4-9.はいいろの精霊
4-9.はいいろの精霊
目を開くと、ルークは真っ白な世界の中にいた。
辺りを見回すと、先ほどと全く同じ地形が広がっているが、全てが白く、周りの景色には色がなかった。特技を使った際には周りの景色が灰色に変わるが、それとは異なり、完全に真っ白に染まっている。
ルークは慌てて顔を動かす。
小コボルトの姿が目の前から消えている。仲間を探すが、みんなの姿も無い。
「どうなってるんだ」と小さく呟く。
身体に入っていた力を抜いた。
ふと目の前を見ると、葉っぱの形をした白い物体が、空中に静止している。
無意識に手を伸ばしかけるが、声が聞こえて動きを止めた。
「ルーク」
ルークは声がする方へ顔を向けると、はっと息を呑んだ。
空中に、灰色の人影が浮いていた。
人影は灰色のもやに包まれており、姿をはっきりと捉えられないが、足を組んで座っているような姿勢に見えた。
「ようやく話せるね」
「……あんたは誰だ? それにここは……」
「わたしはきみに憑いてる精霊」
「精霊?」ルークは口に左手を当てた。息を漏らし、左手を包むように、右手を添えた。
「そうだよ」
「……エルシオンが言ってたのは本当だったのか……精霊憑きは心の中で精霊と話せると聞くが、ということは、ここは俺の心の中ってことなのか?」
「ふふふ、あの研究者は迷惑だったね。きみの心の中ではないよ。ここはネバ。精霊の世界。きみたちの世界、アロアから見ると、白穴の向こう側」
「白穴の?」
「そうだよ。あのまま戦ってたら死んじゃいそうだったから、いったんきみの意識だけこっちに呼んじゃった」
精霊の顔はしっかりと見えないが、ルークには精霊が苦笑いしているように感じた。
「人間の精神にはあまり良くないから、ほんとは避けたいんだけど」
精霊の優しげな声を、ルークは遮った。
「あ、そうだ! みんなが危ないんだ! 話してる場合じゃない!」
ルークは手を大きく動かして、精霊に急いでいることを示そうとする。
「早く戻してくれ!」
そんなルークに、精霊はなおも冷静に答えた。
「大丈夫だよ。こっちならわたしは本気を出せるから。周りの時間なんて止まってるようなものだよ。ほら、その葉っぱ」
精霊はルークの後ろを指差す。
振り返ると、真っ白な葉っぱが、先ほどとほとんど変わらない位置に浮いている。
「葉っぱも止まってるでしょ?」と、精霊の声が続けた。
「わたしはネバから離れられないから、もう少しだけ時間をちょうだい。わたしの力について話しておきたい」
「そうなのか……ただ、それはわかったが、みんなが心配なんだ。早く戻してくれ」
「……わかったよ。確かに、きみの精神のことを考えると、長居はしないほうがいい……要点を絞ろう」
朧げな輪郭の精霊が、腕を上げるような姿勢をとった。
微かに指を立てているのが見える。
「まず今回の戦いについて。このまま綺麗に戦ってたら、きっと勝てない。ルークは身体能力や肉体強化が未熟で、敵の動きを目で追えても、身体がついていっていない。力の差を埋めるためには、無理が必要だ」
精霊の淡々とした言葉に、ルークは素直に頷く。
「次に未来の話。ここで話したからといって、アロアでは、わたしの力は強くならない。わたしを使えば、きみはすぐに精神力を使い切って動けなくなってしまう」
「使うのはここぞというときだけにしないとってことだな」
ルークの言葉に、精霊が頷くように頭を揺らした。
「それに今まで通り、わたしの力を発揮してる間は意識だけが加速して、身体の動きは周りと同じゆっくりになる。今みたいに普通に動いて話すなんてできない。だから今回の戦闘を乗り切ったら、身体能力の向上と肉体強化を磨きなさい」
ルークは頷くが、ふと首を傾げた。
精霊に向かって、左手の甲を見せる。
「そういえば、精霊憑きは魔法陣が他にあるって聞いたんだけど。俺には左手にしかないみたいで」
「ああ……知らなかったんだよ、今の人間って左手に魔法陣を刻む社会なんだね。わたしが前に人間に憑いた時代はそんなことなくて……きみが10歳になって魔法陣を刻んだときは、つながりが弱まって焦ったよ」
精霊が笑ったように身体を揺らした。
「テレウスのおかげで多少マシになったけど」
「テレウス? セントリアで会ったが……あ! あの握手」
ルークは無意識に左手を前に出して、握手をするような姿勢をとった。
