婚約破棄
三日後。アイン城塞、地下牢。
俺は冷たい石壁にもたれかかりながら、静かに時を待っていた。
向こう側には鉄格子。そして石畳の通路を挟んで別の牢。そちらには誰もいない。
看守の兵が詰めているのは、通路を左側に曲がった先だ。
次に何がどう出て来るか。
それによって俺の動きも変わって来るだろう。
だから、ここは待ちだ。
「通して貰うわね? 許可は貰っているから」
「は。しかし……」
「問題ございませんぞ。公爵様もそう仰せです」
「わ、分かりました」
そんな声が小さく、遠くから聞こえ――
それから駆け足の音がどんどん近づいて来た。
「メイル!」
「アネット……」
俺の顔を見ただけで表情がくしゃっと潰れて、泣きそうになっている。
心配かけて申し訳ないが、俺が待っていた情報ではない。
「大丈夫? 酷い事されてない?」
「ああ。この通り」
別に拷問や何かの類は受けていない。
まだ俺の証言を調査している段階、という事だ。
「本日、アネットお嬢様は最後のお別れをお伝えに参ったのでございます」
アネットに続いてやって来た執事が、穏やかに告げる。
「勝手に決めないで、そんな事! あたしは認めないから!」
その様子で、俺は大体察した。
「俺とアネットの婚約を破棄するって事か?」
「さようで。察しが宜しい事でございますな。まるで別人のようです」
執事が満足そうに頷く。
「まあ、公爵令嬢の婚約者が事件を起こすのと、『元』婚約者が起すのでは意味合いが違うからな」
前者だと、婚約者の人物を見抜けず家臣を討たれた無能となる。
後者だと、事が起こる前に損切できた慧眼となる。
その事実認定は、セネリオ王子がやって来て、事態の裁きを行った瞬間だ。
その前に世間体を整えておく、と。
となれば、俺は犯人認定される事が決まったわけだ。
となれば、この執事やホロウ公爵も信用できない。俺を嵌めようとしている可能性が高い。
となれば、俺の行動方針も決まって来る。
色々スッキリしたな。
「メイル……どうしてそんなに冷静なの? もうあたし達、今まで通りにはいられないのよ?」
しかしアネットは、そんな俺の態度に酷く傷ついたような顔をした。
確かに薄情だったかも知れない。
婚約破棄から芋づる式に繋がる情報が多過ぎて、これからの行動チャート構築に意識を持って行かれた結果だった。
俺としてもここからは一刻の猶予もなく、最適解を取らないといけないからな。
でないと生き残れない。世界を最速で救うことが出来なくなる。
「……仕方ない。もう決まった事だからな」
いい機会かも知れない。
いつか婚約は解消するべきだった。
ゲーム正史の俺とアネットは元婚約者。
俺から主人公に渡される経験値が莫大な以外は、正史に合わせるべきだ。
そうでないと、チャートに予測不可能な乱れが生じかねないから。
「うぅぅ……メイルぅ……なんでそんな事言うの? あたしずっと、ずっと、ずっとずっとあんたのために……って頑張ってたわよ? 最近はちょっと仲良くしてくれてたじゃない。何でこんな事になるの? 分からない、分からないよぉ……」
ポロポロ大粒の涙を流して、泣き出してしまう。
流石に気の毒になるが、この動揺ぶりで分かるのは、アネットは裏の事態を何も分かっていないという事だ。
執事やホロウ公爵はそれを隠している。
アネットは俺が事件を起こした犯人だと思って悲しんでいる。
ここで俺がやっていないと言い出し、アネットに助けを求めたら――
確かに、俺を助けようと動いてくれるかも知れない。
馴染みの執事や、尊敬する父親の言う事に反抗しても、だ。
――そしてそれが、あちらの狙いだったら?
