絶望と没落
体の震えが止まらない。
自分の視界がグラグラ揺れるくらいに、激しく体が震えて止まらない。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
口からそれしか出てこない。
悲しみよりも遥かに上回る絶望を感じた時には、体は涙を流さないらしい。
アネットはその事を初めて知った。
ファーム侯爵は、アネットが適切に行動していれば助けられたはずだ。
あの時アネットがするべきだったのは、自室に引き籠る事では無かった。
すぐにファーム侯爵の元に向かって、寄り添う事だったのだ。
一緒にメイルを信じようと励まし合っていれば、こんな結末にはならなかった。
そうしていればメイルの助けに、支えになってあげられたはずなのに。
何も為せなかった――
メイルはアネットを助けてくれたのに、アネットはメイルの大切な人を奪ったのだ。
自分の馬鹿さ加減、愚かしさが、もう自分でも怖い。恐ろしい。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
この馬鹿な、自分という生き物は何なのだ。
何故これが生きて、立派な人物であるファーム侯爵が死んでいる?
希少な『星』の魔法への適性を持つ、学院一の才女。
将来を嘱望される天才魔術師――
そんな表面上の事は問題にならない。
人を見る目が無い。すぐに感情に流される。行動が的外れな事しか出来ない。
端的に言って、問題解決能力が低過ぎるのだ。
それは人として一番大切なものに欠けるという事。
人間としての格が低過ぎる。
「謝って済むものか! 貴様等のせいで侯爵様が! メイル様が!」
「侯爵様を返せ! お前が代わりに死ねばよかったんだ!」
公爵家で働く人達がそう言うのも、当然だろう。
「みんな滅多な事を言うな! アネットのせいじゃ――」
「……そうですよね――本当にそう……!」
アネットは部屋に置かれた侯爵が使った短剣に飛びつこうとする。
だが、出来なかった。
手前でメイルがアネットを抱き止めたからだ。
「は、離して……! あたしは――」
「馬鹿な事は考えるな! 落ち着け!」
ぱちん、と軽く頬を叩かれる。
叩かれてこんなに暖かいと思ったのは初めてだ。
メイルは暖かい。そして凄い。
痛感する。アネットとは真逆なのだ。
魔法が使えなかったり、勉強が出来なかったり、そんな事を物ともしない。
父ホロウ公爵や執事が全力で陥れようとしたのに、その企てを看過して切り抜け、セネリオ王子を味方につけて、魔将という怪物も撃破し、事件を収束に導いて見せた。
問題を解決する行動力が、アネットとはまるで違う。同じ事が自分に出来るとは思えない。
つまり、人間としての格が違うのだ。
自分は馬鹿で愚かでどうしようもないが、メイルは凄い、本当に凄い。凄い凄い凄い。
元々好きだが、大好きだが、それだけでは言い表せない敬意、尊敬、信頼を感じる。
何かもう輝き過ぎて、眩しくて顔も見えないかも知れない。
目の前が、真っ白だ。
「皆、冷静になりましょう。まずは死者を悼み、弔う事です。その後の事はそれからに致しましょう」
セネリオ王子のその声は、気を失ったアネットの耳にはもう入っていなかった。
◆◇◆
「それでは、今回の事態を受けての今後の沙汰ですが――」
後日。ファーム侯爵家の館に、地域の主だった顔ぶれが集められていた。
ホロウ公爵領の者達も含めた、貴族や有力商人達だ。
皆セネリオ王子の言葉に、固唾を呑んで耳を傾けている。
「ホロウ公爵の所業は看過できません。除爵及び所領の没収を命じます」
それは妥当だろう。
集まった貴族や有力者達も、それには驚きを見せなかった。
問題はその後をどうするか、だ。
「そして旧ホロウ公爵領は――メイル、ファーム侯爵家を継いだあなたがお治めなさい」
「えぇぇっ!?」
これには俺も驚いたし、集まった有力者達もざわついていた。
ホロウ公爵領はうちのファーム侯爵領より倍は大きい。
それを全部俺に与えるとは破格過ぎる。
いくら最後の戦いでの功績があったとはいえ、だ。
特にホロウ公爵領の出席者達は、露骨に嫌がるような雰囲気を見せている。
まだまだ俺の世間的な評価は侯爵家の恥部。そんな者に領主になって欲しくないだろう。
「待って下さい、王子。俺はまだまだ若輩者です。これから父の遺したファーム侯爵領を上手く治められるかも分かりません」
これは国盗りシミュレーションではなく、レベルを上げて主人公に大量の経験値を供給するRTAである。
領土拡大には特に意味がない。
むしろ内政に時間を取られて、レベル上げが疎かになりかねない。
「将来的に領地を増やして頂くにせよ、当面は王家の直轄領として頂き、俺が問題なく統治出来るかどうかを見極めて頂けませんか?」
秘技、前向きっぽい理屈をこねての先送り! 日本人の特殊スキルだ。
こうしているうちに本編の時間が来て、俺は経験値になるというチャートだ。
「能力の無い者に治められるのでは、領民達も不幸でしょうから」
ホロウ公爵領の関係者達も、それならば、と頷いているものが多い。
しかしセネリオ王子は少々不満なようだ。
「……私の見る目が間違っていると? あなたならば間違いはないと私は思います」
「い、いえ、そういうわけじゃあありませんが……まだ王立学院の学生でもありますし、学ぶべき事の方が多いと思っています」
「そうですか――ですが、あなたの功績に報いるべき私の立場も汲んで下さい。ホロウ公爵領全てとは言いませんが、ケルビンのグレン子爵家が管理していた街と土地は、あなたに」
「分かりました、お受けします」
それならば侯爵領の中のごく一部でもあるし、今いる貴族の地位を脅かす事もない。
セネリオ王子の面子を潰すつもりはない。助けて貰った恩もある。
それに、グレン子爵邸には『女神の聖水』が二つ残されているはずだ。
元々の家宝と、セネリオ王子がケルビンに送ったものだ。
それを頂けるのはとても助かる。結局レベルは50で止まったままだからな。
「将来的にはホロウ公爵領の全てをあなたが治めるつもりで、学びに励んで下さい。そして亡きケルビンに代わり、私の力になって下さいね」
「はい。必ず」
俺の返事を聞くと、セネリオ王子は大きく頷く。
「それでは、領地についてはそのように。そして、残るはアネット・ホロウ。あなたの処遇ですが……」
セネリオ王子がアネットに視線を向ける。
「はい」
アネットの様子はあれから殆ど変わらない。
さすがに自傷行為はしていないが、ずっと茫然自失の状態でどこか上の空だ。
今も王子の呼びかけに、隣の俺にしか聞こえないくらいの小さな声しか出せていない。
「あなたも被害者である事は、私も見聞きしています。ですが、お咎めなしとは参りません。気の毒ですが、他の者に示しが付かない」
「はい」
「あなたには国外追放を命じます」
セネリオ王子の裁定が、そう下される。
「はい、分かりました」
アネットは表情を変えずに、粛々と頷いていた。
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