は死都東京方面へ伸び、結界の亀裂へ刺さり、さらに見えない奥へ向かっている。
シグレが着地した瞬間、その糸の何本かが彼へ向いた。
ムラサメが震える。
胸が裂けるように痛む。
セーフィエルが振り向いた。
「来たのね、シグレ」
その声は優しかった。
優しいからこそ、怖かった。
マナが前へ出る。
「やめなさい、セーフィエル!」
「遅いわ」
「まだ門は開いてない!」
「開くわ。もう、座標は確定した。血統鍵も通った。あとは――」
セーフィエルの視線が、シグレへ向く。
「ノインの残響が、門を呼ぶ」
シグレはムラサメを構えた。
「使わせる気はないよ」
「あなたの意思に関係なく、門はあなたの中の響きを聞く」
「便利に言わないでほしいなぁ」
「便利ではないわ」
セーフィエルの声が揺れた。
「残酷なのよ」
彼女は血に濡れた手を上げた。
月光の糸が、シグレの胸へ伸びる。
マナが防御術式を張る。
「触らせない!」
金色の障壁が展開される。
だが、月光の糸は障壁をすり抜けた。物理でも、通常魔導でもない。魂の残響に触れるための術式。
シグレの胸に、冷たい指が入ってくるような感覚が走る。
シオンの顔が浮かぶ。
鎖につながれた少女。
剣を持っていた少女。
ノイン。
シオン。
彼女の痛みが、胸の奥で鳴った。
「っ……!」
シグレが膝をつく。
アリスが叫ぶ。
「シグレの魂反応に外部照合! ノイン残響が強制的に門座標へ引かれています!」
「切って!」
マナが叫ぶ。
「試行中。失敗。セーフィエルの血統鍵が優先されています」
ズィーベンが結界を展開する。
「セーフィエル、止まれ。これ以上進めば、帝都全域が臨界に入る」
セーフィエルはズィーベンを見る。
「ズィーベン。あなたは昔から、ヌルのそばで正しい顔をしていたわね」
「私は陛下の側近だ」
「知っているわ。だから嫌いではない。でも、どいて」
「できない」
「そう」
セーフィエルの月光が、ズィーベンの防御結界を叩いた。
白い光と青い結界が衝突する。空気が裂け、貨物駅跡の地面が波打つ。
その瞬間、別の光が横から割り込んだ。
白銀の剣。
アインだった。
ワルキューレ第一位。
彼女は転移の余韻もなく、すでに戦闘の中心にいた。剣を振るうたび、月光の糸が切断される。セーフィエルは軽く身を翻し、月鏡で刃を逸らす。
「セーフィエル」
アインの声は低い。
「裁きの門召喚は、帝都全域への攻撃と見なす」
「娘を迎えに行くだけよ」
「そのために都市を危険にさらすなら、攻撃だ」
「あなたたちは、都市のために娘を楔にした」
「私は」
アインの剣が止まらない。
「その罪も背負っている」
「背負うだけで、外せはしない」
セーフィエルの声が鋭くなる。
「アイン。あなたもシオンを知っていたでしょう。あの子が剣を握る手を。泣きそうな顔を隠す癖を。怖くても逃げない愚かさを。知っていたでしょう!」
アインの剣先が、ほんの一瞬だけ揺れた。
それだけで十分だった。
セーフィエルの月光が抜ける。
シグレへ。
ムラサメへ。
ノインの残響へ。
シグレの視界が白く弾けた。
シオンの声が聞こえる。
いや、声ではない。
痛みだ。
長い長い時間、タルタロスの底で楔にされ続けた痛み。
闇の子を押さえ、門を閉じ、帝都を支え、自分の名前を削られ、それでも誰かに顔を覚えていてほしかった少女の痛み。
セーフィエルが叫んだ。
「あなたはシオンじゃない。わかっているわ!」
シグレは顔を上げる。
セーフィエルの目には、涙があった。
月光の魔女が、泣いていた。
「けれど、あの子の痛みを知っているなら、どうして見捨てられるの?」
その言葉は、刃ではなかった。
母の叫びだった。
シグレは答えようとした。
帝都には人がいる。
ハルナがいる。
ホウジュ区の店がある。
女帝ヌルを信じる少女がいる。
死都東京の夢に怯える人たちがいる。
マナがいる。
アリスがいる。