「…………」
牢破りとしてアネットごと俺を殺す事もあり得る。牢破りは十分にその理由になる。
わざわざアネットを俺に近づける事を認めたのだ。そこには狙いがあるはず。
俺を殺そうとしているのは確実だが、アネットをどうしようというのかは分からない。
「ねえメイル、黙ってないで何か言って……何を考えてるの……? 教えてよぉ……」
俺の事は大丈夫。やりようはある。
だがこの状況で、アネットを一番の安全圏に置くには――
相手のお題目が、お題目通り進んでいるように見せる事だ。
「ウゼえなあ、こいつ」
「え……?」
「考えてる事。教えてやってんだよ」
ここは俺が目覚める前のメイル・ファームのアネットへの感想を引用しておく。
ちょっと俺自身としてはノーアイデアだったので。
「いっつも上から目線でああしろこうしろ。全員がお前みたいにはなれねえんだよ、クソが。傲慢な女は鼻持ちならねえ」
「そ、そんな……あたしそんなつもりじゃ――うう、うぅぅ」
「元々財産と公爵領さえ手に入れちまえば、お前なんか用済みだったんだよ」
「……はぁ、はぁ……うぅぅ~」
精神的なショックで気分が悪くなって来たのか、呼吸が荒く、胸を抑えるようにしている……みたいだ。
俺もちょっと気の毒で正視できないので、雰囲気しか感じられない。
「別居して俺はもっと可愛気のある妾でも囲うかと思ってたが、こうなっちまったらもうどうでもいい……! 望み通り思ってる事を教えてやったぞ、これで満足か!? 自分が何でもできるからって、人の気持ちの分からんクソ女め!」
「ぅあああああああああああああああああああああああっ!」
鉄格子から乗り出すようにしていた俺の顔面に、アネットの拳が突き刺さった。
後ろに倒れて一回転するくらいの威力だったが、罪悪感を忘れるにはこの方が都合がいい。
「星よ! 光よ! 我の元に集え……!」
アネットの手元に『星』の魔法陣が浮き上がる。
怒りに我を忘れて『星』魔法で俺を撃とうとしている。
流石にそれは不味いかも知れない。喰らったら死にかねない。
「おやめなさい、アネット様!」
執事がアネットの腕を掴んで、それを止める。
「離しなさい! 離して、離して、離せえぇぇぇぇっ!」
いや離すな、止めろ! 執事さん頑張れ! 今は応援する!
「いい加減になさいませ!」
パァン!
執事がアネットの頬を平手打ちする音だ。
「……っ!?」
多少なりとも効果があって、アネットが驚いて怯む。
「メイル様は曲がりなりにもファーム侯爵家の一員。そして、セネリオ王子様直々の裁きを待つ身。それをホロウ公爵家のあなたが害する事は、王家への越権行為、反逆とも見做されかねぬ行いです。一時の激情が、公爵家を滅ぼしかねませんぞ!?」
「…………!」
「お分かりになられますな? 恋を終えられたのなら、ただの娘ではなく公爵家の一員として相応しい行いをなさいませ」
そうピシャリと説教されたアネットには、もう反抗する気力は残っていないようだった。
「……わかったわ」
執事に背中を押されて去っていくアネットが、ちらりとこちらを振り向く。
瞳の輝きを失ったような、虚ろな瞳だ。ただただ物悲しさを感じさせる。
そして、アネットの横に並ぶ執事の口元には、にやりと笑みが浮かんでいた。
◆◇◆
帰りの馬車――
アネットは膝を抱えて、丸くなって震えていた。
体の震えが止まらない。寒くないのに。むしろ暑いのに。
どくどく。どくどく。
自分の胸と頭が悲鳴を上げている。
「先方、ファーム侯爵家にも正式な婚約解消の通達を致します。よろしいですな?」
答える気力もない。アネットは小さく一つだけ頷いた。
「……色々と、大変な事が多うございました。暫く学院もお休みし、ご静養なさいませ。お父上もお認め下さるでしょう」
「うん、そうする」
それだけ何とか返すことが出来た。
後から思えば――
ここで何も考えられずに逃げた事が、全ての誤りだったのかも知れない。
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