グレン子爵邸にて
それから暫くが経った。
その間、俺は自宅のファーム侯爵家で待機をしていた。
ケルビンからの連絡待ちだ。
アネットは毎日俺を王立学院に迎えに来たが、ケルビンとの約束があるため、登校はできない。
仮病でやり過ごしているうちに、ケルビンからの使いがあった。
明日、例のものを受け取りに来て下さい、と。
当然、レベル上限を5上げる『女神の聖水』の事だ。
俺は翌朝早速、グレン子爵邸へと向かった。
まだ朝靄が残るような、早朝の時間帯だ。
ここはホロウ公爵領の中にあり、『霧の古遺跡』の森からも遠くない。
ケルビンも王立学院に行ったり忙しいだろう。
用事はサッと済ませて、お互いにお互いの人生を生きないとな。
もう既に俺の頭は、レベルを55まで上げるチャート構築で夢中である。
『霧の古遺跡』もいいが、毒薬が必須だ。
アネットに借りた金で買い占めた毒薬はもう全部使った。
新しく仕入れる元手もない。
そもそもあれだけ買い占めたから、再入荷出来ているのだろうか?
ホロウ公爵領の店も見てみるか?
代金はアネットにツケといて貰ったら、怒られはするが払ってくれるか?
どうせ毎日のお迎えをスルーしているのだから、怒られついででもある。
そう考えながら、グレン子爵邸の門前に立つ。
「ん……? 何か静かだな?」
門番がいない。
たまたま外しているだけか?
門扉は押したら開いた。
不用心だな。
とは思うものの、失礼して中に。
使用人を見つけて取り次いで貰おう。
しかし庭には誰の姿も無い。
母屋に着いてしまった。
ドアノッカーを鳴らす。
コンコン。コンコン。
返事が無い。
「おいおい、呼んどいて留守はないだろ」
それで俺が諦めるのを待つ?
で、後から今日来てと言ったのに来なかったから約束は無効だ、とか?
そんな俺みたいな事をケルビンがするか?
いや考えにくい。
そもそも使用人も誰も出てこないのは異様だ。
だとしたら――
「開くなよ……!」
言いながら押し込むと、扉はあっさり開いてしまう。
「くそ……!」
間違いない、何かあった。
そしてその何か、もすぐに分かる。
人が倒れているのが見える。
メイドの格好をした若い女性だ。
「おい大丈夫か!?」
駆け寄る俺に返事は無い。
「何があった!? おい!」
助け起こしても、メイドの女性はこちらを見ない。
虚ろに開かれた目は、どこも見ていない。
半分開いた口も何も語らない。
これは……死んでる。
前世は大往生を決めた俺だ、その過程で何度も人の死に目に立ち会って来た。
だから分かる。間違いない。これは死体だ。
「外傷は……無いな。だけど血が」
服は血で汚れている。
口の端には血が流れた跡が残っていた。
「血を吐いて死んだ? 他は!?」
俺は生き残りを探して屋敷の中を歩き回った。
倒れている人間は何人もいた。
執事の人、庭師の人、騎士の人、貴族の小さな女の子。
状況は皆同じ、血を吐いて倒れてしまった様子である。
「ケルビン! ケルビン! いないのか!? 返事しろ! ケルビン!」
そして、三階の隅の部屋に足を踏み入れた時――
「ケルビン……っ!」
部屋の床に倒れているケルビンの姿を見つけた。
「くそ……!」
他に見つけた死体と同じ状況だった。
俺に何の反応も見せず、目だけが虚ろに開いている。
何か分かる事はないかと、部屋の中を見回す。
「……『女神の聖水』か?」
机の上にある小瓶。俺の知る『女神の聖水』の容器だ。
中身も入っているようである。
秘かに容器を移し替えて持ち出すのではなく、正面から持ち出そうとしていた?