だから門を開いてはいけない。
そう言えばよかった。
言えるはずだった。
けれど、シオンの顔が浮かぶ。
鎖につながれ、もう戻れないと知っていて、それでも「わたしがここにいたことを覚えていて」と言った少女。
見捨てられるのか。
答えられない。
シグレは、答えられなかった。
その沈黙を、裁きの門が聞いた。
地面が割れた。
旧湾岸貨物駅跡の空間が、縦に裂ける。
最初は細い線だった。次に、その線が広がり、巨大な門の輪郭を取る。駅の改札のようで、神殿の入口のようで、処刑場の門のようで、どれでもない。
裁きの門。
死都東京の中心にあるはずの門が、現世へ投影される。
門の表面には、無数の文字が浮かんでいた。
旧東京の駅名。
帝都の区名。
ワルキューレの階位。
女帝ヌルの紋章。
セーフィエルの血統式。
ノインの欠番。
シオンの名。
そして、シグレの名。
アリスが悲鳴を上げた。
「門が開きます!」
マナがセーフィエルへ突っ込む。
「止めなさい!」
「もう止まらない」
セーフィエルの声は震えていた。
「ごめんなさい、マナ。ごめんなさい、アリス。ごめんなさい、シグレ」
「謝るならやめて!」
「やめられないの」
門が開いた。
帝都全域が揺れた。
ホウジュ区では、空中歩道の下に黒い駅のホームが一瞬だけ重なった。買い物客たちが悲鳴を上げ、帝都警察が避難誘導を行う。時雨堂の棚では、女帝ヌルの聖像が強く光り、ハルナが店の入口に貼った護符を必死に押さえていた。
「テンチョ……!」
彼女の声は、門には届かない。
カミハラ区では、帝都大学の封鎖研究棟群が一斉に警報を上げた。保管されていた魔導機械がうなり、死都由来資料の封印棺が震え、研究員たちが退避する。クレハは通信室で端末を叩きながら、歯を食いしばっていた。
「開いたか。まったく、最悪の実証実験だ」
シンのオフィスでは、都市情報網が黒いノイズに呑まれていた。
『ホウジュ区、怪異反応十二。湾岸区、死都影像流入。カミハラ区、機械魔導誤作動。アツギ中枢区、夢殿警報最大。帝都警察、全区出動。機動警察、湾岸封鎖線へ展開。ワルキューレ各位、出動記録――うわ、これもう戦争だよ』
帝都警察は、市民を避難させながら怪異を撃つ。
通常の魔導銃では足りない。
機動警察の装甲車両が街路に展開する。
大型魔導盾が起動し、黒い影の怪物を押し返す。
空中からは警備艇が降り、結界弾を撃ち込む。
それでも、門の向こうから漏れ出す気配は止まらない。
死都東京の空が割れていた。
結界の向こうで、黒い雲が渦を巻き、その奥に別の空が見える。
赤い硫酸の海。
溶岩と凍土が同時に存在する大地。
鎖の森。
死者の声。
タルタロスの気配。
怪物たちが現れる。
死都の影ではない。
もっと深い場所のものだ。
骨の翼を持つ獣。
溶けた鉄のような腕を持つ巨人。
顔のない天使の残骸。
旧東京のビルの影をまとった蛇。
鎖に吊られた死者の群れ。
ヨムルンガルド結界が、それらを押し戻そうと光る。
だが、門は開いている。
セーフィエルの術式が、門を支えている。
シグレの残響が、門に呼ばれている。
アリスの補助鍵が、勝手に照合されている。
帝都の封印は、内側から歪んでいた。
夢殿。
眠りの座。
ヌル本体の瞼が震える。
魔導管が赤く染まる。
ズィーベンの投影が、ヴァルハラ宮殿の玉座前に現れた。
「陛下。裁きの門、開門。通常女帝義体による封印圧制御、限界です」
玉座の上で、女帝義体のヌルは静かに目を閉じた。
「わかってる」
「闘神義体の起動は、本体への負荷が大きすぎます」
「わかってる」
「しかし、このままでは」
「だから、起こす」
ヌルは目を開いた。
その瞳から、少女の軽さが消えていた。
「闘神義体、起動」
ヴァルハラ宮殿の地下が開いた。
旧厚木基地の格納庫跡。
夢殿とヴァルハラ宮殿をつなぐ深層格納区画。
そこに、巨大な白い棺があった。
棺の封印が解ける。
