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【連載版】婚約破棄された公爵令嬢が「どこにも行かず、ただ走らせて」と言ったので、辻馬車は夜の王都を走り続ける  作者: Vou@書籍化進行中
第九夜 【乗客】ある女

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第三十五話 冷たい水晶

 アルトは膝から崩れ落ち、両手をついて地面を見ていた。


 涙がこぼれ落ち、乾いた土を湿らせる。


 そんなアルトに、リアは声をかけることができなかった。



 そのとき、御者も乗客も乗せていない馬車が、静かに動き出した。


 御者の指示を受けたわけではない。

 乗客の探しものへ向かうわけでもない。

 ただ、馬と馬車自身の意思で動いているようだった。


 ノクスが、アルトの隣に立つ。


 そして、その大きな顔を、そっとアルトの肩に押し当てた。


 まるで悲しみに暮れる子どもを慰めるように、ノクスは、何度も、何度も、アルトに顔を擦り寄せた。


「アルトさん」


 やがて、リアが意を決したかのようにアルトに声をかけた。


「私も、体を預けている間に、リディアの記憶を見ました」


 アルトは答えなかった。


 それでも、リアは続けた。


「リディアが、どれだけあなたのことを愛していたのか。あなたが、どれだけリディアを愛していたのか。それも、分かりました」


 リアは、光を失った記憶晶(メモリア)を見下ろした。


「あなたがリディアを失って、どれほどつらかったのかも……」


 アルトは、何も言わない。


 リアは小さく息を吸った。


「ですが、私は謝ることはしません」


 夜の荒野に、はっきりとその声は響いた。


「私がリディアの人生を奪ったとは思いません。リディアが、私にリアとしての人生を託してくれたのだと思います」


 アルトが、わずかに顔を上げた。


「だから私は、その思いに応えるためにも、リアとして精一杯生きていきます」


 リアは、記憶晶(メモリア)をアルトへ差し出した。


「リディアの魔力の名残りを感じられます。アルトさん。これは、あなたが持っていてください」


「……」


「これは、リディアが、あなたに届けようとしていたものです」


 アルトは、その小さな水晶を見た。


 ノクスが、もう一度、アルトの肩に顔を押し当てる。

 立て、と言っているようだった。


 アルトは震える手を伸ばした。


 リアの手に触れる。


 それはもう、リディアの手ではなかった。



 受け取った水晶は冷たかった。

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