第九章 光秀最期の刻
山崎の地に朝日が差し込む頃、戦場は静まり返っていた。
霧が晴れ、倒れた兵の影が長く伸びている。
その中心に、明智光秀の亡骸が横たわっていた。
信忠はゆっくりと歩み寄り、光秀の顔を見下ろした。
その表情は、怒りでも憎しみでもなく、どこか哀しみを帯びていた。
「光秀……」
信忠は小さく呟いた。
「父上を討った罪は重い。
だが、お前ほどの才を持つ者が、なぜこの道を選んだのだ」
光秀の顔は、死してなお苦悩の影を残していた。
天下を望みながら、天下を掴む器ではなかった男――
その矛盾が、光秀の最期の表情に刻まれていた。
そこへ、光秀の家臣が数名、震える足で近づいてきた。
彼らは武器を捨て、信忠の前に膝をついた。
「信忠様……光秀様は……」
「殿は……殿は、最後まで織田家を恐れておられました……」
「信忠様が生きておられると知った時……殿は……」
家臣たちは涙を流しながら言葉を続けた。
「『信忠が生きているなら、天下は取れぬ』と……
殿はそう申しておりました……」
信忠は静かに目を閉じた。
光秀は信長を討った瞬間、天下を掴んだように見えた。
だが、信忠が生きているという事実が、光秀の心を折った。
光秀は信忠の存在に怯え、焦り、そして破滅へ向かった。
信忠は家臣たちに向き直った。
「光秀の家臣たちよ。
お前たちの罪は問わぬ。
光秀の死をもって、この戦は終わりだ」
家臣たちは驚き、そして深く頭を下げた。
「信忠様……この御恩、一生忘れませぬ……!」
信忠は光秀の亡骸に布をかけ、静かに手を合わせた。
「光秀……お前の才は惜しい。
だが、父上を討った以上、我らは敵となるしかなかった。
次の世では、違う道を歩め」
その言葉は、戦場の静寂に吸い込まれた。
戦後処理は迅速に進められた。
柴田勝家が兵をまとめ、丹羽長秀が負傷者の手当てを指揮し、前田利家が光秀軍の残兵を保護した。
「殿、光秀軍の残兵は降伏いたしました。
諸将も織田家への帰順を望んでおります」
信忠は頷いた。
「よい。
光秀の乱はここで終わる。
織田家は再び天下を治める」
その言葉は、重臣たちの胸に深く響いた。
信忠は馬に跨り、山崎の地を見渡した。
霧が完全に晴れ、朝日が戦場を照らしていた。
「父上……仇は討ちました。
だが、これは始まりにすぎません。
天下を治めるために、私はさらに進まねばならぬ」
信忠は馬の腹を軽く蹴った。
「京へ向かう。
朝廷と会い、天下静謐の道を開く」
兵たちが一斉に動き出す。
山崎の戦いは終わった。
光秀の時代は終わった。
そして――
織田信忠の天下が、ここから始まる。