金色の光輪が回転する。
翼状の魔導兵装が展開する。
戦闘用外殻が目覚める。
魔導炉直結の光が、義体の中心核へ流れ込む。
人間の少女に似た形。
だが、人間ではない。
神でもない。
それは、戦うために作られた女帝の姿だった。
闘神ヌル。
破壊神ヌル。
かつて厚木基地を沈黙させた光の破壊神。
帝都上空に、白い光が爆発した。
ホウジュ区の市民も、カミハラ区の研究員も、湾岸区の警察官も、アツギ中枢区の信徒も、一斉に空を見上げる。
そこに、ヌルがいた。
巨大な光輪を背負い、翼状兵装を広げ、白と金の戦闘外殻をまとった少女。
女帝義体の幼さは残っている。
だが、それはもう守られるべき少女の姿ではない。
都市を守るために都市ごと焼き払うことさえできる、神格兵器の姿だった。
闘神ヌルが、帝都全域へ声を落とす。
『帝都の民よ』
その声に、怪物たちの動きが一瞬止まった。
『屋内へ退避せよ。祈りたければ祈れ。逃げたければ逃げろ。叫びたければ叫べ』
光輪が回転する。
門から漏れ出した黒い怪物が、空へ飛び上がる。
闘神ヌルは、それを見下ろした。
『警告は終えた』
翼状兵装が展開する。
無数の光刃が帝都の夜空に浮かぶ。
『次は祈る時間だよ、人の子』
光が降った。
怪物たちが焼かれる。
ホウジュ区の空にいた影の鳥が消し飛び、湾岸区の黒い波が押し返され、カミハラ区の研究塔へ迫っていたタルタロスの残骸が白い火に包まれる。
それは救済だった。
同時に、破壊だった。
地上の市民たちは祈る。
女帝ヌルの名を呼ぶ。
恐怖と信仰が、同じ形で空へ上がっていく。
旧湾岸貨物駅跡では、門がさらに開いていた。
闘神ヌルの光が周囲を焼く。
アインがセーフィエルへ斬りかかる。
ズィーベンが門の外縁に防御結界を張る。
マナがアリスを庇いながら、シグレへ叫ぶ。
「シグレ!」
シグレは立ち上がろうとした。
しかし、門が彼を引いている。
ノインの残響。
シオンの痛み。
裁きの門の呼び声。
ムラサメの刃が震え、青白い光が門へ伸びる。
セーフィエルは血まみれの手で門を支えていた。
彼女もまた、門に引かれている。
だが、その顔は恐れていない。
その先に娘がいると信じている者の顔だった。
「シオン」
彼女は囁く。
「今、行くわ」
「セーフィエル!」
シグレが叫ぶ。
セーフィエルは振り向く。
その顔には、涙の跡があった。
「シグレ。あなたは来なくていい」
「そういうわけにいかないでしょ!」
「来れば、戻れないかもしれない」
「知ってる!」
「なら、どうして」
シグレは答えた。
今度は、答えられた。
「見捨てられないからだよ!」
セーフィエルの瞳が揺れた。
その瞬間、門の内側から黒い鎖が伸びた。
セーフィエルの身体を絡め取る。
次に、シグレのムラサメへ。
さらに、アリスの胸元の円環へ。
アリスが悲鳴を上げる。
「補助鍵、強制接続!」
「アリス!」
マナが手を伸ばす。
その手も、門の重力に引かれる。
ズィーベンが結界を張る。
アインが剣を振るう。
闘神ヌルの光が空から降る。
だが、間に合わない。
裁きの門が、内側から開いた。
シグレは、マナの手を掴んだ。
マナはアリスの手を掴んだ。
アリスは、シグレとマナの手を両方握り返した。
セーフィエルは門の中心で、血に濡れた手を伸ばす。
四人の足元が消えた。
世界が落ちる。
旧湾岸貨物駅跡。
帝都エデンの夜景。
闘神ヌルの光。
アインの叫び。
ズィーベンの結界。
ハルナの待つ時雨堂。
夢殿の眠りの座。
死都東京の割れた空。
すべてが上へ遠ざかる。
落ちていく。
裁きの門の向こうへ。
タルタロスへ。
最後に、シグレは闘神ヌルの声を聞いた。
『シグレ』
神の声。
女帝の声。
少しだけ、祈りにも似た声。
『自分が誰か、忘れないで』
次の瞬間、光は消えた。
シグレ、マナ、アリス、セーフィエルは、門の向こう――タルタロスの暗闇へ落ちていった。




