第四十二話 声なき乗客
ガレスの手を借り、アルトは重傷を負ったエルンストを探しものの馬車に乗せた。
エルンストは小さく呻いた。
その呼吸は、あまりに心許なかった。
アルトは、取り引きに応じたつもりはなかった。
ただ、エルンストと二人きりになれるのは都合がいいと考えていた。
「アルトさん……。お気をつけて……」
クラリスが心配そうにアルトを見る。
ただその身を案じているだけではない。複雑な気持ちが、その瞳に宿っていた。
アルトは、ただ頷いた。
そして御者台に乗り込み、手綱を握る。
「行ってきます。エルンスト様が何を探されているのかは存じませんが」
「その方は、この王都を誰よりも案じておられる。悪いようにはするまい」
ガレスが、車中に横たわるエルンストを窓越しに見て言った。
アルトは何も言わず、手綱を軽く鳴らした。
馬車がゆっくりと走り出す。
辻馬車が、燃える王都の夜を駆けていく。
※
探しものの馬車は、魔物を避けるためか、王都の路地という路地を、まるででたらめに走っているように見えた。
右へ。左へ。時には大通りを避け、時には燃え落ちた建物の脇をすり抜ける。
そんな状況の中、エルンストは一言も発しなかった。
アルトも、何を話せばよいのか分からず、しばらく声をかけることはなかった。
だが、ついにアルトは意を決した。
自分の怒りを、エルンストにぶつけずに呑み込めるとは思えなかった。
「……エルンスト様」
声をかける。
だが、エルンストは応えない。
「エルンスト様。僕の話を聞いてください……」
エルンストは答えない。
それでも、アルトは構わず続けた。
「あなたがしたことを告白してくださったおかげで、僕は父と、そしてリディアと再び会うことができました」
「……」
「あなたを許したい、という気持ちもありました……」
「……」
「父は、細々と、この王都の片隅で生きております。ですが、リディアは……」
アルトは、そこで一度言葉を喉に詰まらせた。
「リディアは、もう別の人になっていました」
「……」
「あなたが『命は奪うな』と命じた結果は、彼女を殺したも同然でした。彼女は不正の告発ができないよう記憶を封じられ、リアという別の人格になってしまった」
アルトの声が震える。
「もう、リディアは戻ってこないんです」
「……」
「あなたに、僕の絶望が分かりますか?」
エルンストは、何も答えない。
「彼女は、僕のすべてだったんです……。僕には、彼女さえいればよかった……」
「……」
「僕は、絶対にあなたを許すことができません」
「……」
「何とか言ったらどうです?」
それでも、エルンストは何も応えなかった。
馬車は燃える王都の中を走り続ける。
怒号。
悲鳴。
遠くで何かが崩れる音。
魔物の遠吠え。
そのすべてが、アルトの怒りをさらに掻き立てていく。
「何か言ってください!」
アルトの声が、燃える王都の夜に響いた。
「あなたの正義のご高説でも、言い訳でも、何でも聞かせてくださいよ。そんなもので僕の怒りが収まるとも思いませんが」
それでも、エルンストは何も応えなかった。
——これだけ言っても、あなたは何も思わないのか?
アルトは手綱を引き、馬車を止めた。
御者台を降り、馬車の扉を開ける。
「エルンスト様……?」
エルンストは変わらず、座席に体を預け、仰向けに横たわっていた。
けれど、呼吸の音は聞こえなかった。
胸も動いていなかった。
アルトは馬車に乗り込み、エルンストの顔を覗き込む。
その顔は蒼白だった。
首元に手を当てる。
冷たい。
もう、命の火がその身体に宿っていないのは明らかだった。
「くそっ!」
アルトは思わず叫んだ。
「あんたは、また逃げたんだ!」
何も言わないエルンストに向けて、アルトは喚き散らした。
「王都を守るために探しものの馬車に乗ったんじゃないのか? 僕に思う存分、復讐をさせるんじゃなかったのか?」
エルンストは答えない。
もう、答えられるはずはなかった。
それでも、アルトは止めることができなかった。
「僕からリディアを奪って、王都までも奪うつもりなのか! 僕の大切なものを、何もかも……!」
アルトは、エルンストの遺体に向かって拳を振り上げた。
その拳は震えていた。
怒りのためか、行き場のない絶望のためか。
だが、その拳が振り下ろされることはなかった。
そのとき、ノクスが鼻を大きく鳴らした。
アルトは顔を上げ、小窓から馬車の前方を見る。
ワーウルフの群れが、馬車の行く手に迫っていた。