「そうそう。彼にもお礼を言わないとね。そういえば、どうしても困ったときは、彼に頼るのもいいかもしれない。頼られたら面倒見はいいから」
「え……おかしくないか? あなたは、人間に魔法陣が普及する前の時代しか知らないようだけど、テレウスを知ってるのか?」
「うん。わたしは何度か人間に憑いたけど、過去に会ったことがあるよ。彼は何百年経ってもあの見た目だし。それに人間の中ではごく少数だけど、自由にネバに来れる人だし。わたしから見ても、ほんとに人なのかもよくわからないけど」
「なんだかスケールがデカ過ぎて……まあわかった。あともうひとつ聞きたい。エルシオンから、白穴が危なくて俺の精霊の力でなんとかできるかもって言われたんだが」
「ああ……精霊憑きでもないのにそこまで調べるなんて優秀な人みたいだね。たしかにそうなんだけど、1000年とかそういう規模の話で、今すぐできることはあまりないと思うな。きみは気にせず自分の人生を楽しんでほしい」
「そうなのか……まあ、何かできることがあれば言ってくれ」
「ふふ、わかったよ……よし、そろそろいいかな。戻ろうか?」
「そうだな。あ、その前に」ルークは精霊に向かって頭を下げた。「いつも助けてくれてありがとう」
「え」
先ほどまでゆったりと声を響かせ、超然とした雰囲気だった精霊が、身体の動きを止め、呆れたような声を出した。
「いや、何回も死にそうな時に助けられて、感謝してるんだ。仲間のミナも救えたし、ありがとう」
「……ふふふ、やっぱりいい子に憑いたな。使いにくい力って罵られるつもりだったんだけど。こちらこそ、いつも優しい感情をいっぱい見せてくれて、きみに憑くのはとても楽しいんだ。ありがとう。さあ覚悟を決めようか、ルーク、きみがみんなを守るんだ」
「ああ、わかってる」
「あと、わたしの力は強くならないとは言ったが、今までよりも能力を発揮しやすくなるかもしれない。きみがわたしをイメージしやすくなるから。きみとわたしのつながりが強くなるんだ。これが人間たちが言う、第三層の力の根源。精霊との接続」
「精霊との接続……」
ルークは呟き、左手の甲を見た。
「だから、これから危ないときは、わたしの名前を心の中で呼んでほしい。わたしの名前は、ルスティカ」
次の瞬間、ルークの視界に色が戻った。
目の前に小コボルトの姿があり、爪を突き出す姿が見えた。
ルークは心の中で精霊の名を呼んだ。
『ルスティカ!!!』
速さを取り戻そうとしていた周りの時間が、再び緩やかに流れ出す。
景色の色が、目まぐるしく変わる。白に染まった世界が元の色に戻りかけ、今度は灰色に変わる。
ルークは小コボルトを強く睨みつけた。
小コボルトは腕を止めて、横にステップを踏む。
ルークは必死で身体を反転させ、小コボルトに身体を向けて剣を動かす。
小コボルトの爪が、ルークの腹に向かって突き出される。
ルークは左腕を動かそうとするが、防御は間に合わない。
コボルトの爪が腹の筋肉に突き刺さった。
焼けたような痛みが走るが、ルークは構わずコボルトの腕を掴む。
ルスティカの「覚悟を決めよう」という先ほどの言葉が、頭に響いた。
ルークはコボルトの腕に爪を立てて、自分の腹側へ強く引き寄せた。
暴れるコボルトが腕を揺する。
ルークの指の爪が割れ、血が滲んだ。
そのままルークは、剣を握った右手を突き出す。
小コボルトの胸を、ルークの剣が貫いた。
剣を振るように引き抜くと、小コボルトが背中から地面に倒れていく。
途端に、周りの時間が元に戻った。
ルークは大きく息を吐き出した。肩で息をするように、荒い呼吸を繰り返した。
ミナやソル、サラの声が聞こえる。
ルークは痛む腹を左手で押さえる。身体から力が抜けそうになるが、右手に力を込めて、剣を小コボルトの方に向けたまま維持する。
小コボルトは血を吹き出して痙攣していたが、やがて身体の動きを止めた。
ルークは剣を地面に置き、身体の力を抜いた。
たまらず地面に座り込む。
精霊の力が宿っているにもかかわらず、自分らしい泥臭い勝利だ、と思い苦笑した。
グローブをずらして手の甲の魔法陣を見る。心の中で『ルスティカ、ありがとう』と言葉にしてみる。魔法陣から、灰色の光が漏れたように感じた。
直後、巣の出口から、巨大なコボルトが顔をのぞかせる。
巨大コボルトは低く唸り声を上げた。




