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【連載版】婚約破棄された公爵令嬢が「どこにも行かず、ただ走らせて」と言ったので、辻馬車は夜の王都を走り続ける  作者: Vou@書籍化進行中
第八夜 【乗客】婚約者が失踪した御者、その代わりとなる者

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第三十話 辻馬車が止まる

 その村は、「失われた村(ロスト・ヴィレッジ)」と呼ばれるラウネ村からほど近い、ネーベル村という名の村だった。


「私、この村も覚えているわ。視察のときにも、探しものの馬車(ロスト・キャリッジ)がここで止まったはずよ」


 クラリスが言う。


 だが、アルトは何も応えなかった。


「ねえ、アルトさん」


 クラリスが少し声を張る。


「ああ……すみません、クラリス様」


「どうかしたの?」


「はい」


 アルトは御者台で、前を向いたままだった。


「馬車が止まろうとしないのです」


「……? 馬車は走るものではなくて?」


「僕は、休むためにこの村へ入ったのではありません」


「そうなの? 日が暮れてきたから、アルトさんが村で休ませようとしたのかと思っていたのだけれど……」


 そこまで言って、クラリスは気づいた。


「まさか……」


 アルトは、前を向いたまま頷いた。


「この村に、リディアがいるのだと思います」


 クラリスは息を呑んだ。


 ネーベル村にも、王都から派遣された兵士たちの姿がちらほらと見えた。

 日暮れで作業を終えたのだろう。兵士たちは道具を担ぎ、どこかへ戻ろうとしている。


 その兵士たちを追うように、あるいは追い越すように、辻馬車は村の中をゆっくりと進んでいった。


 ときおり馬車に気づいた兵士と目が合うと、クラリスは小さく手を振った。

 だが、心は落ち着かなかった。


 ——いよいよ、リディア様とお会いするのだわ。


 この旅の間、クラリスはリディアを探すことだけを考えていた。


 アルトのために。そしてリディアのために。

 王国が強いた欺瞞の犠牲となった二人が救われることで、その欺瞞との本当の訣別にもなるのだと思っていた。


 けれど、いざその瞬間が近づいていると思うと、胸の奥がざわついた。


 リディアが見つかれば、アルトは救われる。

 十年間止まっていた彼の時間が、ようやく動き出すのだ。


 リディアは、アルトを愛していた人だ。

 アルトのために危険を冒し、王国の不正を追い、その結果として姿を消した人だ。


 もし彼女が無事で、彼女がアルトを許すなら。

 そしてもし、アルトがもう一度リディアの手を取るなら。


 それは、きっと正しいことなのだ。


 正しいことのはずなのに……。


 ——アルトさんは、リディア様と一緒になったら、辻馬車をやめてしまうのかしら。


 そう考えた瞬間、クラリスはひどく心細くなった。


 今になって初めて気づいた。


 アルトと一緒に辻馬車で夜を走る時間が、自分にとって、どれほど大切なものになっていたのか。


 王都の夜の灯りを背に、誰かの探しものを見つけ、誰かの痛みを聞いて……行き先を見失ってしまった人々を明日へ届ける馬車。


 その御者台には、いつもアルトがいる。


 クラリスは小窓越しに、御者台のアルトを見た。


 そのとき、馬車が止まった。


 アルトが振り返る。


 その顔は、今まで見たことがないほど真剣だった。


 クラリスは胸を締めつけられるように感じた。


 馬車が止まった先には、決して大きくも、丈夫そうでもない、古い建物があった。


 兵士たちが、その建物の中へ入っていく。

 扉の上には、古ぼけた聖女像が埋め込まれていた。


 それは、村の教会だった。



「ここに……いるようです」


 アルトが、かすれた声で言った。

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