今となっては、それも分からない。
中身は……本物の『女神の聖水』なのだろうか。
俺が『女神の聖水』に触れた時――
「誰だ! 誰かいるのか!?」
バン! と勢いよく扉が開く。
「あなたは……ファーム侯爵家のメイル様!? こんな所で何をされているのです!?」
入って来たのは武装をした騎士達。
鎧や装備品には、グレン子爵家やホロウ公爵家の紋章が刻まれていた。
後で聞いたが、屋敷の御用聞きの商人が異変に気付き、街中の騎士隊に通報をしていたそうだ。
現場にいた俺には当然、疑いの目が向けられることになってしまった。
◆◇◆
ファーム侯爵家の俺の自室――
アネットがおずおずと、慎重に言葉を選んで伝えて来る。
「あの……今日はね、学院でケルビンの追悼式があるの。良かったら一緒に行かない?」
「……いや、止めとく。俺はいいから行って来いよ」
俺としても行きたい気持ちはあるのだが、ケルビンとの約束は学院に行かない事だった。
もうケルビンは亡くなったのだから、意味のない約束だ。
意味はないのだが――
だからこそ、俺はケルビンとの約束を守ってやりたい。
それが俺からの餞だ。せめて俺の行動にお前の遺志を残してやるぞ。
「で、でも行かないと、学院の奴等に何て言われるか……」
アネットは悲しそうに目を伏せている。
「俺がケルビンを、この間の腹いせに……って?」
こくん、と頷くアネット。
俺はあの後、騎士隊に連れていかれて事情を色々聞かれた。
結局解放はされたが、それが原因であらぬ噂が広がっているのも確かだ。
「で、でも大丈夫、あたしがずっと側についてるから! あいつらに変な事は言わせないわ!」
「そんなの好きに言わせとけばいい。俺は気にならないしな」
それよりも、ケルビン達グレン子爵家を殺めたのは誰だ?
誰が、何の目的で?
ゲーム正史ではケルビンが出てこないルートもあるが、その場合はこうなっていたのか?
ケルビンが出て来なくなる条件は、俺、メイルの撃破を後ずれにした場合だ。
ゲーム序盤ではあるが、序盤の中にも順序はある。
となると主人公が俺の前に立つのが、最速パターンより遅くなるのかも知れない。
「で、でもあたしは、あんたが来てくれないと……」
「ん? 何か言ったか?」
ゲームフラグとチャートについて熟考していて、アネットが何を言っているのか聞こえなかった。
「う、ううん。分かった、あたし行って来るわね」
「ああ、じゃあな」
俺は紙とペンを持つ。
書き出して思考を整理するためだ。
この世界じゃPCもネットもAIも使えないからな。
◆◇◆
メイルの部屋を出たアネットは、ふうと大きくため息を吐く。
息が熱い気がする。手や足が、細かく震えているのが分かる。
恐ろしかったのかも知れない。飲み込んだ言葉が。
――「でもあたしは、あんたが来てくれないと……」
――「信じ切ってあげられないかも知れない……」
流石にこんな時は出て行って顔を見せるべき。哀悼の意を示すべき。そう思うのだ。
それを拒否するとなると、何か含むものがあると思ってしまう。
実際にメイルは、一度は騎士隊に拘束されてもいるのだ。
ひとりだけ屋敷の使用人の中に生き残りがおり、昏睡状態のためその目覚めを待つという事で解放されたようだが――
自分はメイルを信じる。信じたい。信じるべき。
最近は少し変わって来てくれていたのだ。
アネットはその変化が嬉しかった。
だがそれが、実は何か悪い方に傾く前触れなのだったとしたら――
「ううん。違う、違う……!」
首をぶるぶると振って、悪い考えを追い出そうと試みる。
どの観点からも、飲み込んだ言葉は口に出すべきではなかった。
飲み込めたのは、良かった。
だがそんな言葉を口にしそうになった自分が怖い。
だから、そそくさとメイルの前から逃げた。
とにかく、ケルビンを弔ってこよう。
グレン子爵家の一家全員が無くなったため、まともな葬儀も行われていないのだ。
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