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【連載版】婚約破棄された公爵令嬢が「どこにも行かず、ただ走らせて」と言ったので、辻馬車は夜の王都を走り続ける  作者: Vou@書籍化進行中
第九夜 【乗客】ある女

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第三十三話 ネーベル村の夜、荒野

 アルトが、手綱を軽く鳴らす。


 過去を失った女を乗せて、辻馬車がゆっくりと走り出した。


「無理を言って申し訳ありません」


「いえ、いいんです。それに……」


 リアが小さく言った。


「私も、自分の過去を知りたい気持ちはありました」


 その言葉に、アルトは少しだけ安堵した。


「アルトさんは、私を……いえ、リディアを必死に探されていたのですよね」


「はい」


「では、リディアのことをよくご存じなのですね?」


 アルトは頷いた。


「あなたは、何も変わっていないように見えます。僕には、十年前で時間が止まっているみたいに見える」


「そうですか……。では、リディアも喜んでいるでしょうね」


 リアは小さく笑みを浮かべた。


 けれど、その笑みはどこか寂しかった。


「私は、アルトさんの……婚約者だったのですよね?」


「はい」


「私は、どんな人でしたか?」


 アルトは手綱を握ったまま目を閉じると、思い出が蘇ってくる。


「とても明るくて、楽しくて、僕にとっては太陽みたいな人でした」


「太陽……」


「王都の社交界でも人目を集めて、とても人気のある人でした。僕と婚約が決まったときには、多くの男性から妬まれたものです」


「そう……」


「ダンスも得意で……。僕は苦手だったのですけれど、無理やり夜会に連れて行かれて、一緒に踊らされて。僕は何度も躓きそうになって、あなたに笑われました」


 アルトは小さく笑った。


 だが、リアは少し寂しそうに言った。


「王都の貴族の方だったのですね」


「……」


「なんだか、私とは全然違う方みたい」


「いえ、あなたですよ。何も変わらない」


 まるで自分に言い聞かせるように言った。


 リアは首を振る。


「私は、貧しいネーベル村の修道女です。そうですね……明るさだけは、取り柄かもしれませんけれど」


 アルトは、また少しだけ笑みを浮かべた。


「私は、今の人生がとても気に入っているんです」


 リアが言った。


「この貧しいネーベル村が好きなんです」


 アルトは黙って聞いていた。


「この村は、記憶のない、得体の知れない女を、何も言わずに受け入れてくれました。皆、親切なんです。私は、そんな村の方たちのためになることをしたいと思って、教会の修道女として働いてきました」


 リアは、自分の手を見た。


「少し魔力もあるので、簡単な治癒もできるんです」


「そういえば、リディアにもいくらか魔力がありました」


 アルトは懐かしむように言った。


「とても優しい魔力でした」


「そうですか……」


 リアは微笑んだ。


「記憶がなくても、いえ、たとえ記憶が戻ったとしても、私はこの村でずっと生きていきたいと思うようになりました」


 そこで、リアは小さく息を吐いた。


「それでも、十年前までの私の人生を奪って、まるで勝手に人の人生を生きてしまっているような、後ろめたい気持ちもあるんです」


「リディアに対して後ろめたいのですか?」


「はい」


 アルトは、複雑な思いだった。


 司祭の言葉が脳裏に浮かぶ。


 ——この娘にとって最善のことを考えたい。


 アルトには、リアにとって、そしてリディアにとって何が最善なのか分からなかった。


 リディアを取り戻したい。

 だが、目の前にいるリアの人生を奪いたいわけではない。


 だからこそ、この馬車に、リアをどうしても乗せる必要があったのだ。



 ネーベル村を走っていた馬車が、ゆっくりと村の外へ向かっていた。


「アルトさん……どちらに向かわれているのですか?」


「僕にも分かりません」


「えっ……?」


 リアが不安そうな顔をする。


「この馬車は、探しものの馬車(ロスト・キャリッジ)なのです」


探しものの馬車(ロスト・キャリッジ)……?」


「お乗りになった方の探しものを見つけてくれる、不思議な力のある馬車です。この村の外へ向かっているのであれば、そこに、あなたの探しものがあるはずなのです」


「私の、探しもの……」


 リアが呟いた。



 辻馬車が、夜の荒野を走っていく。


 広い荒野のどこか、誰からも顧みられることのない場所へ向けて。



 やがて馬車は止まる。


 月明かりだけが照らす、何もない、荒野の中で。

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